夢の世界、レヴェリーにて

白雪花房

それは砂漠の中のオアシスのような

 午後〇時。

 乾いた空気を突っ切って塩の砂漠さばくを渡る影。

 黒ずくめの男は浮かない顔で遠くを見つめる。中肉中背の東洋人で、格好は洋装。暗髪の隙間すきまからのぞひとみかげり、負のオーラを背負っていた。



 午後二時。

 城壁に似た形の門をくぐると、メルヘンな世界に飛び込んだ。


 上から軽快な駆動くどう音。流線りゅうせん型のコースターがレールもなく、空を駆けていった。


 広場にはポップな花壇かだんはなやかな石畳には洋風の建物が並ぶ。売り場には似通ったシルエットの客が行き交い、にぎやかだった。


 なんとなく一歩を踏み出すと足の裏がふわりと浮かぶ。ハッと目を大きくした。


「ここがレヴェリー」


 今ようやく、実感が湧いた。

 自分は入れた・・・のだと。


 レヴェリー――夢の世界。星が見る夢が現実に投映とうえいされ、人々は空想くうそうの世をさまよい、幻のまま消える。


 彼にはある役割があって楽園にきた。別に特別なことではない。彼が手を下さずともいずれなにもかもが崩れ果てる。ちょうどれた果実がくさり落ちるように……。


 楽な仕事なのに気が入る。裏を返せばなにもできないのと同義だからだ。


 脳裏をよぎったのは荒廃こうはいした地面と、なげきの声。寒々しいやみに花びらが散る。とうの昔に朽ち果てた桜の樹だった。


 最初の仕事をしたときの情景が今でも忘れられない。あのときも……。


 もう思い出したくない。

 いっそ、なかったことにしたかった。



 虚無きょむおちいったまま数時間が経過けいか、足元には影が伸びる。

 無表情で力を抜いて立つ男に、後ろから声がかった。


「せっかくの夢の世界なのだから、少しは表情を明るくしては?」


 フルートのようなんだひびき。


 だまりに、かわいらしい少女が立っていた。コットンのショートドレス、ふんわりとしたはちみつ色の髪が肩にかかる。目は丸みがあり、ほおはバラ色。いちご色の唇は弧を描くと花びらのようだった。


「ここにはなんでもあります。さあ、うれいを忘れて、存分に楽しみましょう」


 少女はぐっと身を乗り出し、男の腕を掴む。温かみと花の香りが近づいた。

 彼女は彼の手を引いて軽快に歩き出す。男もおとなしくついていった。


 風景がなめらかに流れ、売店の香ばしい匂いが遠ざかる。

 魔法にかかったように通りの様相も変わり、不思議な世界に入り込む気配があった。


 ***


 さらに数時間後。

 足は痛くない。

 楽しげな世界は彼にとっては作り物で、心は動かなかった。


「なんでそんなに楽しそうなんだ? ここは夢でしかないんだろ?」

「夢の中でこそ羽目を外さないと!」


 少女はイキイキとアトラクションに挑む。

 乗り場から降りれば売店に直行。夢見の果実なるものを使ったドリンクを購入。二つの缶のうちの片方を男に預ける。


「うーん、格別!」


 目をきらめかせ、頬を赤くする。


 胡乱うろんげに彼女をながめつつ、プルタブに指を引っ掛けた。小さく空いた隙間すきま。ぐびっと飲むとさらりとした液体がのどすべり落ちる。


「私はケーキでした。あなたはいかがです?」


 今、感じた味は白かゆ……?


