第3話 微鬱
大学から徒歩十分圏内の、ボロアパートへ帰宅する。
畳みもせず床に積み上げられた洗濯物と、弁当のゴミが散乱していた。せめてゴミだけは片付けよう──そう思って、ゴミ袋へ無理矢理それをぶち込む。応援している野球チームのある選手のユニフォームは、FA宣言をしチームを出た後扇風機のカバーになって、夏を待っている。自宅でやる友達も居ないのに購入した麻雀セットも、悲しげに出番を欲していた。
ベランダを出て、煙草を吸う。ご近所迷惑なんじゃないか、なんて話もあるけれど、学生ばかりが住んでいるこのアパートは全員お互い様といった感じだったので、洗濯物も干さない深夜に、吸うくらい問題はなかった。
右隣の部屋からは、下手くそだけど一生懸命なギターの音が聞こえる。これくらいは可愛いもので、いろんな部屋から、宅飲みでどんちゃん騒ぎする音が聞こえた。そしてときたま、情事の音が聞こえる。大学近くで一人暮らししている人間というのは、体の良い居酒屋兼宿泊所となり、異性を連れ込みやすい格好のスポットとなっていた。
耳を澄ませば、ギターの音の向こう側で、喘ぐような声が聞こえてくる。
「……今日も元気だなあ」
煙草を吸いながら、ツイッターを弄る。今の状況を即座にツイッター構文へ変換し、顔ない、とツイートをした。普段は偉ぶって難解な言葉を使いたがったりするが、同時にこういったミームに飲み込まれるのも楽しく思う。
@Naniyatsu
隣の部屋からセックスしてる音聞こえてきてマジで顔ない。
大学生のイデア。
@TeN_1031
今日も今日とて新歓狩り。タダ酒飲むでい!!
ツイートの調子が良い。
「……最近、楽しいな。やっぱり」
ベランダからも見える大学の大きな建物を眺めながら、そう呟いてみた。サークル研究会の門出は、そう悪くない。堀江も運営のための仕事を頑張ってくれているし、今後サークルとしての活動を本格化させるのも悪くはないだろう。
「本格化させたところで、どうするんだ……?」
意味もないのに。
部室でまったり、誰かと雑談をしているのが楽しいから、俺は学生研究会に入った。
今、こうして幹事長という責任者の立場になってしまって、嘘で塗り固めたようなことを新歓で口走ってしまったから、何かをしなければならない、という受動的な能動に身を預けている。
結局自分は何をしたいのかも分からない。その割には楽しんでやろうという気概もなくて、せっかく気の合う友人がいるのに、目一杯遊ぼうとは思わない。美しくて、出るところに出ればすぐ良い人が見つかりそうな、気になる異性がいるのに、動こうという気にもならない。
取り返しが付くと勝手に確信してしまっているから、こうやって足踏みを繰り返し、ツイッターやショートを見るだけの日々を送っている。その割には本を読んだり講義を楽しむ力もあるから、それについて嬉々として議論を交わし、頭が良いかのような素振りを可愛い後輩の前で見せたがるほどの劣情はある。それを同期に指摘されそうになれば、あたかも最先端の思想を持っているかのように見せつけて、現実を覆い隠す。
バカみたいにセックスできれば、気が楽なのに。でも、一回それをしてしまったら、もう前の自分には戻れない。
大学は──恋愛をする場所だと誰かが言った。
勉強をする場所だろう。もしくは、将来への切符を持つ場所だ。
大学は──生涯の友を見つける場所だと誰かが言った。
生涯の友になれるだろうか? 自分は大きな嘘をまだ一つ、彼らについている。
大学は──夢を追う場所だと誰かが言った。
自分には、夢なんてない。現実を知ったかのような顔をしながら、観察者ぶって、何かに熱中できない自分を、肯定している。
「あかん。鬱きた。やばい。寝る」
ほぼシケモクの煙草を灰皿に投げ捨て、押しのけていた布団を広げる。
自棄酒して寝た。
サークル研究会の記念すべき交流会第一回は、大学生らしくバーベキューを行うこととなった。参加人数は魂の九人。俺、堀江、宵原、雀野、丹波ちゃんと、前年から残っているメンバー四名である。
開催場所はどこにしようか悩んでいたが、新歓のときに動かしまくっていたサークルのアカウントを使い、他のサークルの告知をチェックしにいって、陽キャサークルがよく予約している場所を押さえた。ツイ廃の利点は情報戦がエゴサにより得意になることだと思う。
ある公園のバーベキューコースを予約した俺は、準備のために奔走していた。天気は雨が降らなそうな曇りで、快適な気温をしている。
雀野が丹波ちゃんとバドミントンをしていて、足元が危なっかしい丹波ちゃんの姿にドキドキしたけれど、とても楽しそうでよかった。
