第6話

         証言記録②


 どうやって誘拐されたの?


 家への帰り道だったことは覚えているんですけど……なにをされたのかは、わからないんです……気がついたら、檻のなかでした。


 それは不思議だね……、殴られたりしたの?


 殴られてはいないと思います。意識をなくしたのは、まちがいないんですけど……。ありますよね? 嗅がされると気を失ってしまう薬。


 クロロホルム?


 は、はい。それです。


 それはちがうと思うな。クロロホルムは、たしかに嗅ぐと気を失う効果があるけど、そうなるには、かなり長時間嗅ぎつづけていないとだめなんだ。もし短時間で気絶させようとするなら、濃度を高くするしかない。死んでしまうこともあるんだよ。それに帰り道ってことは、外だったんだよね? べつの催眠ガスを使ったとしても、密閉空間でもないかぎり、完全に気を失わせることは難しいんだ。


 そうなんですか……。じゃあ、わたしはどうやって……。


 考えられるのは、スタンガンじゃないかな?


 それ、本で読んだことがあるんですけど、スタンガンの電圧ぐらいでは失神することはないって。


 よく知ってるね。君の言うとおりだよ。しかしそれは、日本国内で販売できるスタンガンの場合だよ。違法に出回っているものや、改造されたものなら……。身体のどこかに、火傷の痕はなかった?


 いえ……そんなものは……。


 じゃあ、それもちがうのかな。


 とにかく、意識がぼんやりしていて……。


 甲の傷のことを聞いてもいい? つらいことかもしれないけど。


 大丈夫です。


 それは、どうやってつけられたの? いまでは消えてるね。


 はい。ついこのあいだ、手術しましたので……。


 意識があるときに、つけられたの?


 いえ……最初に檻のなかで目覚めて、どこかに連れ去られたんだ、ってわかってから、また意識をなくしたみたいなんです。そして起きたら、手の甲に。


 きっと睡眠薬か、麻酔をかけられたんだよ。


 まだそのときには、仮面の男とは会っていませんよ。


 直接、注射や薬を飲まされなくても、眠らせることはできるんだ。たぶん、煙を吸ったんじゃないかな? 外では難しくても、密閉された場所なら充分できることなんだ。


 そうでしょうか? 異変は感じませんでしたけど……。


 ほかの子たちにも、刻印があったのは知っていた?


 恐ろしかったので、そこまで観察していませんでした。


 刻印の意味は、なにか言っていなかった?


 犯人が……ですか?


 そう。


 犯人とは、まったく会話をしていないって言ってるじゃないですか……。




         8.五月二八日(日)


 翌朝の新聞を見て、桑島は気が遠くなるのを感じた。

 各紙一面には、自分の顔写真が載っている。

「写りいいじゃん」

 早速、特特室に顔を出した佐野にからかわれた。

「見出しも仰々しいぞ」

『警視庁、異例の会見。キャリア警視の挑戦状!』

『生贄殺人、恐怖の復活! よみがえった殺人鬼対、アメリカ帰りのエリート刑事』

 佐野の言うとおり、たしかに大げさな煽り文句が並んでいる。

「まあ、戦う相手が相手だけに、そうなるわな」

 佐野は、ため息まじりに言った。

「戦争、死闘……そんなワードを出したのは、おまえ自身なんだし」

 警視庁と生贄殺人鬼との全面戦争。どこかのテレビ局では、そう表現しているところもあった。

「これで、おまえの顔は全国に知れ渡ったわけだ。やりやすくなった部分もあれば、やりにくくなった部分もあるだろうな」

 そんなことは、言われるまでもなかった。

「他県警へは行きやすくなるだろうが、一般市民にもすぐに警察官だとわかってしまう。だが、どうせおまえは生贄事件のためだけの捜査官だ。ターゲットは一人だけでいい。たった一人を捕まえるだけでな」

 それも、よくわかっている。

「上から、なんかお叱りはあったか?」

「ない」

 桑島は、短く答えた。

「へえ、あんな激情にかられた発言は、ジイさんたちの嫌いなところだろうに」

「ぼくは、冷静だった」

「あれでか? らしくなかった。途中からギアが入ったろ」

 はたして、そうだったろうか……。

 桑島に自覚はなかった。

「でも……、おれは嫌いじゃない」

 それが、この男なりの励ましだということは、長年のつきあいで理解している。

「もうすぐ出発だぞ。いっしょに行くだろ」

「十一時からだよね? ぼくは経験がないからわからないけど、捜査会議って、そんなに遅い時間なの?」

「普通、最初は七時か八時だな。今回は場所が場所だから、遅い時間になった。日曜でもあるし」

 さすがに、曜日は関係ないだろう。

「それは冗談として……まあ、おまえに合わせたってことだ。朝イチから捜査会議じゃ、気持ちの整理もついてなかったろ?」

「……そんなに弱く見える?」

「いいや、精神はおそろしくタフだ。昨日の会見を眼にすりゃ、だれでもそう思う。けどな、おまえの肩に、警視庁の……いや、日本の警察組織すべての明暗がかかってるんだ。まわりのほうがナーバスになっても、不自然じゃねえ」

