故郷を追われた元剣聖、田舎の森で保護した幼女を娘として育てる ~世話焼き女房な美人ギルド嬢や、素材収集ペットたちと過ごす異世界スローライフ

鳴神衣織

【第零話】 濡れ衣と暗殺未遂

0.国を追われる元剣聖




 その日、ハイネアン聖教国聖都ファルトネーの街には、朝からずっと雨が降り続いていた。


「どこ行ったっ。追えっ。絶対に逃がすなっ」


 辺り一帯は夜闇に包まれ、石畳には水溜まりができている。


 降りしきる雨音に混じって、黒い外套がいとうを着た男たちが怒号や足音をそこかしこで響かせていた。


 そんな中、男たちと同じように黒い外套を身にまとった青年が、建物の陰に隠れながら息を潜めていた。


 彼の名前はグレアム・ヴァレン・アラニスと言う。


 齢二十二の男で、かつては剣聖とまで讃えられた伝説の元冒険者だった。


 しかし、今はただのお尋ね者として指名手配されている。


 国家反逆罪、国家転覆罪、教皇暗殺未遂といった、どれも極刑に値するような罪状を冠せられた重罪犯だった――表向きはだが。


(たく。本当についてないな。やっぱり、余計な真似するんじゃなかったってことか)


 グレアムは追手の上げる足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、建物の陰から飛び出し、街路を駆け抜けていった。


 一歩前へ踏み出すたびに、路面に溜まった雨水が弾け飛ぶ。


 しとしとと降り続く雨が、街路に灯された明かりに照らされている。


 グレアムはそんな街中をひたすら南門目指して駆け続けていた。


 いずれこうなる運命だったのだろうということは、なんとなくわかっていた。


 ――あの日。


 相棒であり幼馴染でもあったがあの男に暗殺されたときから、この国、この世界にはびこる闇の深さを理解していたはずだった。


 それでもかつて自分や仲間たちが命を賭して守り抜いたこの世界が、よりよい方向へと変わってくれると期待してきたのだ。


 その結果がこの様だった。


(本当に笑える。所詮は腐った政治体制ということか。戦争を終結に導いても、根本的な病巣を駆逐しない限り、世界はよくはならない。お前が言った通りだよ。エミリー……)


『この国の上層部はやがていつか、用済みになった私たちを切り捨てる』


 彼女は常々そう口にしていた。

 そして文字通りそうなった。


 北方大陸を支配下に収めるラーズ=ヘル魔導帝国と、この中央大陸を支配するハイネアン聖教国との間に起こった覇権争い――聖魔大戦を痛み分けの終結へと導いた立役者なのに、今まさに、無実の罪を着せられ、暗殺されそうになっている。


 なんとも皮肉な話だった。


 グレアムは冒険者時代には若くして剣聖とまで讃えられ、多くの冒険者たちから崇拝されるような存在だったのだ。


 そして、そこに目を付けた聖教国の聖騎士団団長エドワール・ド・シュクルーゼ公爵によって、聖騎士へとされることになった。


 聖騎士になってからも数々の武勲を上げ、そのに勃発した最終戦争の折には、持てる力のすべてを使って、多くの冒険者や他の聖騎士たちとともに突破口を切り開き、見事に戦争を終結へと導いたのである。


 しかし、望まれて招かれたにもかかわらず、用済みとばかりに排除されようとしている。


(バカバカしいったらないな……おそらく目立ち過ぎたってことなんだろうけど)


 圧倒的なまでのカリスマ性は、現政治体制を維持したい権力者たちには目障りでしかなかったのかもしれない。


 結果、グレアムは無実の罪を着せられた挙げ句、寝込みを襲われ暗殺されそうになってしまったというわけだ。


 幸い、きな臭い噂は随分前から耳にしていたから、寝所に暗殺部隊が侵入してくる前に難を逃れてはいる。


 お陰で聖都を脱出する手筈はすべて整っていたため、当面の軍資金などは心配する必要はなかったが。


(だが、本当に南門が手薄かどうかだが)


