第30話 バスに揺られて河川敷

 ネコを堪能したあと、わたしたちは駅前に来た。

 次に試すのは自然。またあの山に行くのか。


「ちげぇよ」

「なに、また予想したの?」

「なんの話だ?」

「わたしの心の中ってこと」

「知るかよ」

「じゃあ何がちがうっていうの?」

「今回は電車には乗らねぇってことだ」

「あぁ、そういうこと」


 わたしの足は自然と駅の中に入ろうとしていた。この駅に来たからには前に行った山へ向かうと思っていたのだ。ただ、それは早とちりだった。


「じゃあなんで駅に来たの?」

「バスだよ」

「あぁ、なるほど」


 ここへ来る前にもバス停はいくつかあったけど、そこからでは行けないということだろう。


 時刻表を確認すると、次のバスが来るまではまだ十分ほどある。

 このままここで待つか、どこかで時間をつぶすか。そんなことを考えていると、ドラムの音が聞こえてきた。


「前と同じ場所に今度はドラマーが来てるらしい」

「ドラマー! せっかくだから近くで聞こうよ!」

「俺はかまわねぇよ。移動するのはお前だからな」

「うっ……わたしが乗れるくらいティーユが大きくなれば、車輪をつけて簡単に移動できるのに」

「くだらんことを考えてる暇があったらさっさと移動しろ。時間がなくなるぞ」

「はいはい」



 わたしたちは時計塔の下まで来た。ここまでは約二分ほど。

 前に来たときは聴覚の実験中で、小柄な女性が弾き語りをしていた。そのときは音が聞こえなかったわけだけど、今日はちゃんと聞こえる。


 ドラムを叩いているのはワインレッドの髪をした女性だ。その近くにはカメラで撮影している人がいる。有名な人なのかもしれない。

 流れている曲は知らない。曲調的に最近のものだと思う。詳しくはわからないけど、そんな感じがする。


「すごいね……」

「ところどころの芸が鮮やかだな」


 ドラムの種類はバスドラムとスネアドラムくらいしかわからない。けど、そんなことが気にならないほど楽しい気持ちになる。

 今は危ないからはしゃげないけど、触覚がちゃんと機能していたらリズムに合わせて飛び跳ねていたかも。


 ただ、聴覚の実験のときに感じた肌が震えるあの感覚。今回はそれがまったくない。触覚消失によって振動も感じなくなっているのだ。少し寂しい。


 それでもやっぱり音楽はすごい。暗い気持ちになったときは、音を楽しむ心を忘れないようにしよう。


「そろそろ時間だ」

「わかった」


 バスの到着予定時刻まではあと三分。ギリギリ間に合う。

 時計塔から離れていっても、ドラムの音は聞こえてくる。背中を押してくれている気がする。がんばろう。


 人が多くなっていたからさっきより時間はかかったけど、なんとか間に合った。

 バスに乗ってもまだ少しだけ音が聞こえる。あらためて音のすごさを実感した。


「ちゃんと取っ手つかんどけよ?」

「えっ……うわぁぁぁ!」

「言わんこっちゃない」

「もっと早く言ってよ!」


 油断していた。バスは座っていれば大丈夫だと勝手に思い込んでいた。

 縦に横にゆらゆらと。この不規則な揺れに対応できない。力がどこにかかっているのかわからないから、バランスを取るのが難しい。

 とにかく取っ手をつかんでいないと、簡単に倒れそうだ。


「しばらくすれば慣れる」

「うっ、気持ち悪い……」

「吐くなよ?」

「なるべく努力するよ……」




 どれくらい時間が経ったのかわからない。バスに乗ってからの記憶があやふやだ。

 ティーユが「次で降りる」と言っていなかったら、限界だったかもしれない。


 バスが停車した。よかった……。

 わたしはよたよたしながらバスを降りた。


「ここは……?」

「土手だ」

「土手?」

「ああ。この内側に河川敷がある。そこで自然を味わうってわけだ」

「な、なるほど……」


 山とは異なる自然。それが今ここにある。

 河川敷という言葉から場所のイメージはできても、パッと思い浮かぶものはなかった。オリジナルは来たことがないのかもしれない。


「とりあえず、その階段で上まで行け」

「階段かぁ」


 バス停のすぐそばには階段がある。手すりがあるからなんとかなるとは思うけど、転がり落ちないように気をつけよう。


「うわぁ……こっわ!」

「下は見るなよ」

「見たくても見れないよ」

「ならいい」