「それ、プレッシャーになる」

「ま、気にするな。開き直れ。もし犯人検挙にいたらなかったら、おまえ一人のクビを切って、幕引きするつもりなんだからよ。そのための布石だったんだ、あの会見も、特特室の開設も」

 薄々は予想していたことを、ズバリ指摘されてしまった。

「プレッシャーを楽しめ。警察史上、初めて独り舞台の主役に抜擢されたんだ」

「主役?」

 佐野の眼は、再び新聞の一面に向いていた。

「こんな警察官、いままでにいたか?」

 いない。わざわざ声に出して答えるまでもなかった。

「さしずめおれは、その主役を影でささえる渋いわき役ってとこだな。出演者で、一番最後にクレジットされるやつだ。特別出演、みたいな」

 桑島は、思わず吹き出してしまった。この男の発想は、毎日聞いていても飽きることはない。

「上のジイさんたちに責任を押しつけられたって、敵はべつにいるんだ。どのみち、死闘なんだろ? 途中で果てたら、骨は拾ってやるからよ」

「出発前に、縁起悪いんだけど」



 地下駐車場に接する出入口には、黒塗りの公用車が待機していた。

 ここから運転手つきの車に乗り込むなど、警察幹部にでもなった心境だった。自分はともかく、管理官である佐野は、すでにそうなっているのだろう。いずれは、自分もそうなるのだろうか──桑島は、ふとそんなことを考えた。

 すぐに内心で打ち消した。

 もう自分は、そういうキャリアではなくなっている。昨夜の会見で、それが決定づけられた。

「いつも、こんなので移動してるんだ」

「ちがうよ。キャリアっつっても、そこまで特別あつかいはされてねえ。管理官の移動は覆面だよ。今日は特別。おまえの公式デビュー戦なんだから、登場は華やかじゃなきゃ」

「華やかねぇ……」

 桑島は、適当に応じた。

「これは、捜査一課長の車だよ。課長は、帳場には来ない」

 桑島は、それをただ聞き流してしまった。佐野の表情を読み取り、そのことについて疑問をもたなければならないと悟った。

「どういうこと?」

「こういう大事件で、一課長が陣頭指揮をとらないことはありえない」

「そうなんだ」

 やはり桑島は、身の入らない応対に徹していた。よくわからないからだ。

「事件が事件だから、捜査本部は、本庁と所轄の二ヵ所でたてられる。捜査一課長は、本庁のほうを仕切る。現場のほうは、おれが任された」

「それって、めずらしいことなの?」

「本庁に捜査本部を置くことはあるが、二ヵ所になることは異例中の異例だ。本庁のほうは、山形と長野もふくめた、合同統括本部のようなものになるだろう」

 普段を知らない桑島には、驚きは無いに等しかった。

「これだから、ノマドはのんきだねえ」

 そう揶揄されても、警察学校の時分から、この『生贄捜査』のことしか頭にたたき込まれてこなかったのだ。

 捜査の「いろは」、取り調べのやり方、調書の書き方、尾行、逮捕術、射撃──警官なら出来てあたりまえ、知っているのが常識ということも、おぼつかない。キャリアとしても、管理職の心構えなど、まったく理解していなかった。

 しかしそれは、マイナスになることだけではないと桑島は感じていた。

 上の命令は、絶対服従。黒いものでも、上司が白と言ったら、白になる。

 一般市民の命より、警察組織のメンツのほうが重い。

 裏金の領収書は、なにも考えず、慣例どおりサインする。

 ……そんな悪しき風習も、桑島とは無縁だった。黒いものは、黒と言う。メンツなど、どうでもいいと思っている。

 ノマド──群れをもてない、はぐれたオスライオンのことだと、佐野は教えてくれた。

 警察という百獣の世界では、自分はまさしく浮いている。

 警察社会のなかでは、なにも知らない温室育ちのお坊ちゃんだ。

「まあ、それがおまえの武器でもある。出世にも、上下関係にも、検挙ノルマにも、おまえは縛られていない。おまえは、そういう枠の外にいる警察官なんだ」

「それって、ほめ言葉?」

「そうだよ」

 驚くほど素直に、佐野は認めた。

 車は高速には乗らず、新宿から青梅街道に入り、直進を続けた。まだ出発したばかりなのに、ひどく長い道のりに思えた。

「つくまでに、おさらいしておくぞ。被害者は、二一歳の会社員女性。住まいは青梅市。独り暮らしだった。行方不明になったのは五月二五日で、その翌日、出勤してこないのを不審に思った会社の同僚が、被害者の部屋をたずねている。その日のうちに、千葉の実家にいる被害者の両親に連絡を取り、両親が捜索願いを出している」

 二一歳……やはり、成人女性だ。あのときはすぐ打ち消したが、犯人の年齢が上がったから被害者の年齢も上がっている、という推理。あながち、完全否定できるものではないのかもしれない。

 頭の隅には置いておこう──桑島は、あらゆる可能性を見据える決意を固めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る