妹と俺が一つ屋根の下生活する話。

無知秩序

妹と兄

「おに、ご飯」


 ノック一つされず唐突に、それでいて乱暴に開け放たれる扉から顔を覗かせる妹に、俺は溜息を吐く。


「まずはありがとう。続けて、俺の部屋に入る時はノックをしろってあれほど……!」

「あ、長くなりそ? じゃ、いい。置いとくね」

「待てよ聞けよまだ序章だよ!!」


 自分で言っておいてかなりリズムのいい一言、癖になってしまいそうだ。

 ……じゃなくて! あぁ! 自分の発言に聞き惚れているうちに、天真爛漫諸行無常妹は部屋を後にしていた。


「アイツ……! もう怒った! おには怒った!」


 スッとその場に立ち上がって、豪快に部屋のドアを開ける。ガシャンパリンボキ! 聞くからに嫌な音が響いた。

 どうやら、扉の前には妹が持ってきた飯が置いてあったらしい。豪快に開けたが故に扉に挟まれたお盆はボキと、反動で飲み物が汲まれたグラスはパリンと、そのままお盆に置かれたパンがガシャンと……いや、待て。パンはガシャンとは言わないだろう。しかし、階段から転がり落ちた物の中にはガラスの破片とパンしか見当たらない。ならば、グラスのガラスがガシャンパリンとリズムよく割れてしまったのだろうか——。


「おに、騒音。不愉快、やめて」

「まずはごめんなさい。続けて、お前がこんなとこに飯を置くからだ!! 詫びるのはお前だ!!」

「なんと、それは謝罪。分かった、詫びる。ほれ、ウブな体をお好きに召し上がれ……」

「待て待てその質素な純白のシャツを上げるな薄ピンクな何かを見せるな色素を俺に言わせるな!!」


 薄ピンクな何かが何かとは言わない。妹の名誉権九割型俺のプライドで。

 何はともあれ、やってしまったものは仕方ない。リズムよく割れたグラスに免じて、ここは俺が片付けをするべきなのだろう。




   ???




 何やら不思議で不快だ。疑問が、疑念が頭の中をぐるぐると渦巻いているような、そんな謎の不快感に襲われて仕方がない。

 俺は二階に戻り、片付けたグラスの破片をゴミ袋にまとめて入れながら考える。シャラシャラと煌びやかな音を立てるグラスの破片、それでいて煌めくのもグラスの破片だ。二つの煌めきを同時に魅せるグラスの破片に歓喜の声を上げて思わずスタンディングオベーションの構えを取れば、それは声に邪魔される。


「おに、掃除終わった? 終わったならお食べ、このパンを」

「まずは終わったさ。続けて、お前も少しは手伝ってくれてもよかったんじゃないか? 大体、お前の責任五割、いいや七割、いやいや九割、なんなら九点九割ほどあるってもので……!」

「ほい」

「食べ物を投げるなーっ! おには怒り心頭だっ!!」

「詫びればいい?」

「詫びるな!!」


 ツラツラ連ねて釣られるように発する俺のコメントは、妹の考えられないほど悪質な行動に阻害される。それに怒れば、シャツの裾をチロと捲るのだから責めるに攻められなくなる。こうなると、おには弱いのだ。

 仕方なく、俺はパンを片手に部屋に戻った。




   !!!




 何やら驚愕だ。何に驚愕しているのかは定かではないにしろ、止めどなく迫る驚愕が、驚嘆が俺を突き動かしたがる。それでも意固地になって俺は動かない。心理的リアクタンスって奴だ。やれと言われればやりたくなくなるアレ。こんな時は、カリギュラ効果が一滴欲しい。やるなと言われればやりたくなるアレだ。


