生と死の狭間、御伽横丁 ~異世界転勤とか、ふざけんなっ!~

美袋和仁

第1話 謎な辞令


「は? 転勤?」


 高橋 朏(みかづき)は、上司の前でポカンっと呟いた。


 年の頃なら十代後半の可愛い娘。真っ黒さらさらな黒髪ストレートを首もとで一つ結わきにした彼女は、今時珍しい中卒である。

 十五歳でこの会社のアルバイトに入り、十八歳で正社員に雇用された。

 そして半年。突然、慣れ親しんだ職場を離れろとの半強制的な転勤の辞令が下る。

 わが社が全国展開しているのは知っているが、あまりに無情すぎはしないだろうか。

 朏は、困惑げな面持ちで上司の柏木を見つめた。


「君はバイトから数えると既に勤続四年にもなるしね。一度、我が社の主要箇所を回るのも良いかと思うんだ」


 ほくそ笑む上司の顔。整った顔立ちの美丈夫なのに、そこはかとない詐欺臭の漂う笑顔。

 それは仕事というより、何かしらを企む悪童のように見えた。

 そのせいか、彼と短くない付き合いの朏は、この辞令に嫌な予感をびしばし感じる。


「あ~、アタシは未成年ですし? 家族もいないんで、新地移動はキツいかなあと.....」


 そう。彼女は天涯孤独。


 交通事故で両親を失った朏だが、幸いなことに保険金で己の生活を賄えた。

 彼女の両親は自身の家族とも疎遠で、親戚が居るにはいるが、誰もが朏の後見人を渋る。

 そりゃそうだろう。付き合いのない親戚など他人と同じだ。さらにその子供で未成年の後見人なんか面倒ごとでしかない。

 

 結果、朏は中学卒業済みであったため一人暮らしを始めた。

 団体保証会社の伝で借家の契約更新をしたり、進学を諦めてアルバイトに精をだしたり。

 色々、今時の同年代と違う人生を送ってきている。


 この先、何があるか分からない。手元にある親の保険金は、高校に進学したら消えてしまう程度の金額だ。大学なんて夢のまた夢。

 最初の頃は、その保険金を切り崩しつつ暮らしていたが、今は一端な正社員である。

 逆に貯蓄も出来るようになって一安心していたところに、今回の辞令だった。


 .....やっと人並みの生活が訪れたのに。また、新居から新たな生活圏を築かなきゃならないなんて、御免だよぅぅ。


 朏は半泣きな内心を上手に隠し、なるべくなら辞退したいなあと、ごにょごにょ言いわけする。

 それに褪めた一瞥をくれ、上司は仕方なさげに呟いた。


「.....そうか。でも行ってもらうからな。正直、一刻を争う事態でね。これがチケットと通行証。そして新たな社員証。新生活の費用は全て会社持ち。その他経費も申請可能。ぶっちゃけ、君に行ってもらわないと我が社は終わる」


 .....え? 会社が終わるって? 


 その言葉と共に別室から現れた屈強な男達。黒スーツに黒いグラサンという、如何にも怪しげないでたちに、彼女は思わず呆気にとられた。

 すると、三人いる彼らの内二人が、ガシッと朏の両腕を己の腕と組む。

 組まれた腕は固く、とても彼女に振り払える力ではない。


「.....は?」


 再びポカンとした朏に各種詳細の詰まったブリーフケースを渡し、彼女の上司がひらひらと手を振った。


「後のことは任せてくれ。君の荷物も梱包してそちらに送る。借家もちゃんと引き払っておくし、周りに説明もしておくから」


「はああぁぁーーーっ?!」


 お間抜けな絶叫をあげつつ、朏は屈強な男性らに引きずられる。いや、ほぼ足の浮いた状態だ。運ばれるの方が正しいかもしれない。


 .....なにこれっ? アタシの意志は? 人権はどこだぁぁーーーっ!!


