第5話

         6.同日午後一時


 その日のうちに、長野へ行くつもりだった。ここ山形でおこなった捜査と同様に、被害者・石井美津子の部屋と、両親をたずねる計画を立てていた。

 山形駅で新幹線を待っているときに、携帯が鳴った。佐野からだった。

「もしもし?」

 ホームのすみに移動して、応対した。

『誠一、いまどこだ?』

「山形駅。これから新幹線を乗り継いで、長野まで行くつもり」

『悪い知らせと、ただの業務連絡の二つがある。どっちを聞きたい?』

「そういうのは普通、いい知らせと、悪い知らせだろ?」

 佐野の冗談に、冗談で応えたつもりだったが、いつもと様子がちがっていた。

「どうしたの?」

『まず、業務連絡だ』

 笑い声もたてず、そう切り出した。この男らしからぬ真剣さだ。

『とにかく、東京へもどってこい。刑事部長の命令だ』

 指揮系統では、たしかに直接の上司になるが、実際には刑事部長の指示で動いているわけではない。もし命令を受けるのであれば、もっと上。刑事局長──つまり警視庁刑事部長の言葉は、イコール、警察庁刑事局長の言葉ということになるはずだ。

「悪い知らせは?」

『三件目がおこった。しかも、マスコミに現場を見られた』

「どういうこと!?」

『それも、こっちで話があるだろ』

「現場は、どこ?」

『ここだ。おれも帳場に入る』

 ということは、東京都内だということだ。

 桑島の脳裏に、これまで知り合った関係者たちの顔が浮かんだ。

 立花和美の両親。大家さん。吉原ひより。

 まだ少ない数でしかないが、彼ら彼女ら、いや……これから出会うであろう膨大な関係者にあたえる多大な恐怖を想像すると、自分のせいではないが、とても心が痛んだ。

 本格的に、殺人鬼との対決がはじまったのかもしれない。

 桑島は、気の引き締まる思いで新幹線に乗り込んだ。

 自由席に空きはあったが、座ることなく、東京までの道程を過ごした。

 本来なら長野新幹線に乗り継ぐところを、JRと地下鉄を使って、警視庁へ。

 特特室に入ると、佐野がただ一つしかないイスに座って待っていた。

「よう、おはやい帰還だったな」

 すでに、いつもの不謹慎な佐野にもどっていた。少し、ホッとした。

「どうなってる?」

「捜査本部の設置は、明日からだ。たぶん、夕方のニュースと夕刊で、事件が明るみになる」

「山形と長野は?」

「正式に発表するらしい」

 これまで故意に伏せられていた生贄事件の可能性を耳にすれば、はたしてどういう反応が返ってくるだろうか。身のすくむ思いがした。

「警視庁から?」

「そうなる。そして、おまえの本格始動ってことになるだろうよ」

 桑島は、頭が真っ白になった。

「そんな難しい顔をするな。いずれ、やらなきゃならないことだったんだ」

 プランが狂っていく。桑島は、もっとスローペースな捜査を思い描いていたのだ。

「会議室へいけ」

 佐野のその声も、どこかうわの空で聞いていた。

「三件目の詳細と、これからの方針を伝えられるはずだ」

「わかった」

「おれも、明日の準備だ」

「ほかの本部もやってるんでしょ?」

「そっちは交代だ。ま、どうせおれがいなくても、どうにかなるような帳場だったんだ」

 犯罪件数の多い警視庁管内において、一人の管理官が複数の捜査本部をかけ持ちしているのは、めずらしいことではない。が、事件が事件だけに、一つに専念させようというのだろう。

「わかってると思うが、おれが選ばれたのは、おまえのためだ」

 おそらくこれから捜査本部の中心で動いていくことになる桑島にとって、顔も知らない叩き上げ捜査員との軋轢は、必ずといっていいほどおこるだろう。それを予防するために、気心の知れた同じキャリア管理官を登用するつもりなのだ。

