第5話 カスの蛍の光
桃鉄の十年プレイは三時間ちょいほどかかり、ぶっちぎりの優勝かと思われた堀江の物件が、最後の一年で全て吹き飛ばされて、雀野の勝利となった。ゲームのモニタープレイのバイトをしたことがあるという彼女はセンスがよく、普通にボコボコにされた。悔しい。
ゲームが終わったころにはすでに新歓も終わっていて、辺りは暗くなり、スーツ姿の新入生は見かけられず、キャンパスを行き来しているほとんどが在校生だった。
雀野と堀江は時計を見てギョッとし、バイトがあると言ってそそくさと帰った。もし時間があればその後皆で飯でも食おうかと考えていたけれど、宵原とサシになってしまった。彼女はどうやら〝サークルにいる男〟に強い警戒心を抱いていたようだし、早めに別れた方が良いのかもしれない。
「宵原は、どこ住み?」
「足立区の方。そっちは?」
「俺は一人暮らしだなー。家から通学するには、ちょっとキツくてさ。駅まで送ってくよ」
あくまで紳士的に申し出ると、宵原は意外そうな表情を浮かべて、こちらを下から覗き込んだ。大学のぼんやりとした照明が、彼女のパンクなチョーカーの金具を、煌めかせている。
「なに、送ってくれるんだ」
「単純にまだお喋りしてたいな、と思って。堀江のあの没落具合、傑作だったなあ」
「ねー。初めてやったけど、楽しかった」
彼女は空を見上げて、月を見ている。どこか物憂げなその表情を見て、一体何を考えているのだろうか、と気になった。
「……駅まで行くのが嫌なら、全然ここで解散するけど」
「や、そういうわけではなくて。あー……その、君は、吸う?」
口の前で人差し指と中指を立てて、彼女がジェスチャーで伝えてくる。この大学には、俺たちみたいなヤニカスも、ヤニカスを心底忌み嫌う健康エリートも、どちらも存在している。人によっては本当に嫌そうな顔をするので、気遣ってくれているのだろう。
ポケットの中を漁り、銀色のそれを取り出した。
カチャン、という特徴的な音を鳴らし、ボッと火を点ける。
「ZIPPO、持ってるよ」
「……あは♡」
彼女は口に当てた手を広げ、笑った。
学生会館S棟があるこのキャンパスには、六つ喫煙所が存在している。俺が主に利用する、三号館のすぐ隣。奥まった場所に隔離された喫煙所へ、宵原と一緒に向かった。大学に入り、煙草を吸うようになってから、ヤニコミュニケーションに少し、憧れがあった。親友の堀江は吸わないので、独りで吸うことがほとんどで、少し、寂しかった。
今日、その憧れを果たせる相手が、新歓で会ったばかりの女性とも思えば、物語の始まりを期待せざるを得ない。それは性愛だけでなく、友情への期待でもあった。
何故か照明が一つも設置されていない、細い路地のような喫煙所へ行く。
「え、暗。ほんとうにここなの?」
「うん。そう。大学による隔離政策の一つだよ。ほら、看板があるでしょ」
一歩足を踏み入れると、煙臭い匂いがする。
赤い光が宙にいくつも灯っていて、明滅を繰り返していた。誰かが煙草を吸う度に、赤熱する光が揺らいでいる。喋ったことはないけれど、妙な仲間意識がある集団の中を行き、空いていた二つのベンチに宵原と並んで座った。
「ん、火」
「ありがと。ひゃー、やっぱ味違うねえ。うま。そのZIPPO、何の柄?」
彼女に言われて、ZIPPOを暗がりに翳す。そこには『カタオモイワズライ』という萌えアニメのあるキャラクターが、タイトルロゴを背に、こちらに向かってピースをしていた。
「萌えアニメのキャラクター。上野のアメ横で買った」
「きゃ、日本アニメの称揚だねえ……そんなZIPPO、あんなどや顔で私も出してみたいわ。銘柄は、何吸ってるの?」