 そうして、脳内阿鼻叫喚な朏を押し込めた社用ヘリコプターが颯爽と本社ビル上空を飛び去っていった。

 遠い点になりつつあるヘリコプターを窓辺で見送りながら、上司は苦い嘆息とともに独りごちる。

 今時の若者らしい少し長めな髪を、軽く掻き上げつつ。


「頼んだよ、高橋君。なるべく長く生き延びてくれ」


 その呟きに混じる不穏な言葉。上司の独り言など知らない朏は、機内で盛大にパニクっていた。




「アタシ、どうなるんですかあっ?!」


「現地に送ります」


 非常に冷淡な操縦士の声。二人の間は透明で分厚いアクリル坂で隔てられている。丸く並んだ小さな穴が、お互いの声を通わせていた。

 防護用だろうか。こんな空の上で襲われたら御互いに御陀仏だ。それを想定してのガードに違いない。


 実際朏も、このアクリル坂がなくば、引き返せーーーっ! .....と、操縦士に掴みかかってやりたい気分なのだから。

 そんな焦燥を死に物狂いで押さえ込み、彼女は何がどうなったのか現状把握を試みる。


「現地ってっ? アタシ、転勤の辞令がおりたこと以外、何も説明されてないんですけどっ?!」


「詳細を書面で頂いておられませんか?」


「あ」


 上司に渡されたブリーフケース。


 それを思い出した彼女は、周囲に視線を巡らせる。

 目的のモノはすぐに見つかった。朏と共にヘリコプターに押し込まれたらしいブリーフケースが、別の座席にポテっと置かれている。

 慌ててケースを開け、朏は貰った辞令から詳細説明、及び規約書を隅から隅まで読み耽った。

 それを読み進めるにつれ、彼女の顔が怪訝そうに曇りだす。


 .....規約書? 契約書でなく? なんなの、これ。


 読んだ内容に愕然とし、朏は色のない顔で操縦士の後頭部を見つめた。


「御伽街の御伽横丁って..... どこの都道府県ですか?」


「.....現存する地球世界にはありません」


「.....この職務、生きること。.....って?」


「.....そのままです。とにかく、生き延びてください。逃げも隠れもOKです。武器防具の購入も可能。全て会社側が払います。貴女は台帳にサインするだけで良い」


 .....いや、武器に防具って時点で変でしょ? おかしいよね? ここ、日本だよね? 御伽街とか日本語だし、向かう場所も日本だよねっ?!


 各書類には、それぞれ要点のみが簡潔に記載されている。

 辞令にあったのは勤務地と職務。詳細説明には、その土地の大まかな状況と生活圏の確保方法。


 いわく、『跳梁跋扈する悪意を掻い潜り、日々の糧を得て隠れ家を造れ。そのための資金は惜しまない。

 中には友好的な生き物もいるだろう。彼らの手を借りるも良し、用心深く距離を取るも良し。その判断は本人に任せる。』.....って?


 .....どこのスペクタクル・アドベンチャーの宣伝だ?


 誇大妄想を疑う説明文に、朏は目眩を覚える。


 .....生き物て。人ですらない? そんなんがいるの? なに? この、妄想力がチラチラ絶対領域にかかりそうな文面はっ!!


 そして規約書。


 期間は五年。給与は辞令前の三倍。無事に乗りきった場合の成功報酬が五千万円。


 .....逃げ隠れって。武器防具必須で? 待って待って待ってっ?!


「これじゃあまるで、昨今流行りのデスゲームみたいじゃないですか」


 しかも化け物つき。.....と思いつつも、決定的な言葉は飲み込む朏。

 だが操縦士の返事は、せっかく呑み込んだ彼女の妄想を代弁するモノだった。


「.....そんな単純なモノなら、どれだけマシだったことか。勝者などいない世界です。築かれるのは敗者の屍のみ。しかも、すぐ死なれては話にならないため、優れた若者を選んで送り込まなきゃならない不条理」


 .....すぐ死なれては? え? ちょっと.....?


「.....辞令には五年とあります。これが期間ですか?」


「そうです。今日からキッチリ五年。その間生き延びたら、こちらの世界に戻ってこられます」


 淡々とした口調の操縦士。その慣れた感が、朏の背筋に悪寒を走らせる。

 彼は今まで、何人にどれだけこの説明を繰り返してきたのだろう。


 .....冗談じゃないわよっ! 生き延びることが仕事? しかも、この地球上には存在しない街っ?! リアル裏世界? それとも異世界ってことなの? そんな得体の知れない世界と会社側は、どう結び付いているのよっ!!


 頭の中を駆け巡る疑問の嵐。それを振り払って、朏は恐る恐る操縦士に尋ねた。


「.....ちなみに、今まで期間を終了して戻ってきた人はいますか?」


「...............」


「答えろよぉぉーーっ!!」


 .....いや、待て待て待てぇぇーっ! ほんと、待ってください、神様、御願いしますっ!!


 本気泣きで暴れ、朏は操縦士と後部を隔てるアクリル板を力任せに叩く。


 帰るぅぅーーーっという彼女の切羽詰まった叫びが谺するヘリコプターは、ある空域で、とぷんっと風に溶けた。


 こうして否応もなく、彼女の異世界ライフが始まったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る