第7話
9.同日午前十一時
特別捜査本部は、西青梅警察署に設置された。西青梅署は青梅市西部だけでなく、奥多摩町も管轄している。一昨年の二月に新庁舎へ移転したばかりというだけあって、建物も大きく、機能も充実しているようだ。大捜査団を率いるのに、うってつけといえる。
佐野に先導されるように、桑島は本部に使われる三階の会議室へ入った。
まるで、最新設備の整った大学の講堂みたいだと思った。すでに、本庁および所轄署の一般捜査員は集結していた。桑島と佐野が入室すると、いっせいに立ち上がる。
壮観な光景だと、桑島は感想をもった。佐野が着席すると、捜査員一同もワンテンポ遅れて席につく。桑島も、捜査員たちと向かい合うように置かれた首脳陣側の席に座った。
「えー、この捜査本部の指揮を取ることになった佐野です。若輩者ですが、よろしくお願いします」
マイクを通して佐野が挨拶を述べたのだが、真面目なことを言っている姿が違和感だらけだった。中央に佐野、その左にこの警察署の署長。さらに左が、やはりこの警察署の刑事課長。右どなりが佐野といっしょに派遣された本庁の管理官・津本。そのさらに右が桑島となっていた。
津本は叩き上げで、四十代後半のベテランだ。本来なら津本が指揮をとるところだろうが、キャリアの佐野に譲る形となっている。あくまでも補佐役だ。
本庁からは、二人の管理官、四つの係が投入されている。所轄のほうも、近隣の警察署から応援を呼んであるので、近年稀にみる大所帯の捜査本部となるだろう。
世間を騒がせる大事件にふさわしい布陣となった。
部屋の前面は、巨大なスクリーンとなっている。捜査員たちには、そこに映るもう一つの捜査本部が見えているはずだ。桑島たち首脳陣は、机上に用意された小型モニターで見ることができる。
『捜査一課長の小室です。この事件は警視庁だけでなく、全国の警察が総力を結集せざるをえないほど凶悪で、絶対に解決しなければならないものです。こちらのほうで、山形・長野両県で発生した事件についても、随時情報を交換できるようなっています』
本当の意味での捜査本部から、一課長が決意を声に込める。
画面のなかには一課の理事官や、べつの管理官の姿もある。むこうは人数的に劣るとはいえ、実質上、主導権を握ることになる。長野と山形の本部とも、そこを介して、いつでもつながることができるはずである。そして、これから新たな事件が続けば、境界の垣根なく、他県警の捜査本部とも情報を共有できることになるというわけだ。
『では、はじめてくれ。そちらの様子は、つねにこちらも把握している』
佐野は、西青梅署刑事課長に目配せすると、その課長が立ち上がり、事件の概要を説明しはじめた。次いで、所轄署の捜査員が初動捜査の経過を発表しいく。周辺の状況、遺留物、目撃者の有無──。
現場は木立に囲まれた廃屋で、近くに民家はなく、地元の人間でも寄りつかない場所だという。遺留物は、毛髪・血液ともに被害者のものだけ。それ以外に動物の毛のようなものも採取されている。目撃者は予想どおり、なし。
「動物の毛?」
「はい。どうやら、ネコのものらしいです」
佐野の問いかけに、捜査員が答えた。詳しい鑑定は、まだのようだ。
「ネコ?」
桑島には、引っかかるものがあった。だが、それを言葉にするほどではない。
その後、佐野が班わりを決め、これからの捜査方針を語っていく。
そして──。
「では、この捜査のスペシャリストであり、『生贄殺人』の統括責任者でもある桑島警視の意見をお願いします」
そう言った佐野の眼が、わずかに笑っていた。きっと、そのことに気づいたのは、桑島だけだろう。
「ぼ、ぼくは……みなさんのような捜査経験はありません。ですから、みなさんのお力を借りる立場です」
話を聞く捜査員の顔は、みな、噂のキャリアがなにを口にするのか興味津々といったところだ。ノンキャリアにはノンキャリアの誇りがあり、通常の捜査では自分たちは負けない、という絶対的な自信がある。
キャリアは制服でも着て、個室でくつろいでいろ──そう考えているものだ。
ここで実績もない人間が多くを語ったところで、聞いてはくれないだろう。
「この犯人は、おそろしく狡猾で、残忍です……ですが、それだけではありません。まだ解明はできていませんが、一連の犯行には、なにかしらのメッセージが隠されているはずです──」
メッセージ、という単語を出したとき、捜査員たちの侮蔑をふくんだ眼光が降りかかった。まるで、捜査は理論ではない──と、責められたようだった。
前列に座っていた一人のつぶやきが、桑島の耳にも届いた。
「ド素人が」
思わず、発言を止めてしまった。
「桑島警視?」
