3話 響の選択

 次の日の夕方。


「あの…本当に定食屋ここで良かったんですか?」

「ああ…安いし早いしな」

「もっと高いお店でも良かったんですよ?」

「いいって、俺はここの生姜焼き定食が好きなんだよ」

「そうでしたか!」


 それを聞いた明日香はホッとしたようだ。

二人の前に注文した料理が置かれる。

明日香の前に置かれたのはケチャップがたっぷりかかった昔ながらのナポリタンだった。


「私、ナポリタン大好きなんです」


 明日香は、おもむろにテーブルに置かれていた割り箸を手に取った。


「…箸で食うの?」

「あ」


 響に指摘されて、明日香はピタッと手を止めた。


「実家にいた時からの癖で…ナポリタンはお箸使っちゃうんですよね…」


 明日香は苦笑した。


「ふーん」


 興味なさそうに響は相槌を打ったが、内心はとても驚いた。

 その癖が、姉とまったく同じだったからだ。



 “毎度それを指摘すると、姉は決まってこう言っていた”



『だってナポリタンって日本が発祥なのよ?日本人が開発したんだから別にお箸で食べても可笑しくないでしょ?』


「でもナポリタンって日本発祥ですし、別にお箸で食べてもいいと思うんですけど…変でしょうか?」


 姉の言葉を重ねるように言った明日香に、響は思わず彼女をまじまじと見た。

明日香は不思議そうな顔に小首をかしげる。


「?どうかしました?」

「いや…なんでもない」

「でもこの癖…昔からではないんですよね」


 明日香は何気なくそう言った。


「…そうなのか?」

「はい…響さんがお姉さんのお話をした時に言おうか、迷ったんですけど…私、実は心臓移植手術をしているんです」


 明日香の告白に、響は息をのんだ。


「退院した時に真っ先にナポリタンが食べたくなって…そこまでナポリタンが好きでもなかったのに。その時に思ったんですよね、ドナーの方の好きな食べ物がナポリタンだったんじゃないかって。そういえば、あの時からお箸を使って食べるようになったかもしれませんね」

「そんなこと、あるわけ…」


明日香の言葉に、響は思わず反論しようとした。


「移植を受けた人がそのドナーになってくれた方の趣味趣向に似てくるって話を聞いたことないですか?」

「…いや」

「私はあり得る話だと思うんです」


 響の言葉を遮るように、明日香は静かに続ける。


「だからたまに…自分が自分じゃない不思議な感覚に陥ってしまうことがあって…自分の意志なのか分からなくなって…とても怖くなるんです…そうなると情緒不安定になってしまって…」


 その言葉に、響は不快感を覚えた。


「じゃあ、なにか?ドナーになったやつの…魂か、何かが、あんたに乗り移ったとても言うのか?それに苛まれて嫌気がさして、だからあの時に死のうとしたのか?…………馬鹿馬鹿しい」


 そう言って怒りをあわらにした響は椅子から乱暴に立ち上がった。


「…ごちそうさま、そろそろ行くわ」


 明日香の願いはもう叶えたのだから、これ以上ここにいる必要はない。


「あ、響さん!!」


 呼び止める声を無視して、響は店を後にした。









『……趣味趣向が似てくる』


(アホくせぇ)


 明日香が何気なしに放った言葉を、響は一蹴しようとした。


生前、姉はナポリタンが大好きだった。

日本発祥だからというよく分からない自分のポリシーで、ナポリタンを食べる時は必ず箸を使っていた。

 明日香が言った言葉が、どうして姉の言っていた言葉と重なってしまうのか。



(………馬鹿馬鹿しい)


 ふと頭に浮かんだ思考を払拭するように、響は頭を振った。



「響さん!!」


 慌てて支払いを済ませた明日香が、後を追ってきた。

響は足を止めずに、無視を決め込んだ。


「待って!」


 追いついた明日香が響の手を掴む。


「一言だけ…言わせてください…」


 明日香は息を切らしながら、切実な顔をしていた。

響は足を止めて、明日香を見下ろす。



「不快なことを言ってすみません。さっきは怖いって言いましたが…それだけじゃないんです。同時に心強さも感じているんです…一人じゃないってそう思えるから…自殺しようとしてたのに…めちゃめちゃなこと言ってますよね…私…」


