第11話 すぐに世界に平和がもたらされるわけはなかった


 魔王を倒したからといって、すぐに世界に平和がもたらされるわけはなかった。


 王国の国土深くに侵攻してきた魔物の群れ、活性化した各地ダンジョンが起こすスタンピードによる被害は依然として続いており、大は公爵家から小は騎士爵家まで、王国の基盤をなす貴族領はいずれも戦時態勢を解いてはいなかった。


 私たちは行く先々で請われるままに掃討戦を手がけ、帰還の旅はずるずると延びていった。


 剣の勇者ことタナカイチローの変化は目をみはるものがあった。


 ドラゴンに対して単独で渡り合う実力を持ち、街や村落を襲う魔物の集団に先陣を切って飛び込んでいく姿は、否が応でも人々の目に鮮烈に焼きついた。

 そして困難の時代は人々に英雄を希求させる。


 時に冒険者たちをひきい、時に貴族の領兵に混じって戦う日々のなかで、強者としての自覚が将器を育むことにつながったのかもしれない。

 気がつけば、どの戦場においても采配を振るう彼の姿に違和感をおぼえなくなっていた。

 戦士としての風格が重厚さを増し、貴族をまえにしても臆することなく応対するさまは、すでに将軍と呼ばれる貫禄を備えていた。


 対する女神の感想は、そっけないものだった。


「どうせなら、魔王を倒すまえにあの処世術を身につけてほしかったものですわ」


 それは過剰な期待というものだろう。

 三人いた勇者が彼一人となった重圧が変化の大きな要因となった以上、すべては結果論にすぎない。

 それでなくとも、彼は数え切れないほどの死地をくぐり抜けてきた。

 いささか浅慮なところが見られるとはいえ、いまの彼の姿には、民衆の盾たるべき勇者を名乗る資格がじゅうぶんにあるよう思えた。


 当の女神といえば、王都への凱旋を前にして、パーティーからの離脱を選択した。


 きっかけは、出発前に神界に保護された癒やしの勇者の出産だった。


 生まれてきた赤子を見て、剣の勇者は絶句した。

 その背中には、明らかに人のものではありえない小さな翼がはためいていた。


「本当に俺の子か!?」


 思わず口から漏れ出たといった調子で叫んだ瞬間、癒やしの勇者の放った平手打ちが彼の頬に炸裂した。

 首がちぎれていないのが不思議なほど、強烈な一撃だった。


「神界に長くいすぎた影響ですわね」


 足元でびくびくと痙攣する剣の勇者を気にするそぶりも見せずに、女神が赤子の頭を撫でた。

 黒い髪がサラサラと流れる感触が気に入ったのか、乳飲み子は黒い瞳をほころばせてきゃっきゃと声をあげて笑顔を振りまいた。


「まあ、まるで天使のようにかわいい女の子だこと。っていうか、種族、天使になってますわね。名前はもう決めてありますの」


 癒やしの勇者が答えるまえに、瀕死で横たわっていた剣の勇者が目にも止まらぬ勢いで立ち上がった。


「名前ならちゃんと決めてあるぞ。男の子だったら大地と書いてアース。女の子なら地球と書いてガイアだ。いい名前だろ!」


 それを聞いた女神が慌てた様子で声をあげる。

 一方、癒やしの勇者からは、氷点下を思わせる気配が漂ってきた。


「自分の子どもにキラキラネームとか、ありえないんだけど」


「ダメですわ。もうステータスがガイアで固定されちゃってる。しかも、ごていねいに地球にルビつきで。……あー、地球ガイアちゃん、素敵なお名前でちゅわねー」


 ひきつった笑顔でガイアを抱き上げる女神の背後で、胸ぐらを掴まれた剣の勇者が往復ビンタをくらいまくっていた。


「女神ちゃん、あたし、男見る目がなかったみたい」


「ま、まあ、長い人生ですから、これから良い出会いがたくさんありますわよ。それより、どういたしますか。このまま地上に戻って世界を救った英雄として生きるか、神界で新たな役職を得て暮らすか」


「うーん。妊娠中によくしてくれたお友達もいっぱいできたし、できることならあっちで生きていきたいかな。それに、地上だとこの子、悪目立ちしそうだし」


 母の手に戻ったガイアが、嬉しげに羽を動かした。

 愛おしい手つきで赤子を抱く癒やしの勇者は、母親としての輝きに満ちていた。


「たしかに、羽の生えた天使だなんて、甘やかされまくって御神体にまつり上げられる未来しか見えませんわね。わかりました。それでは」


 言った女神が、癒やしの勇者に手をかざした。


「われ、クラウディア・メルト・デイヴィスを甲とし、齋藤彩奈あやなを乙として、甲は管理執行者権限のもとに辞令を公布する。甲のアストラル体受肉を主たる要因とする世界管理機能の低下のため、甲は乙に対し、管理執行者権限の一時委譲を決定する。一時委譲の期間は、甲が現在使用するアストラル体の使用耐用年数の限界とこれを定むる。この決定をもって、乙は第二七代統合管理官に就任することとする。辞令の有効施行時点は、公布後即時。乙がこの決定を不服とする場合、辞令が受理されるまでのあいだに明確な事由を述べよ」