「それ、恩を売ってる?」

「今度、なんかおごれよ」



 本庁舎内には、いくつかの会議室が存在する。一番有名なのは、十七階にある大会議室ということになるだろう。そこでは市民を招待しての催し物なども頻繁におこなわれているから、警察関係者でなくとも入室する機会は多い。

 だが、桑島が訪れたその部屋は、簡単には入れない場所だった。

 警視庁の大物が集結するところである。壁には歴代警視総監の肖像画が並び、いやでも身が引き締まる思いにさせられる。一般の捜査員がここに足を踏み入れるということは、よほどの不祥事をおこしたとしか考えられない。桑島とて例外ではない。いずれ出世して幹部という立場になるそのときまでは──。

『桑島誠一警視。そこに座ってください』

 席に立てられたマイクを通しての声だった。刑事部長のものだ。

 部屋は縦に長く、一番奥側に警視総監が座っている。

 そのほかに同席しているのは、副総監、各部長、その下の参事官。まさしく、警視庁の中枢を担う人材たちだ。

 当然のこと、ここにいるほとんどがキャリアであり、警察官ではない。

 警察官僚である。

『緊急事態であることは、佐野君から聞いているね?』

 刑事部長の問いに、桑島は小さく「はい」と答えた。マイクに近づかなかったから、彼らの耳には届いていない。が、それでも口の動きでわかったはずだ。

『殺人現場は、奥多摩です』

「奥多摩!?」

 桑島は、驚きを隠しきれなかった。

 五年前と同じだ。

『第一発見者は、新聞社の人間です』

 さらに、驚きが膨らんだ。

「どういうことですか!?」

 声を張り上げて、問いかけた。

 それに答えたのは、桑島から見て、正面。警視総監の斜め後方に設置された大型モニターからだった。

 画面に、男性の顔が映っている。

『匿名の電話があったそうだ。そこで、殺人があったと……遺体があるとね』

 知らない……いや、どこかで見たことがある? とにかく、これまでに交流のない人物だった。

 すぐ近くに座っていた交通部長が耳打ちしてくれた。

「長官だよ」

 ああ、と納得した。ニュースなどで見たことがあったのだ。一般の捜査員にとっては、直接会うこともなく、とくに桑島は海外研修から帰ってきたばかりなので、よく知らなかった。

『その新聞記者に、現場を目撃されたことになる。遺体の心臓は、くり抜かれていた。つまり、生贄殺人が復活したという懸念をあたえてしまったことになる』

 そう続けたのは、刑事部長だった。

「報道規制は?」

 今度は、マイクを通して質問した。

『これ以上は、隠しておけんよ。警視庁としては、公表することを選んだ』

 警視総監が、決意をこめたように発言した。

『警察庁としても、その見解を支持することにした』

 モニターのなかの長官も、同意を示す。

『それで、君の意見も聞きたい』

「ぼくは、現時点での公表には反対です」

『反対かどうかを聞きたいわけではありません』

 総監は、強めの口調で言った。

 たかが一警視の分際で、われわれに意見するな、という言外の意がふくまれている。

『山形、長野の事件、そして奥多摩。生贄殺人と断定していいものか……』

「新しい奥多摩の件は、いま知ったばかりです。よくわかりません」

 あたりまえのことを、桑島は口にした。

『山形と、長野は?』

「断定はできません」

『だいたいでいい。可能性として、何パーセントぐらいある?』

「……」

 桑島は言葉につまった。

『桑島君?』

 勇気をもって、自分の考えている本音をぶつけた。

「99パーセント、同じ犯人です」

 室内に、どよめきがおこった。

 昨日、佐野には七割と告げていたが、時間が経つにつれ、パーセンテージが上がっていったのだ。

 一致していない部分も多い。だが、桑島の肌が感じ取った雰囲気……それは、勘といってもいいだろう。そんな不確かなものだが、桑島は確固たる意志をもって、そう答えていた。