「マジで何でも。気分に合わせて買う。そっちは?」
「私アークロイヤル。紅茶好きだし、パッケージ可愛いから。あんまロックじゃないけど」
彼女が煙を蒸かしていた。心地のいい静寂に、混ざり合った煙の匂いがする。ウルフカットの白と黒が混じり合った毛先が揺れていて、ふと、彼女は何色のギターを掻き鳴らしているのだろうか、と思った。
「なんか、やっぱり、この大学に来て良かったと思う。今日は、最高の一日だったかも」
空を見上げながら、彼女は噛み締めるようにして語っていた。よっぽど、参っていたのだと思う。俺には堀江という親友がいて、二人で鬱憤を晴らすことができたけれど、彼女は一人だった。
「あんなデカい声でバンドの話したことなかったし。あは、最高かも。そのストレスのせいで、私は吸い始めたから。そっちは?」
「あー、えっと……その、同じく、大学のストレス」
「間違いないよねえ。なんで、煙草が許されなくてお酒が許されるのか、まったく分かんないわ。煙草吸ってたっていきなり人殴ったりはしないけど、お酒飲んでたらやりかねないじゃん? 人の思考能力を奪う毒物だよ、あれ」
「今日、長い入学式を終えた新入生の保護者たち、あり得ない勢いでニコチン補給してたぞ。どっちも、そういうところはあるんじゃないか?」
「なにいってんの、娘息子が成人して、大学にも入って、子育てが一段落したんだよ? その後に吸うなんて、きっと絶対に美味しいじゃん」
彼女は、屈託のない笑みを浮かべた。
煙草って、精神状態だったり、状況によって、味が本当に変わると思う。
カスの蛍の光に、女の子と囲まれている今は、人生の中でもトップクラスの味わい深さがあった。
「ほら、よくこの銘柄バカにされたりするけど、今日のお礼に、私のやつ、吸ってみる?」
パッケージを揺らして、一本煙草を取り出した彼女は、フィルターの方を俺に向けて、差し出した。はい、あーん。そう言わんばかりの微笑みを向けた彼女に応えて、口を開く。
「はーい。咥えちゃった。これでもう、この銘柄のことバカにできないねえ。貴方のZIPPO、貸してよ。点けてみるから」
何回か試した後、ジュッという音が鳴って、火が点く。
一匹の蛍が今その光を灯して、明滅を繰り返した。必死に、今目の前にいる彼女にその存在を主張するようにして、頬を紅潮させていくように、赤熱する。
目の前の人にその柔軟さをアピールするために、俺は今まで吸おうとも思わなかった紅茶の甘みが口に残る、その煙草を吸っている。必死に吸っている。
「おいし?」
ニッと笑った彼女は口を拭って、リップを塗り直した。
「今日聞いた話が面白かったのはもちろんなんだけど、それ以上に、川端くん、面白いね。ズバズバと物を言うように見せかけて、貴方は脆いもの」
きっと、彼女とのキスはこの紅茶の味がするんだろう。こういう、その人だけの汚さとか、味の残る人に俺は惚れたい。
ねむねむぺこぺこ。
惰眠を貪り、気高く飢える俺たちは、自分たちだけの何かを切望している。
モラトリアムのときは、いつか迎える最高の日のために、過去になって初めて、意味づけられるはずだ。そう願って、そう逃避して、俺は毎日をきっと過ごしている。
「……はー。マジで美味い。お礼、とは言ってたけど、こっちもお礼したい気分だわ。だから、交換こしよう。俺の一本、そっちのパッケに入れておく」
「ん、ありがとう。じゃあ、雀野さんも言ってたけど、また連絡するから。一応、他にもサークルとか見ておこうと思って。ま、ほぼ決まりだと思うけれど」
彼女は立ち上がって、こちらに手を振る。
「じゃあ、また」
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