隠遁導師の異世界勇者育成録 ~元・最強英雄が教える魔法剣技と冒険譚~

久遠トオル

第一章 カエデ編

プロローグ

 ***

 私は眠るたびに思い出す――あの夜、私が妻である異世界の勇者マリーに剣を突き立てた瞬間を。

 思い出したくない記憶を、無理やり思い出したときのように、断片的に、霞がかったようなおぼろげな景色。

 


 薄暗い聖堂の冷たさが皮膚に蘇る。彼女の体温が腕に伝わり、彼女が私の名を、あの儚い声で呼んだ瞬間が、今でも脳裏に焼きついて離れない。

 彼女は私にもたれかかるように倒れ、その胸には私が突き立てた直剣が、深く突き刺さっていた。


 直剣をつたい滴る血が聖堂の床を濡らしていき、柄に添えられた私の手は、小刻みに震えていた。


「ああ、シグルド。あの世界の子たちが、迷い込むことがあれば」

 

 彼女がの表情が、憎悪に取り憑かれていたようなその顔が、何かを思い出したかのように見慣れた穏やかな顔となり、私の名前を呼ぶ。


「助けてあげて。 ……私に、そうしたように。」

 その時、彼女は確かに微笑んでいたのだ。

 彼女が手にしている宝石、彼女をこの世界に召喚した"救国の宝具"。それを強く握ると強い光溢れが聖堂の薄暗さをかき消した。

 そして、光が消えると、まるで初めからそこにいなかったように、幻であったように、宝具と彼女の姿が消えていた。


 ***


 救国の宝具、「異世界の勇者」を召喚する儀式、それを支える核となる宝石である。

 我が妻、勇者マリーは、この召喚によって呼び出された異界の人間であった。

 あの忌まわしき記憶の日、妻とともに宝具が失われ、勇者の召喚は行えなくなると考えていた。

 

 しかし、いつからか、不定期な来訪者として勇者が訪れるようになった。

 ――宝具は、妻は死んでいない、どこかで生きている。


 夢と現の堺で混濁した意識の中に、はっきりと"今"の私の声が響く。

 ――ああ、マリー。必ず君を探し出してみせるよ。



「先生! シグルド様!」

 椅子へ腰掛けたまま深い悪夢に沈み込んでいた男・シグルドは甲高くけたたましい声で、一気に現実へと引き戻された。

 周囲には大小の本棚が並び、そこが少し広めの書斎であることがわかる。


「ご在宅でしょーかー! ご相談があって参りました!」

 忌々しく、しかし、皮肉にも懐かしく感じる妻の記憶、その余韻がたちまちに霧散してしまった。

 ほんのわずかに眉をひそめ、ゆっくりと首を回すと、後ろで1つにまとめた銀の長髪が地面を掠るかのように、かすかに揺れた。


 その声の方向、窓の外に目を向けると鬱蒼とした深い森が広がり、木々には薄っすらと雪が降り積もっている。

 シグルドは立ち上がりゆっくりと窓を開けると、冬らしい静かで冷たい空気が吹き込んできた。

 二階にある書斎の真下。そこに立っている一人の若い女性に対して落ち着いた声で返事をする。

「そんな大声を出さずとも、ここまで聞こえている。中に入ってきなさい。」


 その声が聞こえたのか「はーい」と大きな返事が聞こえ、玄関ドアを力強く開ける音、続けてバタバタとやかましい足音がシグルドの耳にまで届いてくる。

 そして書斎の扉が勢いよく開かれると、ここまで足早にやってきたのは、私の教え子である若い女性・カエデだった。

 彼女は肩までの黒髪を軽く跳ねさせ、まだ少年のような幼さを残した顔立ちである。

 ――年の頃はもう17,8となったはずだが、もう少し落ち着いてもいいのではないだろうか。



「おじゃまし……ってうわ。なんか随分散らかってますね?」

 カエデは少し呆れたように眉を下げつつ、シグルドに向けて笑みを浮かべた。

 シグルドは自身と周囲を見渡すと、机やその周囲には様々な書類や本が散乱し、数日では効かない期間、掃除もせずにいることが明らかだった。

 それをみると、言い返すことも出来ないといったバツの悪い表情をする。


「仕方がないだろう。……それより、いつも言っているように、もう少し静かに来られないものかね。」

 それを聞くと今度はカエデが叱られたときのような気まずい悪い表情になると、言い訳を探すように部屋中に視線を彷徨わせた。

「あはは、あー……ところで、また休まずになにかの研究をしてたんですか?」


「授業の効率化、異界研究など……まあ、色々とな。」

 彼女はそれ聞いているのかいないのか、適当な相槌をうつと、積み重なった本を指さしながら「片付けちゃって大丈夫ですか」と聞いてくる。

「ああ、すまない、お願いしてもいいだろうか。そこからそこの本はしまって構わない。」

彼女はシグルドが指さした範囲の資料たちを本棚や、木箱にしまっていく。


「はーい。それより、異界の研究って、あっちの世界の話なら私でも出来ますよ!」

 胸を張って「軽妙なトークは得意です! 私にお任せあれ!」などと胸を張ってよくわからない事を言っている。

 そう、彼女もまた、マリーと同じ世界から訪れた「勇者」の一人なのだ。



「はぁ、それも興味深いな、実に楽しそうだ。しかし、今の研究は、異界の文化ではなく召喚の起源や宝具との相互作用……」

 彼女の軽口を軽く受け流し、真面目な話を始めると、みるみると眉の端を下げ退屈そうな表情となっていく。授業の際にも何度か話した内容だからだろう。

 ――まぁ、彼女は興味の対象が狭いからな。

 シグルドから見て、彼女はとても物覚えの良い生徒であった。端的に言えば才能に恵まれていた。しかし、興味の偏りからか、ある程度形になると目に見えて真剣さ薄れていくところがあった。


 まあいい、と軽く咳払いをして立ち上がり、お礼を告げ資料の片付けを引き受けると、カエデの方に視線を向け直す。

「それで、君はこんな雑談のためだけに、わざわざ辺鄙な我が家まで訪れて来たのかね。」

 彼女は目的を思い出したように一度ポンと手を打ち表情を引き締めた。

「ああそうでした。 実は私、引き受けるべきか迷っている依頼がありまして。」

 

 どこから説明したものか、と目を閉じてうんうんと鳴り出しだのを横目に、シグルドは客用のテーブルにまで広がった書類を本棚へと戻し、お茶の準備を始める。

 何度となく繰り返しているのだろう、慣れた手つきで小さなヤカンに水を入れ、用意した台座に乗せると静かな声でゆっくりとで呪文を唱えた。

 < Cal sov ign fal. >

 すると、台座には火が灯り、部屋にかすかな温かみとともに心地よい香ばしい香りが漂い始めた。

 魔法の火で温められたヤカンからは少しずつ湯気が上がりはじめ、乾燥し強張っていた部屋の空気がじんわりと緩んでいくようだった。

 

 シグルドが準備を終えて席につき、手持ち無沙汰からか見るともなく見るぼんやりとヤカンの様子を眺めていると、話の大筋がまとまったのかカエデが目を開き口を開こうとする。

「それでですね……。」

 

 シグルドは無言で手をあげそれを制止すると、そのまま用意したテーブルと椅子を指で示す。

「お茶の準備ができている。そこに掛けて、落ち着いてから話しなさい。」

 めんどくさそうに眉をひそめながら、どこか楽しげな様子で彼女が語りだすのを待つのだった。

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