蝋燭のような見た目をした着火剤と、木炭を上手く使い、火を熾す準備をしている。
「ねえ! 朝日! いつ点けるの! 火! 早く点けようよ!」
「待てって。興奮するな放火魔予備軍」
「えー。じゃあ待ってるね」
チャッカマンをやたら使いたがる堀江を適当に遊ばせる。誕生日ケーキの火を点けたり消したがりするガキみたいな堀江に根負けして、火を点けさせた。その後はひたすら団扇を振って、火の勢いを強めようとしている。熱気で少し汗を掻いてきて、ワイシャツの襟に指先を掛けていた。
用意したプラコップでジュースを飲んでいる宵原が、俺の真横に来る。もうすでに汗を掻いているので、臭くないかが心配だった。
「お疲れ。朝日くん。なんか飲みたいのある? 注いどくよ」
「ありがとう宵原。お茶貰ってもいい?」
「うん。おーけー。……てっきり、あのZIPPOライターどや顔で出すのかと思った」
口元に手を当て、彼女が笑う。
「やかましいわ。危ないだろ」
「へへ。なんか、軍手までして、木炭かっこいい積み方しちゃって。休日のお父さんみたい」
「俺の親父なんてこんなことしてくれたことないぞ」
宵原の家のお父さんは、かなり立派な人らしい。
なかなかお安いこのバーベキューは、大学生が出せるギリくらいの値段をしている。飲み物の持ち込みが可能なので、それが決定打になった。
同日開催のサークルもあるようで、わざわざ有料の屋根テントまで借りて、集まっている。未成年飲酒も気にしないどんちゃん騒ぎと化しているのか、バカ騒ぎして異常に目立っていた。
「いやー、お疲れ様。川端。久々に顔出そうと思って来たんだけど……あれからどうなったのよ」
火の管理をしていると、やたら話しかけられる。火を囲んで話したいという欲求は、原始時代から続く人間の本能的なものなのかもしれない。
村田事件の後もなんとなくサークルに残ったメンバーが、野次馬根性でやってきていた。彼らの目的を達成させるために、面白おかしく、学生研究会で起きたストーリーを語る。彼らのほとんどはすでにサークルを乗り換えていて、各々それぞれの場所で楽しくやっているようで、安心した。
「まあここのサークルは会費とか少ないしさあ。たまに本読みにきたいし、全然残るよ」
「やー、ありがとね。正直、公認サークル続けられるか分かんないからさ」
「ううん全然大丈夫よ。つかなんだったら、新しく入った人とも結構話してるし」
「あ、そうなん?」
「部室に居るメンバーって曜日によって全く違うからなー」
部室コミュニティの面白いところは、日によって全くメンバーが違うことだった。俺みたいに家が近くにあるやつであれば、かなり頻繁に顔を出せるけれど、家の遠いメンバーだったり、必修の都合で来れないメンバーもいたりする。
お茶を注ぎ終えた宵原が、プラコップを持ってきてくれた。ゆっくりでいいのに、わざわざ小走りでこっちに来ている。
「ありがとう。宵原」
「いえいえ。何だったら、交代しようか?」
「じゃあ、お願いしようかな」
一息ついて、椅子に座る。いくら涼しい天気とはいえ、ずっと動き回っているのは流石に暑かった。同じく椅子に座っていた堀江の方を向く。
「なー。堀江。もう、新歓もそろそろ終わりだよな」
「そうだねー。春、短いなあ」
「そしたらよ、このサークル、どうする?」
「そうだなあ……部室にだけ顔出してる人だったり、こういうイベントには来れないけど活動始まったら来てみたい人だったり、色々だよね。結構、見切り発車で始めちゃったからなあ」
「なあ、堀江。お前は何をしたい?」
「……どうしたの?」
目を少し丸くさせて、堀江が俺の顔を見た。
「いや……その、お前は面倒くさくなったり、いきなりやめたくなったりとかはしないのかなって」
「うーん……まあ、僕は会計で、まだ何か具体的なイベントがあるわけではないし、しれっと朝日がやってる仕事量には及ばないかもしれないけれど……そんな気はしないかな」
「それは、どうして?」
「僕、最初から完璧じゃないから。完璧になれたこともないし、これからも、なれることはないと思う。ただ、朝日みたいに完璧に限りなく近づけちゃう人は、疲れちゃうのかもね。こういう状況に」
俺と彼が友人になったのは、こういうところがあったおかげだと思う。
彼は、俺とふざけたいときは全力でふざけるし、真面目な話をするときは、全力で考える。常に彼は、全力だった。
「そっか」
意味とかなんとか考えているのは、暇人の証なんだろう。
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