「おにー?」


 ドアの外から声がした。俺は快く返事する。


「おぉ、お前も遂には外から声を掛けることを覚え——」

「ご飯食べた? 美味しかった?」


 ドアが身勝手に開けられて声がした。俺は不機嫌な返事をする。


「……未だ、口にしていないよ」

「そ。食べたらまた言ってね」

「また言ってね、とは何だい?」

「うるさいよ、おに」

「そんなに声は張り上げていないよ!?」

「ね?」

「む、本当だ」


 身勝手に部屋に入ってきてまで、この子が問いたがったのはパンを食べたか否か。俺は正直に答える。片手に持ったパンは未だそのフォルムを失うことなく健全な状態だ。いや、別に一口でも齧れば健全ではなくなる、なんてことはない。


 では、何故俺はそんなことを思ったのだろう?


「——に。おに?」


 声が、俺に意識を取り戻させた。危うい危うい、俺という++、 一度夢中になれば我を忘れて熱中してしまう性分なのだ。珍しい活躍に感謝の意を示す。


「ありがとう、感謝する」

「感謝の印に、今度はおにが詫びる?」

「感謝とは、詫びることではない!」


 やはりどうしても詫びたがり詫びらせたがる子に、俺は一喝。すれば、子は部屋を後にした。全く……とはいえ、俺も言い過ぎたかもしれない。階段を降りて、あの子と一緒にパンを食べてあげるべきなのかも知れない。

 ——? はて、あの子とは一体、誰のこ——




   ※※※




 ウォーリング、エマージェンシー。危険シグナルが脳裏で鳴り響く。フォンフォンと、聞けば不安を煽るような音程で奏でられる危険シグナルは、いつになっても好きにはなれないものだ。


「おにー、一緒にご飯食べよ」


 心情を脅かす音程に身を震わせていれば、俺の部屋の扉はノックされる。コンコンと二度叩かれる扉の向こうに立つ存在に、俺は声を掛ける。


「ノックしてくれたとこ悪いが、二回のノックはトイレに人が入っているかいないかを確かめるときによく使われるものだ。俺の部屋はトイレではない。そのため、このような場合には三回のノックが適切と言えてだな——」

「ん」

「入室許可は未だ下していない!」


 ノック数について夢中に言及していれば、無言になった扉の向こうの存在は知らぬ内に部屋に入ってきていた。そうして俺の傍に座り込む存在は、小さくてか弱くて、非力だ。力を持たないがまま生きると言うのは、一体全体どれほどのウォーリングでエマージェンシーな世を渡り歩く必要があるのだろうか。

 顎に手を当ててわざとらしい思案のポーズを形成すれば、俺の手は無理やりに引かれた。


「食べてー」

「そう急かすな。大体、パンを食べる前には喉を潤わせたい」

「売るを忘れたい?」

「そんな限界商人のようなことを、俺は言っていない」


 小首を傾げて俺に問う存在は、その小さな首を掻っ切られても生きていけるのだろうか。

 一抹の不安、でもないが、一旦の不安はあったかも知れない。




   ………




 はてさて、自己紹介がまだだった。俺は自己紹介というものが苦手だ。如何様に事前準備をしようとも、どうしても実践では言葉が詰まるというものだ。「……俺は……じゃなくて、えっと……僕は……」なんて風に。キョドキョドオドオドドドドドド。それ即ち、俺が情けない情弱な存在であることを示唆していた。


「おに?」


 そんな俺に態度を変えず接してくれるのは、この女子おなごだけだ。部屋に篭り切りの俺に、ほぼ介護士のような毎日を送ってまで構ってくれる。それ自体は嬉しいものの、申し訳なさの方が強い。