ここの刑事課長に続きをうながされたが、正直、逃げ出したい心境だった。
会議室を、ざわつきが支配した。
「おい、かまわない。おまえの好きなことを言え」
佐野に声をかけられて、スイッチが入った。昨日の会見でも「ギアが入った」と佐野は表現していたが、そのときのことはよくわからない。が、いまは自覚していた。
「ネコの毛、でしたよね?」
突然、話が飛んだので、ついてこれた捜査員はいなかったようだ。数秒遅れで、さきほど佐野に答えていた人物が立ち上がった。
「は、はい……そうです」
「種類は、ベンガルかオシキャットか、とにかく豹ガラに近い毛並みだと思います。もしかしたら、山猫のような品種なのかもしれない。たとえば、アフリカに生息しているサーバルのような」
「は?」
そのとき、会議室に新たな入室者が。
佐野のところまで歩いてきて、なにかを耳打ちする。
「あ、いま、その毛の鑑定結果が出た。発表してくれ」
「は、はい……」
耳打ちした人物が、捜査員一同の注目を浴びた。
「ええ……ネコの毛らしいというのはわかっていましたが、詳しく鑑定した結果、サバンナキャットという種類だとわかりました。サバンナキャットというのは、サーバルという猫科の野生動物とイエネコをかけ合わせた品種でして──」
室内の空気が変わった。それに驚いたのか、発表していた人物の声も途切れた。
「どうしてわかった?」
佐野の視線も、どこか鋭くなっていた。
「五年前の証言です。ただ一人生き残った女性が証言しています。監禁されていた洋館で、豹の剥製を見たと」
「豹の剥製?」
「剥製だけがある部屋に、しばらく閉じ込められていたそうです。どういう意味があるのかは不明ですが、動物の毛──ネコと聞いて、豹に近い種ではないかと思ったんです」
もはや捜査員のだれからも、バカにするような言動や仕種は消えていた。
「さきほどの話にもどりますが、犯行には、なにかしらのメッセージが隠されているはずです。それを解くことが、犯人逮捕への絶対条件となる」
「解けると思うか?」
佐野が、いつもの友人としての口調で問いかけた。
「できます、必ず」
桑島は、迷うことなく声に出していた。
初日の捜査会議が終了した。
いっせいに捜査員は散り散りとなり、行動を開始する。二人一組。ある者は、聞き込みに。ある者は、被害者周辺の調査。ある者は、現場へと向かう。
本部には、連絡係や雑用担当の内勤職員以外、ほぼいなくなっていた。
「さすがだな。一瞬で、全員の興味をひきやがった」
「今日は、たまたまうまくいっただけ」
「ズバリ言い当てたところなんて、FBIのプロファイラーみたいだったぞ」
桑島は、困ったように笑みを浮かべた。佐野の眼には、うまく笑えなかっただけのように映ったかもしれない。
「これから、どうする?」
「指示はないの?」
「おれからは、ない。おまえは、おまえの意志で動いてかまわない。なんてたって、おまえは《ノマド》なんだから」
今度は、うまく笑えた。
「なにかあったら、連絡だけはすぐにしろ。いいな」
「わかってる」
10.?月?日(?)
ここは……、どこ?
わたしは、目覚めた。
知らない場所。知らない空気。覚えのない状況。
わたしは、なぜここにいるの!?
思い出せない……。
覚えていない……。
……え、え!?
そ、そんな……!
思い出せないのは、この状況だけじゃ……ない。
わたしは、だれ!?
自分が、どこのだれで、どんな生活をしていたのかも思い出せない。
すべての記憶が、どこにもなかった。
ここは……。
暗い。ただ暗い。
風もなく、空気がよどんでいる。
背中は、冷たい壁にあたっていた。わたしは、それに寄りかかっているのだ。
立ち上がろうとした。
そこで気がついた。自分の右足首には、なにかがつけられていた。
すぐに、足枷、という言葉が脳裏をよぎった。見えないけど、そういうもので捕らえられていることはわかる。自身のことはなにもわからないのに、人を拘束する道具のことは知っているようだ。
それ以外にも、わかることがある。
ここに、だれかがいた。
わたしのように、閉じ込められていた……。
どうしてだろう。なぜだか、そんな気がする。
そして、その人は……。
ダメ……考えたくない!
わたしは、どうしてここにいるの?
わたしは、なにをしたの?
これから、どうなってしまうの!?
背筋が震えた。
わたしは、たえられずに声を張り上げた。
助けて、助けて!
だけど、声は出ていなかった。
わたしは、記憶だけでなく……声までも失っていた。
生贄のギルト てんの翔 @sashika
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