夢の世界、レヴェリーにて
白雪花房
それは砂漠の中のオアシスのような
午後〇時。
乾いた空気を突っ切って塩の
黒ずくめの男は浮かない顔で遠くを見つめる。中肉中背の東洋人で、格好は洋装。暗髪の
午後二時。
城壁に似た形の門をくぐると、メルヘンな世界に飛び込んだ。
上から軽快な
広場にはポップな
なんとなく一歩を踏み出すと足の裏がふわりと浮かぶ。ハッと目を大きくした。
「ここがレヴェリー」
今ようやく、実感が湧いた。
自分は
レヴェリー――夢の世界。星が見る夢が現実に
彼にはある役割があって楽園にきた。別に特別なことではない。彼が手を下さずともいずれなにもかもが崩れ果てる。ちょうど
楽な仕事なのに気が
脳裏をよぎったのは
最初の仕事をしたときの情景が今でも忘れられない。あのときも……。
もう思い出したくない。
いっそ、なかったことにしたかった。
無表情で力を抜いて立つ男に、後ろから声が
「せっかくの夢の世界なのだから、少しは表情を明るくしては?」
フルートのような
「ここにはなんでもあります。さあ、
少女はぐっと身を乗り出し、男の腕を掴む。温かみと花の香りが近づいた。
彼女は彼の手を引いて軽快に歩き出す。男もおとなしくついていった。
風景がなめらかに流れ、売店の香ばしい匂いが遠ざかる。
魔法にかかったように通りの様相も変わり、不思議な世界に入り込む気配があった。
***
さらに数時間後。
足は痛くない。
楽しげな世界は彼にとっては作り物で、心は動かなかった。
「なんでそんなに楽しそうなんだ? ここは夢でしかないんだろ?」
「夢の中でこそ羽目を外さないと!」
少女はイキイキとアトラクションに挑む。
乗り場から降りれば売店に直行。夢見の果実なるものを使ったドリンクを購入。二つの缶のうちの片方を男に預ける。
「うーん、格別!」
目をきらめかせ、頬を赤くする。
「私はケーキでした。あなたはいかがです?」
今、感じた味は白
改めて虹色のラベルを確かめる。
『どんな味が当たるかは個人次第。幻想の味をご
ちなみにデフォルトは甘美らしい。
「すごいでしょう。ここでなら自分だけの夢と出
少女は得意げに主張し、背中をそらす。
自分の夢は無しかなかったのだが。
「気になりますか? こちらは地層から掘り出したものです」
少女は
「夢見石の欠片。星の中核にある結晶と同じものみたいですね」
ウキウキとした口調とは裏腹に、パステルカラーの虹色には雲がかかっていた。輝きが
男は口を引き結び、目を伏せた。
***
午後七時。門の外に出る。
星を散りばめたようなイルミネーションに
少女は両手を広げてくるくると
「ここが私たちの
彼女が笑いかける。
あまりの無邪気さに、内心
少女の夢を
たとえ不可抗力であったとしても、それでも。
男はなにかをごまかすように、
「眠らない街だな」
暖かい光に照らされながら、真顔で口を動かす。
「実はその通り、私たちは明けない夜を生きるものなのです」
皮肉としてつぶやいた一言に、予期せぬ返答。
「大丈夫、夢なら買えますから」
道路の端には人だかり。ピンクと水色のリボンで飾った看板の道具店だ。アーモンドエッセンスのような甘ったるい香りが迫る。カウンターのガラス越しに、商品が並んでいた。パステルカラーの飴玉に、虹色のふわふわした綿菓子など。
男が物珍しい菓子に釘付けになると、少女が急に唇を開く。
「私たちは眠る機能を持ちません。だからこうして世界に夢を見せてもらうのです」
ごく自然に彼女は告げた。
二人は夜通し各地を
「私には将来の夢がありました。世界を制覇することです」
少女は弾むように切り出す。
「このドリームスケープは広いので一度足を踏み入れれば、無限の空間が待っているのです。行きたいところに、行きたいだけ行ける」
少女は眉をしかめながら、笑った。声は低く、酸味を含んだ感情に聞こえる。
「でも、それもじきに……」
運命を悟った表情で、それでも口角を上げる。
乾いた声だった。
「夢想に浸ることをやめたとき、私たちの存在意義もなくなるでしょう」
