帰巣本能

K-enterprise

祝食

 65.1Kg

 体重計から送信されたデータによってスマホに表示された数値を凝視する。

 

 ついに65キロを越えてしまった。

 男はわき腹に目立ち始めた贅肉を掴みながら嘆息する。


「最近、食い過ぎて、運動不足だもんな」


 わざわざ口に出す必要もない事実を呟く理由は、自分自身の自覚を促すためだが、焦燥に至るほどの切迫感は湧き上がらない。

 

「ま、なんとかなるだろ」


 男は二年前の自分を思い出す。

 体重が90Kgを越えて、健康診断のあらゆる数値が危険値を表し、駆けこんだ先の医者に余命宣告の予報宣告を下された。つまりこのままでは死ぬよという警告だ。

 多忙な仕事、さまざまなストレスを言い訳に繰り返した、怠惰で不摂生な生活は現実的な命の危険を突きつけ、そこに至り、男はようやく改善に着手した。

 自らの意志の弱さを知っていた男は、ゆるやかな改善策では長続きしないだろうと考え無茶をした。

 徹底した食事制限は、カロリーと糖質、脂質を抑えることに集中した。

 同時に意図的な運動による消費カロリーを500Kカロリー以上と設定し、これを毎日続けた。

 主食はキャベツとなり、米を食わず、鶏肉を食べ、脂身は捨てた。

 処方された薬の効果もあり、男は一年で30Kgの減量に成功し、それを約一年維持してきた。


 一度、劇的なダイエットに成功し、リバウンドも抑えることができた。

 その事実は男にとって揺るぎない自信を与え、もし仮に、以前と同じ体重まで戻ったとしても、もう一度同じことをすればいい。

 そう思っていた。



―――――――――――――



「やあ、こんにちは」


 男は座り込んだ姿勢のまま、顔だけを上げて声の主を探した。

 見渡す限り何も無い大地の上、目の前に焚火の炎が揺れている。

 その傍らに、銀色のトレーに載せられた一抱えもある肉塊があった。

 声は確かに、その辺りから聞こえたはずだ。


「信じようが信じまいが、君と話しているのは肉であるこの僕さ。僕を認識してくれてありがとう」

「………なんで、肉が喋ってるんだ?」

「ここは君の夢の中だからね。肉だって喋るのさ」

「夢?」

「深層心理でもなんでも。君が体感している事象は君の脳が作り出している。それ以上でもそれ以下でもない」

「良く分からない。俺はなんで肉なんかと喋る必要があるんだ?」

「おいおい、冷たいこと言うなよ。元はと言えば僕は君だったんだぜ?」

「肉が、俺?」

「二年前まで、僕らは一緒だったじゃないか」

「……俺が太っていた時の肉だと?」

「そうさ。君が一方的に嫌って捨てた、君だったモノさ」

「別に、俺は手術とかで肉を除去したわけじゃない。ちゃんと少しずつ努力して肉を落としたんだ。そんな塊であるわけがない」

「大変だったよ。ここまで集めるの。でもやっと自我を確保できたんだ」

「自我? ただの肉のくせに」

「脳が、臓器が、骨や四肢があれば、君だと? いいかい? 僕は君のあらゆるところから少しずつそぎ落とされた肉の塊なんだよ? 今の君と何が違うんだい?」

「俺は、俺だ!」

「僕も僕だよ。まあこんな不毛な会話は止めにしよう。今日はね、ごあいさつに伺ったんだ」

「挨拶だと?」

「これからまたご一緒するんだ。社交辞令とは言え、礼節は大切だろう?」

「一緒……ってなんだ、お前、なんで、肉が、ただの肉が!」

「30キロもあれば立派な生き物さ。大丈夫。これまでも一緒だったんだから」


 肉はいつの間にか、焚火に炙られ美味そうな香りを漂わせていた。


「やめろ、よせ、俺はお前なんか知らない!」

「再会を祝して、僕を食して」



―――――――――――――



 67.3Kg

 スマホに表示されている経過グラフは右肩上がりを続けている。

 もう、三日も何も食べていないのに、男の体重は増加を続けている。






――― 了 ―――

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