 明日香は自身の胸に手を当てながら、苦しそうな顔で言った。


「でも……昔からどうせすぐ死ぬんだって思って入院生活を送っていたんです…思いっきり走ることもできなくって…発作を起こす度に今度こそ死ぬって思って、いつ発作が来るのか毎日とても怖くって…。でも、ドナーが現れて手術が成功して、健康体になったらやりたい事が出来るようになって、とても前向きになれたんです」


 明日香の手を振りほどくこともなく、響は黙ったまま聞く。


「きっと、この負の感情は私自身の心の弱さの現れなんです…それを見えない他人のせいにしようとしてた…」


 明日香は目を伏せる。


「ごめんなさい…まるで響さんのお姉さんやドナーになってくれた方の善意を否定するようなことを言ってしまいました。そうじゃないのに…私は生かされている存在なのに…こんなことを思ってしまって…命を絶とうとまで…しようとして……」


 明日香は生かされている人間として、その意思に苛まれていた。


「もういい。ドナー家族に対して…その人の命を奪ったような負い目を感じてたんだろう?…ドナーになった人の分まで立派に生きないといけない…って変なプレッシャーも感じてよ」


 当事者じゃないが、響だって臓器提供をさせるために姉の命を奪った点では同じだと言えた。

 見透かしたような響の言葉に、明日香は下唇を噛み締めて深く頷く。


「はい…でも思うように行かなくって…大学受験一回落ちてしまって…浪人しちゃって…就職しても人間関係と慣れない事ばかりで失敗ばかり…せっかく出来た彼氏に胸の手術痕を見せたら…やっぱり無理って言われて…。この心臓をくれた人の人生も私は背負ってる…だから頑張らないといけないのに…こんな落ちこぼれの私をドナーになってくれた家族の方はきっと許してくれない。生かされてるのに辛いって言ったら駄目なんだって、ずっと思ってて…」


 明日香の目から溢れた涙が、ぽた、ぽたとアスファルトに黒いシミを作っていく。


 自分はそんなに出来た、優れた人間ではない。

しかし周囲の人間はそれを許さないと思った。

他者の犠牲の上に、自分は生かされている。

ドナーが見つからず死ぬ人が多くいるなか、ドナーが見つかった自分はとても幸運だった。

でもドナーが見つかって嬉しい反面、幸運を掴めなかった人たちに申し訳ない気持ちもした。

 なおさら、同じ境遇の人たちに『自分が移植を受けるに値する人間である』と認めてもらわないといけないと思ったのだ。



「…そんなことねぇよ、あんたの人生はあんただけのものなんだ。ドナー家族に…誰かに負い目なんて感じる必要は一切ない。弱音も吐けよ。別にあんたの人生なんだからあんた自身がどう思おうと勝手で良いんだ。……ただな、どんなに無様でも『生きてほしい』それが、俺ら…ドナー家族が、あんたに望む唯一の願いなんだよ」


 明日香の頭を不器用な手つきで撫でながら、響は晴れやかに笑った。


「あんたが生きている…それだけで皆の希望になるんだよ」


 その屈託のない笑みに、明日香は再び涙が零れそうな目元をゴシゴシと袖で拭った。


 皆が響と同じ意見だとは思わない。

しかし少なくとも、響はそう思ってくれる。

一人でもそう思ってくれるなら、自分は前に進める。


「ありがとう」 


明日香はつきものが取れたような、笑顔を見せた。


 


           ・

           ・

           ・




  それからさらに数年後。

明日香が友達宛に書いていた年賀状を盗み見て、響は懐かしい気持ちになった。

明日香が書いた『ある文字』に見覚えがあったのだ。



「響さんと同じ苗字…か」


 結婚した実感が湧いてきた明日香は『えへへ』と嬉し恥ずかしそうに頬を緩ませて、自身が書いた名前を見つめた。


(やっぱり似てるな)


 まだ書き慣れない明日香の文字。

そして前に見た運転免許証に書かれていた姉の文字。

二人が書いた苗字・・はとても似ていた。


 他人の空似しては、同居して一緒に暮らしていくなかで、2人・・は類似することが多かった。



 ー…もし、この仮説が真実・・だとしても、響がそれを明日香に告げることは一生ない。



(明日香は明日香だ…他の誰でもない)


 それが明日香と生きると決めた、響の答えだった。



「これからもよろしくお願いしますね、響さん」

「ああ、宜しくな」


 響は、明日香に優しく微笑んだ。

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紡ぐ心音のしらべ 甘灯 @amato100

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