 足を上げて次の段へ。ただそれの繰り返しなはずなのに、最上段がやけに遠くに感じる。

 一段一段ゆっくり進んでいるからだとは思うけど、それにしても遠い。



「ふぅ……やっとだ……」

「今度は下までだ」

「えぇぇぇ!」

「こいつは堤防だぞ。同じ高さに河川敷があるわけねぇだろ」

「ですよねぇ……」


 わかってはいたけど、いざそれが現実になるとかなり厳しい。

 ここまで時間をかけて上まで来たのに、それを無にされる気持ちだ。


 それでも、今は行くしかない。

 景色を楽しみたい気持ちを抑え、わたしは覚悟を決めた。



「つ、着いた……」

「よくやった」

「ちょっと休憩させて」

「思う存分すりゃあいい。ただ、どうせなら自然を感じながらにしろ」

「ここにいるだけで感じてるよ」

「俺が言ってるのは自然に触れろってことだ」

「あぁ、そういうことね」

「そこの草地にでも転がっとけ」

「か弱い乙女がここまでがんばったのに……そんな言い方ってある?」

「……はぁ、わかったわかった。どうぞ心ゆくまでお休みください」

「はーい」


 わたしは迫真の演技でティーユに態度を改めさせ、いい気分で草地に寝そべった。


「ふぅ……」


 わたしは今、緑の上にいる。本来ならチクチクするだろうけど、今は触覚が消えているから何も感じない。これはむしろ好都合かも。


 草の匂いが鼻を通り、川の音が耳を過ぎる。

 浮いているような感覚もあいまって、自然と一体になっている感じがする。


「気持ち悪いけど、気持ちいい」

「なんだそれ」

「自然はいつでも心を癒してくれるってことだよ」

「はんっ」


 このままわたしは緑に染まっていくんじゃないかと思っていると、さわさわと葉擦れの音が聞こえてきた。

 近くの木から聞こえているようで、そちらに目を向ける。


「あっ、風か……」


 風が吹いていることに、わたしはまったく気づかなかった。音が聞こえていなかったら、気づかないままだったかもしれない。


 風を感じないことによる違和感は思っていたよりある。草木は喜びの声を上げているのに、わたしは何も感じない。突然ひとりぼっちにされた気分だ。


「お前には俺も博士もいる」

「えっ」

「寂しそうな顔してたから言ってみたが、合ってたか?」

「ふっ、なにそれ。でも、ありがと」

「じゃあ合ってたんだな。やっぱり俺は高性能だ」

「そうだねー」


 たまに優しくなるからずるい。今までのイラつきがすべて消えるわけじゃないけど、ちょっとは許してあげよう。


「そろそろ川を触ってみるか」

「川? 危なくない?」

「問題ない。ここは穏やかだからな」

「そう。なら行こう」


 川に近づくほど砂利が増えていく。不安定なのは見てわかる。

 ここまでは避けながら歩いていたけど、これ以上はもう砂利の上を行かないといけない。少し怖い。


 ぐらぐらしながらなんとか川辺までたどり着いた。こんなに近くまで来れるとは思わなかった。


「よし、触ってみろ」

「うん」


 川の中に手を入れてみた。手があるところだけ流れが変わっているのがわかる。

 ただ、何も感じない。川の流れも、水の冷たさも。不思議だ。


 目を閉じて触ってみたら、水の中に手を入れていることさえ忘れそうになる。例えるなら、空気と握手をしている感じだ。


「やっぱり何も感じない」

「だろうな。で、記憶はどうだ?」

「全然だよ」

「そうか。じゃあホテルに戻るか」

「えっ、もしかして博士から連絡あったの?」

「いや、まだだ」

「あっそう。ならどうしてホテル? まだお昼過ぎなのに」

「とりあえず戻るだけだ。道中で触覚を試せるところがあればやっていくけどな」

「ふーん……わかった」


 ここまでかなり不思議な体験をして疲れたから、正直なところ、ホテルに戻れるのはうれしい。

 今ベッドに倒れ込んだらそのまま眠ってしまうかもしれない。


「じゃあまた階段だ。次のバスまではあと八分。来たときの速度だとギリギリだってことだけは言っておく」

「イジわるだなぁ、もう……」


 肩から降ろして土手を登らせようとも思ったけど、わたしは大人だから許してあげた。


 今はそんなことより、目の前の錯覚階段とその先に乗る波地獄のほうが心配だ。

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