第2話 抜刀


「……その、ということがあって。はい。恥ずかしいので、少し省かせてもらいましたけれど……」


 顔を赤らめた丹波ちゃんが、えへへ、と話す。


「へ、へー。そ、そうなんだあ。いや、川端もやるわね」


声にならない返事をした雀野が、かろうじて二の句を次いだ。ちんぽについての描写は極力カットされており、あまりにも衝撃的すぎて逆に覚えていないものと思われる。良かった。


「ふぁ…………」


 魂が抜けたみたいな堀江と、それを見て笑いを必死にこらえようとしている雀野がいる。謎の沈黙が場を包んだ後、堀江の顔が怒りで紅に染まった。


「朝日! これは酷い裏切りだよ。男子校に六年通った僕から言わせれば、朝日は本当にダメ。あり得ない。六年選手の僕から言わせれば、これは重罪だよ」


「え、堀江くんって男子校出身なんだ。確かにぽいなあ、とは思っていたけれど。まあ、顔可愛いからなんとかなるよ。元気出しなって」


 どさくさに紛れ冷蔵庫を開け、二個目のプチアイスを口に咥えた雀野が言い放った。きちんとメロン味を手に取る彼女は、優しい人だと思う。沈黙する堀江は、今の雀野の発言をどう受け取っていいものか噛み砕いている。


「…………朝日。僕と一緒に、サークルを盛り立てるはずじゃなかったの! 村田事件を忘れるなって言っただろ!」


「ヘイトスピーチおよびホモソーシャルは当サークルで禁止されている」


「130%の理想がそれなら、現実は80%だって言って、本当に必要なときにヘイトスピーチとホモソーシャルをしろって言ったのは朝日じゃないか! 僕は抜刀して、切り捨て御免する覚悟は出来てる!」


「今私と丹波ちゃんを置き去りにしてこのやり取りをしている時点で良くないんじゃないの。堀江くん」


 雀野がゴミ箱へスティックを投げ捨てながら言った。丹波ちゃんも大事そうにアイスを両手で抱えて、パクついている。


 サークル研究会における〝抜刀〟という言葉が持つ意味は、やってはいけないことをやってはいけないと理解した上で、覚悟を持って行うという意味だ。この語彙は、武士の切り捨て御免が由来であり、一度刀を抜いた以上、自らの名誉のために必ず殺しに行かなければならないということ──一度やってはいけないことに足を踏み入れたのなら、全力でやれということを表している。しかし、彼は鯉口を切っただけで、実際に刀を抜く覚悟はない。


「う、う……うわあああああああ! そうやって朝日はメロついてればいいんだ! じゃあね! また今度!」


 ドカーンと扉の閉まる音がした。


「随分と楽しそうだったね、彼」


 丹波ちゃんはまだ、プチアイスを半分も食べ終わっていない。


 最後まで雀野は、辛辣だった。

 ちなみに、堀江が次のコマの講義のために部室を出たのは、周知の事実である。



 堀江が部室を去った後、全員でまったり本の話をしたり、第二外国語の講義について話していると、あっという間に時間が経った。家に帰って家事をした後、ご両親とビデオ通話をしなければならないと言った丹波ちゃんが、帰宅した。彼女は何度もペコペコと頭を下げて、また来ます、と言った。


「いやー、しかし、新歓もそろそろ佳境ね」


 机の上に何故かある折り紙を手に取りながら、雀野は喋っている。


「そうだね。うちのサークルは大規模サークルじゃないから、初っ端から交流イベントとかはしなかったけれど、どっかで交流会でもやろうか」


「お、いいね。予定立てたら、早めに教えてね。空けとくから」


 器用な手先で、黙々と雀野が赤色の折り紙を折る。どうせ定番の鶴か何かだろうと思っていたら、いきなり可愛いハートが出来上がった。


「で、堀江くんじゃあるまいけど、あんたどうなのよ。そ・こ・あ・た・り」


 単位。睡眠。美食。サークル。バイト。そして──恋愛。

 大学生は基本的に、この六つの話題を使ってコミュニケーションを取っている。どの講義は楽単で、どの教授はヤバいから履修するのはやめろ、とか。生活サイクルがヤバくて昼夜逆転している、とか。どこどこの店が安くて美味い、とか。サークルでこんなことがあってー、とか。バ先の客がウザいとか、そんな話を延々と回す。そこから一線踏み込んだ会話の先に、恋愛が登場するのだ。


「え、何?」


「いやいやいや。お兄さん。春が来てるじゃないですかー。サークルが崩壊したのはお気の毒だけど、正直良かったとすら思ってたりするんじゃない?」


 男友達が多いことが窺わせられる話術で、雀野はずんずん踏み込んでいく。


「まず、何よりも宵原瑞規ちゃんでしょ。アンブレラカラーにチョーカーとかいう、女の子から見てもビジュが激強な感じだし、川端そういう人好きだと思うんだよねー。初日来たときも私ってよりかはどっちかっていうと瑞規ちゃんの方見てたしさあ。絶対ちょっと緊張してたよね。あと、今日来た丹波茉美耶ちゃんよね。明らかに良いとこのお嬢様って感じですっごい美人さんだし、なんか川端に対して崇拝に近い雰囲気を少し感じたから、気分いいんじゃないかしら?」


「俺は幹事長だ。サークルの和を乱すようなことはしない」


 淀みなく放った言葉に、雀野がきょとんとした。思ったよりも感情を込めて言っているのか、随分と真剣な顔をしてしまっている自覚がある。


 堀江のためにも、村田の轍を通るような真似はしたくない。宵原は男女仲の良い場所が欲しいと言ってこの場所へやってきたし、丹波ちゃんは純粋に、大学で成長したいんだ、と願ってこの場所へやってきた。


 自分は、まだそういう時間の使い方をできるほど、割り切れてない。

 彼女の言う通り、ほぼ直感的に彼女たちへ無条件の好意を寄せていたとしても、そこに引っ張られないでいることが、対等な友人として振る舞うための、条件なんじゃないだろうか。


 雀野は何か言いたげな顔をしながら、うーんと頭をひねっている。


「……なんか、貴方、恋愛嫌いなのね。いろいろ理屈こね回してそうだけど。ごめんなさいね。変に言って」

「いや、構わないよ。第一、そんな風に踏み込んでくるなら自分も入れとけ。そっちの方がフェアだろうが」


 ケッ、と言い放つ。こういう、自分をあえて勘定に入れないことによって、土俵の外から戦いを仕掛けてこようとする奴のことは嫌いだ。


 ポニーテールの毛先を指先で梳きながら、彼女はこちらをじっと見ている。


「……貴方ねえ。貴方の言ってることが正しいってのは分かってるんだけど、それを忘れて話してもいいじゃない。ほら、抜刀って言ってたし。正直私の言ってること、合ってない?」


「今はまだ刀を抜くときではない。耐えるときなのだ」


 脳内で、抜刀を想定してみる。


 正直、宵原のミステリアスな見た目が好みすぎてクソ腹立つ。


 丹波ちゃんの持ち上げ方がめっちゃ気持ちよい。沼りそう。


 雀野。洞察力がすごく高くて、普段決して周囲にバレないよう隠している感情とか悩みとかを簡単に見抜いてほしい。


 堀江。ごめん。友達でいよう。


 新歓の忙しなさが忘れさせてくれていた、サークル研究会の、サークルとしての活動がどうあるべきか、それを考え込んでいる。自分たちは何をするのか──面倒くさいその思索から逃げるように、俺はサークルのグループラインへ、バーベキューのお知らせを送信した。


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