 今もまだ、彼の無実を信じて協力してくれる仲間は大勢いる。

 彼らから仕入れた情報によれば、今夜は南門の警備が手薄という話だった。


 そこさえ突破できれば、あとは国外逃亡すれば寝込みを襲われる心配は幾分か減る。


 そう思って南門の前まで来たが、普段、二人ほど門の警備に当たっているはずの門衛が一人もいなかった。


(おかしい)


 建物の陰に隠れながら、グレアムは眉間に皺を寄せた。


 いくら警備が手薄とはいえ、まったくいないなんてあるはずがない。考えられる理由として挙げられるのは、罠だろう。


 油断して門に近づいたところを一斉包囲して捕縛、もしくはそのまま殺害。


(どうする……?)


 一応、剣聖と呼ばれていただけのことはあり、数十人程度の精鋭に囲まれたとしても、生きて切り抜ける自信はある。しかし、何事にも絶対なんてものは存在しない。


 万が一にも予想外な展開が待ち受けていたら、対処しきれるかわからない。


(だが、迷っている場合でないのも事実だ)


 このままではいずれ追手に感づかれ、包囲網が敷かれてしまうだろう。そうなったら面倒だ。


(雨や民家の物音のせいで、人の気配を察知するのも難しい……やるしかないか)


 グレアムは覚悟を決め、建物の影から飛び出した。


 そのまま高速移動し、下ろされた巨大な鉄扉門付近まで近寄る。


 夜間通用口として設けられている人一人通れる大きさの扉の鍵を開けるため、隣に設営された制御室内へと入ろうとして、思わず絶句した。


 高い城壁に設けられたその一室から、鼻をつくような血臭がしたからだ。


 それだけでなく、門を守っていたはずの衛兵の遺体まで無数に転がっていた。


 いずれも鋭利な刃で鎧ごと切り裂かれ絶命している。


(いったい、何があったと言うんだ……?)


 呆然としかかるも、すぐに我に返って扉の開閉装置を起動させ、外に飛び出した。


 遺体の側に長時間いれば、間違いなく自分が殺したと疑われかねない。


 ただでさえ重犯罪者に仕立て上げられているというのに、これ以上罪を重ねたとあっては誰も無実を信じてくれないだろう。


(……何があったか知らないが、おそらくこれも俺をはめるための罠だったということか)


 依然、周囲に大勢の衛兵たちが潜んでいる気配はない。ここさえ切り抜ければあとは自由が待っている。


(この扉を潜ったら、もう二度とこの国に戻ってくることはないんだろうな。ていうか、戻りたくもない)


 生まれ故郷であるが、もはや未練など欠片も残っていない。


 グレアムは自虐的に笑ったあと、魔法制御されている扉の鍵が完全に解錠されたことを確認すると、勢いよく外に飛び出した。


 そしてそのまま、街道沿いに南の平原を駆け抜けようとしたときだった。


 後方上空から鋭い殺気を感じ、大きく横に飛び退いた。

 先程まで立っていた地面には短剣が一本、突き刺さっている。


「……やはり罠だったか」


 低く呟き、後方を振り返った。


 視線の先、高い城壁の上に、燐光りんこうをまとった人影が風に揺れていた。


 黒い外套を着た背の高い人間が一人。男か女か始めわからなかったが、


「久しいな、グレアム・ヴァレン・アラニス」


 さびを含んだ男の声が闇夜に木霊する。


 グレアムはその声を聞いただけで、相手が誰なのか瞬時に悟って腰の剣を引き抜いていた。


「貴様はキルリッヒっ。やはり、今回の一件にも貴様が絡んでいたということか!」

「今回も、だと? 何をバカげたことを。俺は何もしてはいないさ――この件に関してはな」


 キルリッヒと呼ばれた男はそう発し、城壁から飛び降りると地面に着地した。


 被っていたフードが風に煽られ、肩までの灰髪が外気に晒される。


「グレアム。わかっているとは思うが、お前は少しばかりやり過ぎたのだ。俺は以前、忠告したはずだぞ? お前だけでなく、当然、にもな。だが、それでも言うことを聞かずに首を突っ込み続けた。だから消されることになる」