 改めて虹色のラベルを確かめる。


『どんな味が当たるかは個人次第。幻想の味をご堪能たんのうあれ』


 ちなみにデフォルトは甘美らしい。


「すごいでしょう。ここでなら自分だけの夢と出うことだってできるのです!」


 少女は得意げに主張し、背中をそらす。 

 自分の夢は無しかなかったのだが。


 自嘲じちょう気味に視線を下げ、ふとなにかが目に入る。コットンドレスが押し上げた体の中心に、多色のグラデーションがかかった結晶が淡く光った。


「気になりますか? こちらは地層から掘り出したものです」


 少女は華奢きゃしゃなネックレスを指し、喜々ききとして教える。


「夢見石の欠片。星の中核にある結晶と同じものみたいですね」


 ウキウキとした口調とは裏腹に、パステルカラーの虹色には雲がかかっていた。輝きがかすむ理由に心当たりがある。


 男は口を引き結び、目を伏せた。


 ***


 午後七時。門の外に出る。


 星を散りばめたようなイルミネーションにまちいろどられ、夜の闇に走るネオンがまばゆい。


 少女は両手を広げてくるくるとおどった。


「ここが私たちのまちです。いかがですか?」


 彼女が笑いかける。


 あまりの無邪気さに、内心くもった。

 少女の夢をこわしたくない。どうせならなにも起こらないほうがいい。

 たとえ不可抗力であったとしても、それでも。


 男はなにかをごまかすように、あごを引いた。


「眠らない街だな」


 暖かい光に照らされながら、真顔で口を動かす。


「実はその通り、私たちは明けない夜を生きるものなのです」


 皮肉としてつぶやいた一言に、予期せぬ返答。


「大丈夫、夢なら買えますから」


 道路の端には人だかり。ピンクと水色のリボンで飾った看板の道具店だ。アーモンドエッセンスのような甘ったるい香りが迫る。カウンターのガラス越しに、商品が並んでいた。パステルカラーの飴玉に、虹色のふわふわした綿菓子など。


