ベランダ

@mtmynnk

ベランダ

母に「父と離婚してくれ」と頼んだのは1990年代半ばの事だった。

父が俺達の子ども手当に手をつけるのは当たり前。俺と母は財布から金を抜かれ、生活費は渡されない(今で言う経済的DVだ)。

何より精神的DVも酷い。家事と育児と共働きを完璧にこなす母へ嫌味の連発。母は倒れる寸前だった。

子供達は母について行き、父は家庭からリストラされる事となった。


父は母から離婚の提案をされた時、それが俺のたっての希望だとは知らされていなかった。小学生がそんな提案をするとは思わなかっただろうし、話し合いには父方の伯父も来る。万が一の身体的暴力を恐れた母の考えだ。

離婚の提案を受けた父は、週末、俺だけを連れて近くの団地に散歩に行った。5階建ての小規模な団地だった。

父は俺に「お父さんがお前の年ぐらいの時、この団地に住んでいたんだよ」と話した。

そしてある部屋のベランダを指差した。5階の角部屋だったと思う。

「あのベランダから、お父さんはお爺ちゃんに落とされそうになったんだ」

父は当たり前のようにそう言った。

当たり前のように言う事は不思議ではなかった。父方の祖父は虐待を武勇伝として話す人非人だったからだ。

あいつならやりかねない。

父は言葉を続けた。

「お父さんの片足だけをお爺ちゃんが持って、お父さんは逆さまにされて、ベランダの柵から外に出されるんだ。時々お爺ちゃんはお父さんの片足を離そうとする。手の力を緩めて。その瞬間少し体が落ちそうになる。お爺ちゃんの気の済むまでそれは続くんだ。お爺ちゃんは笑ってる。お父さんは殺されそうなのに誰も助けてくれない」

黙って俺は話を聞いていた。

父は続ける。

「お父さんとお母さんがもし離婚したら、お前はどっちと住みたい?」

「お母さん」

俺はハッキリと父に即答した。

父は「お前は強いな」と言った。

「お前みたいにあの頃のお父さんに勇気があればな」

俺は父を見ていた。

父は何処かを見ていた。


俺はずっと考えていた。勇気があるように見えるのは時代のお陰だ。俺は特別強くない。

俺の時代は子供が殺される前に周りが通報出来た。ACのCMも言っている、役所のポスターにも書いてある。

「児童虐待を通報して下さい。あなたの通報で子供は救われます」

ゴールデンタイムのドラマにも児童相談所が出て来る。警察に通報してもいい。子供達は逃げられる。子供達には知識があった。

父の時代はどうだ?言うまでもない。子供は逃げられなかった。子供時代の父は勇気がないから逃げられなかったのではない。何の罪もない。

時代が悪かった。そうとしか言えない。


だが、大人になってからの父は虐待の再生産をした。勇気がないからだ。経済的DVに精神的DV。身体的でなくてもDVはDV。虐待は虐待だろう。

俺はずっと父に勇気を持って欲しかった。母達に優しくあって欲しかった。父は伯父と違い、何があっても身体的DVだけはやらなかった。俺は父に対してそれだけは評価していた。


テレビの中では、かつての被虐待児がインタビューに答えるようになっていた。

社会の偏見が残る中、大人になった当事者達は口をつぐまなくなっていた。

皆は口々に言っていた。

「虐待の連鎖が怖い」

「虐待の再生産をしたくない」

「あの親と同じになりたくない」

ある人は家庭を持ち、ある人は子供を諦めた。

みんなギリギリな精神状態の中、虐待の再生産を断ち切る為に勇気を出して生きていた。

父はそこから逃げた。

俺はそれが許せなかった。大人になった父に勇気を持って欲しかった。本当の勇気とは、虐待の再生産を断ち切る事じゃないのか。


1990年代半ば。

「虐待の連鎖」「虐待の再生産」という言葉は一般的になり、大人になってそれと戦う人達にもスポットライトが当たり始めた頃だった。

季節は秋だったと記憶している。



俺はもう父の声すら覚えていない。

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