当たり前のように口にする姿に、胸がキュッと痛んだ。
男は眉間にシワを刻み、うつむく。
薄闇に雲が垂れ込み、視界を黒く塗りつぶした。
少女は迷いなくストラップシューズをはいた足を前に運ぶ。
遠くに荒れた海の
***
午前〇時をとうに過ぎた。
何度も無機質な扉をめくる。
景色が切り替わる度に過去の記憶が脳にチラついた。
最終戦争によって焦土と化した大地、
冷え切った手のひらは色もなく、なんの感触もない。
延々と同じ
幻想的な空間に出た。
ライトアップされたかのように青白色に輝く一面の花畑。奥には滝が清らかに流れ、近場の森も宝石のようにきらびやかだった。
体の奥で
いつの間にか境界が薄れ、じんわりと揺らぐ気配がした。
少女は堂々と前に出る。
後ろで立ち尽くす男。
彼女はゆっくりと振り返った。
「異邦人。あなたがレヴェリーに現れた理由は分かります」
男は視線をそらしてから、拳を握り込む。
意を決して口を開き、
「ああ、俺は世界にとっての死神。
本人にとっては最初から心に
「別に特別なものじゃない。たまたま故郷の星の最後の一人になっただけだ」
母は星の声に耳を傾ける
男は
「いろんな世界を
顔を下に傾け、歯を食いしばりながら、つづる。
「俺が来たということは、レヴェリーも同じ運命をたどる」
知らず、人々は理想と空想に浸る。無限に
「君は、驚かないのか?」
声が裏返った。
焦点が合わない目。
対して、彼女はニコッとしただけだった。
「黒ずくめの姿を見つけた瞬間に、察しましたから」
「あなたは仕事を全うしただけ。罪に感じることはないのですよ」
実に
男は汗をかきながら身を乗り出す。
「今ならまだ脱出できる。夢から覚めるには現実に戻るしかない。君も」
少女はゆっくりと首を横に振った。
「なんのためにあなたに接触したか――全ては覚えてもらうためです」
丸みを帯びた目の上で、眉尻を垂らした。
「私たちはこの星で生まれ、夢を見続けてきました。皆、同じです」
静かで淡々とした口調。
ただただ大切なものを伝えるために、訴えかける。
「確かに全ては幻。世界はなくなってしまうかもしれない」
真っ暗闇に閉ざされた世界に、
空っぽになった心を冷え冷えとした風が吹き抜けた。
「それでも生きた証を否定したくはない。私たちは確かにここにいたのですから」
たとえ世界が終末を迎えるとしても存在した事実は、なかったことにはならない。
胸に手を当て、訴えかける。
彼女の願いはひどく彼の奥に
おのれにはなかった
脳内に電流が走り、ワサビを
彼女の意思を察する。
少女は夢の中で死ぬことを選んだ。
自身が生きた証を
「どうぞ。次はあなたの番。あなたの望みも、この夢で叶えられる――」
春の匂いが軽やかに
風の流れに沿う形で後ろへ向き、目を丸く見開いた。
ぼんやりと
根本には着物姿の輪郭が浮かび上がる。
「母さん……?」
か細い声。
いまだに状況を呑み込めず、我が目を疑った。
『どうか、忘れないで。私はここにいる。この想いを背負い歩みを進めなさい』
透明な声がピアノの音色のように重なる。
まぶしくてたまらない。
やがて波が引くように
「なあ、これは」
無意識に幼い声を出し、停止する。
背景にはなにもなかった。
男はきょとんと目を丸くする。
果たして先ほどまで自分が付き合っていたのか幻か、はたまた亡霊だったのか。
やわらかな風。花吹雪が舞った。
夢幻の風景は押し流され、地は灰色に染まる。
男の骨ばった手には虹色のオーブ。
彼が目にしたのは、
細めた
ああ、それはなんて美しい……。
心には満ち足りた感情が
継承者は身を
追い風のように背中を押す、女性の声。
『
『夢の
『夜は深まれど また次の明日がやってくる』
『
『闇の果て 透明な光が君を導く』
幼き日に枕元で母がささやいた子守唄が、いつまでも彼の心を包みこんでいた。
夢の世界、レヴェリーにて 白雪花房 @snowhite
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