 男が物珍しい菓子に釘付けになると、少女が急に唇を開く。


「私たちは眠る機能を持ちません。だからこうして世界に夢を見せてもらうのです」


 ごく自然に彼女は告げた。


 二人は夜通し各地をまわる。あたりはぼんやりと霧がかってきた。


「私には将来の夢がありました。世界を制覇することです」


 少女は弾むように切り出す。


「このドリームスケープは広いので一度足を踏み入れれば、無限の空間が待っているのです。行きたいところに、行きたいだけ行ける」


 少女は眉をしかめながら、笑った。声は低く、酸味を含んだ感情に聞こえる。


「でも、それもじきに……」


 運命を悟った表情で、それでも口角を上げる。

 乾いた声だった。


「夢想に浸ることをやめたとき、私たちの存在意義もなくなるでしょう」


 当たり前のように口にする姿に、胸がキュッと痛んだ。


 男は眉間にシワを刻み、うつむく。

 薄闇に雲が垂れ込み、視界を黒く塗りつぶした。


 少女は迷いなくストラップシューズをはいた足を前に運ぶ。


 遠くに荒れた海の潮騒しおさいを聞いた。


 ***


 午前〇時をとうに過ぎた。

 何度も無機質な扉をめくる。

 景色が切り替わる度に過去の記憶が脳にチラついた。


 最終戦争によって焦土と化した大地、廃墟はいきょの底を慟哭どうこく、静かに眠りについた雪の星。


 深淵しんえんのごとき目に映った光景はフローラルホワイトに染まり、やがて匂いすら拭い去られる。

 冷え切った手のひらは色もなく、なんの感触もない。



 延々と同じ回廊かいろうを渡るかと錯覚したとき、一つの扉が開く。


 幻想的な空間に出た。


 ライトアップされたかのように青白色に輝く一面の花畑。奥には滝が清らかに流れ、近場の森も宝石のようにきらびやかだった。


 体の奥で鼓動こどうが跳ね上がり、とろけるような熱が全身を包む。

 いつの間にか境界が薄れ、じんわりと揺らぐ気配がした。


 少女は堂々と前に出る。

 後ろで立ち尽くす男。

 彼女はゆっくりと振り返った。


「異邦人。あなたがレヴェリーに現れた理由は分かります」


 おだやかな態度。


 男は視線をそらしてから、拳を握り込む。

 意を決して口を開き、かたい声が静寂せいじゃくを破った。


「ああ、俺は世界にとっての死神。終焉しゅうえんの観測者だ」


 本人にとっては最初から心にめ隠していた情報だった。


「別に特別なものじゃない。たまたま故郷の星の最後の一人になっただけだ」


 母は星の声に耳を傾ける巫女みこだった。星が命尽きるとき、彼女も枯れる。

 男ははかない花のような最期さいご看取みとり、力と役割を継承けいしょうした。


「いろんな世界をめぐったよ。でも、なにもできなかった」


 顔を下に傾け、歯を食いしばりながら、つづる。

 懺悔ざんげのようで実際は自分が楽になりたいだけだ。


「俺が来たということは、レヴェリーも同じ運命をたどる」


 知らず、人々は理想と空想に浸る。無限に精製せいせいされる夢。反比例するように資源は枯渇こかつ。この星に眠る夢の結晶、夢見石がすり減っていくのだ。


「君は、驚かないのか?」


 声が裏返った。

 焦点が合わない目。


 対して、彼女はニコッとしただけだった。


「黒ずくめの姿を見つけた瞬間に、察しましたから」


 清廉せいれんな声で、なめらかに言葉をつむぐ。


「あなたは仕事を全うしただけ。罪に感じることはないのですよ」


 実に達観たっかんした態度だった。

 男は汗をかきながら身を乗り出す。


「今ならまだ脱出できる。夢から覚めるには現実に戻るしかない。君も」


 のどが詰まる。

 少女はゆっくりと首を横に振った。


「なんのためにあなたに接触したか――全ては覚えてもらうためです」


 丸みを帯びた目の上で、眉尻を垂らした。


「私たちはこの星で生まれ、夢を見続けてきました。皆、同じです」


 静かで淡々とした口調。

 ただただ大切なものを伝えるために、訴えかける。


「確かに全ては幻。世界はなくなってしまうかもしれない」


 真っ暗闇に閉ざされた世界に、んだ声が落ちる。

 空っぽになった心を冷え冷えとした風が吹き抜けた。


「それでも生きた証を否定したくはない。私たちは確かにここにいたのですから」


 たとえ世界が終末を迎えるとしても存在した事実は、なかったことにはならない。

 はかなく消えるうたかたを、永遠の夢にしてほしいと。

 胸に手を当て、訴えかける。


 彼女の願いはひどく彼の奥にひびいた。

 おのれにはなかった概念がいねんに触れて、視界がひっくり返る。

 脳内に電流が走り、ワサビをいだような感覚が鼻をツンと抜け、全身に鳥肌が立った。


 彼女の意思を察する。

 少女は夢の中で死ぬことを選んだ。

 自身が生きた証をのこすために。


「どうぞ。次はあなたの番。あなたの望みも、この夢で叶えられる――」


 うながされるがままに面を上げようとしたときだった。


 春の匂いが軽やかにかおる。

 風の流れに沿う形で後ろへ向き、目を丸く見開いた。


 ぼんやりとにじんだ風景に、大樹がそびえ立つ。天を覆い尽くすほど伸びた枝に、優雅ゆうがな花びら。しっとりとした闇に映える薄紅。


 根本には着物姿の輪郭が浮かび上がる。


「母さん……?」


 か細い声。

 いまだに状況を呑み込めず、我が目を疑った。


『どうか、忘れないで。私はここにいる。この想いを背負い歩みを進めなさい』


 透明な声がピアノの音色のように重なる。


 こうを炊きしめたような匂いが、肌に染み込んだ。なつかしい。言葉にならない気持ちが喉元まで込みあげた。胸が震え、鳥肌が立つ。


 まぶしくてたまらない。


 やがて波が引くように衝撃しょうげきが退き、温かな余韻よいんが残る。


「なあ、これは」


 無意識に幼い声を出し、停止する。

 背景にはなにもなかった。

 男はきょとんと目を丸くする。


 果たして先ほどまで自分が付き合っていたのか幻か、はたまた亡霊だったのか。



 やわらかな風。花吹雪が舞った。

 夢幻の風景は押し流され、地は灰色に染まる。

 男の骨ばった手には虹色のオーブ。


 彼が目にしたのは、間際まぎわの夢だ。

 細めたひとみに最後の幻想の輝きが映り込み、蛍のように薄れていく。

 ああ、それはなんて美しい……。

 心には満ち足りた感情がみ渡り、ほのかな光が差し込んだ。


 継承者は身をひるがえし、夢の跡地を後にする。

 追い風のように背中を押す、女性の声。


今宵こよいはそっと 眠りなさい』

『夢のかごに守られながら』

『夜は深まれど また次の明日がやってくる』

孤独こどくな月には星の輝きが寄り添うの』

『闇の果て 透明な光が君を導く』


 幼き日に枕元で母がささやいた子守唄が、いつまでも彼の心を包みこんでいた。

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夢の世界、レヴェリーにて 白雪花房 @snowhite

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