「なあ、女子よ」

「なんだね、おによ」

「……ウヌは。ウヌは、自分の生き方にさちを見出しているか?」

「……だめだよ、おに」


 幸せとは、すぐに掴めるところにあるのに、すぐには届かないものなのだ。

 女子はか細くか弱い声を出しながら、俺の視界を手で覆った。




   ***




「おに、ゆき!」


 きゃっきゃとはしゃぐ妹が、玄関を開けっぱなしで外に飛び出す。


「危ないぞー」


 それを俺は気安く注意する。真面目にカッと怒鳴るのもいいが、それだと怯えさせてしまうだろう。血を分けた兄妹、仲睦まじくとは行かなくとも、仲良くはいたいものだ。


「えい!」

「ぶわふ!?」


 不意に、俺の顔面を何かが襲う。冷たい、冷たい何かだ。ものの見事に鼻筋に当たった何かはゆっくりと顔面をつたい、口の中に入り込む。


「しゃくしゃくしてて……しょっぱい! なんか嫌なしょっぱさを覚えた!」

「へへ」


 冷たい何かの正体、それは雪だ。妹が生み出した魔の死球が、俺の顔面目掛けて飛ばされたらしい。——そんなことより、このしょっぱさは何だ。街路の雪、しょっぱい、ほんのり温かい。

 ——究極の二択が今、俺には舞い降りている。


「おいおい、これはまさかで留めたほうがいいやつか?」

「おにに投げた雪、ワンちゃが放尿してたとこの」

「悪魔かお前は!?」


 俺はわざとらしく声を張り上げて怒鳴る。妹は楽しそうにきゃっきゃと笑い、またも新しい雪玉を形成してる。俺はそっと玄関の扉を閉めて、廊下に散らばった雪を掻き集める。

 ある程度集めたところで玄関を再度開き、脇の花壇に雪を撒く。きっと立派に逞しく花が育つさ、なんて祈りにも似た複雑な感情を抱きながら。


「——かくれんぼか?」


 不意に、辺りを見回しては気づきを得た。要所要所にポツポツと置かれた雪玉を残して、妹の姿は消えている。

 もういいかいと問えば、遠くから「もういいよ」声が聞こえる。


「やれやれ、かくれんぼ百戦錬磨の兄でありおにであるお兄ちゃんの俺に勝負を挑むとは、世間知らずはなはだしいってもんだぜ」


 軽口を叩きながら、俺は全神経を研ぎ澄ます。瞳を閉じれば感覚が敏感に、頬を掠める冷風、手先を苛める氷風、耳たぶを凍らす吹雪……今日は寒くて、寒さにしか感覚が回らなかった。

 俺は全神経を研ぎ澄ます。


「——ここだっ!」


 すれば、自然と妹のいる場所が分かる。


「バレた。やる、おに」

「なんせ、お前のおにだからな」


 見つけられたというのに呑気にはにかんで笑う妹に、俺は妹の頭を無茶苦茶に撫で回しながら意地悪な笑みを返す。

 未だ振り付ける雪は身勝手に、俺たちの世界を傘増しするのだ。




   ≠≠≠




 イコールに斜線さえ引ければ、計算式をなかったことにできると考えたことがある。確かあれは小学二年生、当時掛け算が大の嫌い、即ち掛け算と半ば絶交関係にあった俺。

 一×五=の答えが分からず、無意識にイコールに斜線を引いた。当時の俺に斜線なんて概念は無かったのに、本能からだろうか。

 無論、それで計算が免除されることはなく、巡回していた先生に消し消しと俺の血と汗と涙と努力とほんの少しの怠慢が生んだ美しき右斜め四十五度の斜線は、二度と生み出されないものとしてこの世界から姿を消した。

 何で今更になってそんなことを思い出したかって? それは、再び斜線に頼るときが来たからだ。スーッと、筆先から生み出される黒光する斜線。

 それがこの不条理をなかったことにしてくれたならば、どれだけ良かっただろう。




   @@@




 @妹。メンションしてまで、かの幼女を呼びつけるはこの俺だ。


「なに、おに」

「いやだな、君と過ごした日々を思い返していたんだ」




 二千十五年、妹はこの世に姓を受けた。

 どうやら産声を上げる前に眠りについたらしいマイペースな妹は、生まれてから十日にして出産を原因に生みの親を亡くした。



 

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