「黙れっ。エミリーを殺した張本人が何をぬけぬけと! すべて貴様が仕組んだことだろう!」


「仕組んだ? 俺がか? ……ハッ。何をバカバカしい。そのような下らないことをして、この俺にいったいなんの特があるというのだ? ただの肉塊ごとき女に弄する策など持ち合わせてはおらんよ――だがまぁそれでも、敢えてこの国風に言うのであれば、あの女が死んだのはすべて、神の御心のままに、ということになるのだろうがな」


「ふざけるなっ」


 挑発するように肩をすくめたキルリッヒに、グレアムは激情に駆られて絶叫した。そしてそのまま、長剣を正眼に構える。


「これ以上の問答は必要ない。剣を抜け、キルリッヒ! エミリーの仇だっ。今ここで貴様に引導をくれてやる!」


 めつけるグレアムだったが、対するキルリッヒは鼻で笑いながら肩をすくめるだけだった。


「いいのか? こんなところでこんなことをしていて?」

「なに?」

「お前は追われる身だろう? せっかく逃げ易いように衛兵どもを皆殺しにしてやったというのに、俺の苦労を無駄にするつもりか?」

「貴様……あれはお前の仕業だったということか――いったい、何を企んでいる……!」


 一定の距離を保ったまま、油断なくキルリッヒの動きを注視するが、目の前の男は相変わらず人を小馬鹿にしたような態度を崩すことはなかった。


「別に、何も企んでなどおらんよ。ただ、ここでお前に死なれてはつまらないだけだ」

「なんだと……?」

「わからんか? 見逃してやると言っているのだ。どこへなりとも行くがいい。そして、きたるべき日に備えて、英気を養っておくがいい――この俺のためにな」


 キルリッヒはそこまで言ってニヤ~っと笑った。


 そんなところへ、城壁の内側から大勢の人間が発する怒号が聞こえてくる。


 グレアムは奥歯を噛みしめた。腸が煮えくり返る思いとなりつつも、復讐心を堪えて剣の切っ先を眼前の男へ突きつけた。


「この場は引く! だが、いずれ必ず、貴様をこの手で血祭りに上げてやる。必ずだっ。あいつの仇を討つためにな!」


 そう宣言するや否や、グレアムはきびすを返して闇夜の中へと姿を消した。


 一方、一人残ったキルリッヒだが、すぐさま音もなく背後に人の気配が湧いた。


「よろしかったのですか? 奴を逃がしてしまわれて」

「……気にするな。今はまだ、あいつは泳がせておく。利用価値があるからな」

「御意に」


 背後に現れた黒い影は、現出したとき同様、音もなく消えた。


 そこへ、遅ればせながらグレアムを追っていた衛兵や騎士が数名現れる。


「これはキルリッヒ殿ではありませんか。こちら側に大罪人が逃亡していったという話を聞いて参上しましたが、姿を見ませんでしたか?」


 キルリッヒはそこで初めて後ろを振り返った。


「いや、こちら側では見ていないな。野盗まがいのネズミが一匹、衛兵を殺して逃げていったと知らせが届いたからきてみたが、どうやら既に逃亡したあとだったようだ」

「そうでしたか……」


 無表情で告げるキルリッヒに、衛兵は苦虫をかみ潰したような表情を浮かべる。


「本当に忌々しいクソ野郎だ。いったいどこへ逃げやがったっ……。あれだけ教皇様たちから絶大な恩寵を賜ったというのに、冒険者たちを使ってこの国を滅ぼそうとするなど、言語道断だっ。ましてや、教皇様を暗殺しようなどと……!」


 衛兵はひたすら毒を吐いたあと、キルリッヒに敬礼してから街へ戻っていった。


 それを見送る形となった彼は、


「……所詮は犬畜生の類いよ」


 一人、口元に笑みを浮かべるだけだった。



 ――こうして、かつては剣聖とまでもてはやされ、聖騎士としても大活躍した男の名声は地に落ち、瞬く間に六年の歳月が過ぎ去っていくのであった。

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