 表情を消した女神が謹厳な口調で朗々と唱え終えると、あ然とした様子でそれを聞いていた癒やしの勇者の肉体がまばゆい光に包まれた。

 母親として輝くなどという比喩表現ではなく、物理的な発光現象だった。


「へ? なにこれ、なんなのこの光!」


「辞令は受理された。汝、齋藤彩奈、所属、官姓名を述べよ」


 混乱してぐるぐるとまわりながら自分の体を確認していた癒やしの勇者が、女神に声をかけられたとたん、精巧な機械で動いているように完璧な敬礼をしてみせた。


「資源管理局魔素課、現地特殊契約社員齋藤彩奈、モデルP惑星バンディリア第二七代統合管理官を拝命いたします。って、口が勝手に!」


「じゃ、そういうことで」


 一転して砕けた口調になった女神が、仕草だけは格式張った敬礼を返した。


「だえ。だうー」


 なにが心の琴線に触れたのか、癒やしの勇者の胸に抱かれたガイアが、小さなてのひらを額に掲げた。


「あらー、地球ガイアちゃんはおりこうでちゅねー。早く大きくなって、ママのお仕事手伝っちゃいまちょうねー」


「ちょっと。生まれたばっかの赤ちゃんにヘンな使命与えないでよ。そもそも、わたしに女神ちゃんの代わりが務まるわけないじゃない」


「大丈夫ですわよ。今回みたいな事態が起こらない限り、女神の出番なんてありませんもの。優秀な官僚団が実務は全部さばいてくれますわ。げんに、わたくしが魔王退治で降臨していた最中だって、世界の運営はきちんとこなしていたでしょう」


 それを聞いた癒やしの勇者が眉をしかめた。


「それ、ぜんぜん大丈夫じゃなかったよ。アカシックレコードが汚染されたときとか、ガイドの人が浄化してくれなかったら、強制シャットダウンして惑星放棄する寸前だったもん」


 癒やしの勇者はそう言うと、私に目を向けた。


「あのときは本当に助かりましたって、神界のみんなから伝言預かってます。あと、セフィロトくんによろしくって。ちょっと厨二でツンデレ入ってるけど、かまってあげないと拗ねちゃうから仲良くしてあげてくださいだそうです」


 私は肩をすくめるにとどめた。


「まあ、セフィロトくんが急にいなくなっちゃったおかげで、神界にある生命の樹に生るアストラル体の回収作業が滞っちゃって大変だったんだけどね。神界の事務官全員で徹夜しながら手作業で選別とか、青森のリンゴ農家みたいだったよ。あれ以来、ウリエルちゃんとかキレちゃって、女神ちゃん戻ってきたら切り刻んでやるって、毎日つるぎ砥いでるもん」


 それを聞いた女神が冷や汗をかいていた。


「た、たぶん、そうなっているだろうなとは思っていたんですが……」


「一時委譲ってことは、戻ってきてみんなにあやまるつもりはあるんでしょ?」


「もちろんですわ。そりゃもう、誠心誠意!」


 女神である自覚も忘れて神にすがるように拝んでくる姿に、癒やしの勇者はため息をひとつ吐き出した。


「わかった。わたしもこれからってときにパーティ抜けることになっちゃって、悪かったなって思ってるし。上でずっと見てたよ。いっぱい血流して、ひどい怪我もたくさんして。あれ、本当ならわたしがやらなきゃいけないことだったんだよね。ごめんね、押しつけちゃって」


 こらえきれずに涙を流した癒やしの勇者が、嗚咽のままに女神を抱きしめた。

 優しく抱擁を返す女神の目にも輝くしずくが溢れていた。


「いいんですのよ。あなたはその代わり、こんなにも素晴らしい命を育んでくれたではありませんか。命を奪うよりも、命を生み育てるほうが尊いことはあたりまえのことです。わたくしたちはお互いの役割をまっとうした。それだけのことですわ」


「本当にありがとう。女神ちゃん」


「メルトと呼んでくださいと、以前お願いしたはずですわ」


「ふええ、メルトちゃーーん」


 言葉にならず、ただ抱きしめあって涙を流す二人にはさまれて、ガイアが不思議なものを見るようにきょとんとした表情で背中の翼をぱたぱたと動かしていた。


 いつ復活したのか、私の隣で腕を組んで重々しくたたずんでいた剣の勇者が、感に堪えないといった口ぶりで言葉を発した。


「素晴らしい百合だ。これはこれでありだな」


 異世界人の発する言葉は、あいかわらず私には意味不明だった。

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