『だがね、彼のように経験のとぼしい人間に判断されてもだね……』

 それは、どこの部長だろうか? あまりよく知らない。知っている部長を消去法で減らしていって、それが公安部長だと推測できた。

 生贄捜査に関わることのない部署までが結集している。それだけで生贄殺人が、どれほど警視庁にプレッシャーをかけているのか窺い知れる。

『彼は素人ではない。すくなくても、この事件に関してはね』

 モニターから声があがった。

 知っている声だった。しかし画面には、あいかわらず長官の姿しか映っていない。どうやら、長官のとなりにいるようだ。

 刑事局長の声だった。特別特殊捜査室の実質的な管理者と呼べばいいだろうか。表立っては警視庁刑事部所属になっているから、局長からの命令を直接受けることはない。

『彼に一任すべきだ。すべてのことを』

 顔を見せないまま、局長は言った。

 これを、援軍とみるべきなのか……。

 桑島は、この話し合いの結末に不安をおぼえながら、見守るしかなかった。

『まあ、ここは桑島君に任せようじゃないですか』

 言ったのは、長官だった。

 警察組織ナンバーワンの意向は大きい。

 それに異をとなえる人間は、この部屋にはいなかった。

『では、このあとひらく会見に、桑島君、あなたにも同席してもらいます』

 結論として述べられた総監の言葉に、桑島は眼を見開いた。

「なぜですか!?」

『今後、生贄捜査は、すべて君の責任でおこなわれるということですよ』

『これから、犯人と君の一騎討ちがはじまるんですよ』

 総監にかぶせるように、刑事局長の声が響いた。

『捜査ではありません。これは、戦争です』




         7.同日午後七時


 テレビ画面には、警視庁本庁舎でおこなわれている会見の模様が映し出されていた。

 中央で質疑応答しているのは、まだ若い警察官だった。

 その左右には、いかにもこういうところに顔を出しそうな、初老の男たち。きっと肩書も偉いものなのだろう。が、中央の男は、そこまでの貫祿はない。いや、とても会見の主役になりうるほどの大物とは、だれしも感じることはないはずだ。

 若い男を紹介するテロップでは、警視庁特別特殊捜査室・桑島誠一警視、となっている。

『──で、ですから……山形と長野で発生した事件は、いわゆる「生贄事件」である可能性が極めて高いと判断しています』

 とても小さな声だった。マイクを通しているので、かろうじて聞こえている。

『奥多摩の事件は、どう考えているのでしょうか!?』

『それについての検証は……これからです』

 質問者の聞き取りやすい声との対比がいちじるしい。

『それらの検証をするうえでの責任者は、桑島警視ということでよろしいのでしょうか!?』

 記者からのその質問には、中央の男は答えづらそうに、左どなりへ目配せした。

 答えたのは、そこにいた人物だった。

『刑事部長の菅谷です。今後、生贄事件の指揮系統は、すべて桑島に集約されます』

『総責任者ということで、よろしいのでしょうか!?』

『はい。そのとおりです』

 会見場にざわめきがおこった。

『それは、かなり異例のことだと思うのですが!?』

『われわれの決意のあらわれだと考えてくださって結構です。それだけ「生贄事件」を、最重要事件と位置づけております』



 菅谷という刑事部長がそう発言したところで、携帯が鳴った。

 夏美からだった。

『ねえ! 見てる!?』

「うん。見てる」

『どういうこと!? あの人、警察の偉い人なの!?』

 ひよりは、答えに窮した。

 偉い人……厳密にはちがうことがわかる。キャリアだから警視という階級だ。経験も浅く、警察官としては未熟だと、本人も認めていた。

 とはいえ、そんな話を夏美に聞かせたところで、理解してくれるとは思えなかった。一般の女子にとって、警察内の構造や階級制度のことなど、未知なる学識でしかないのだから。

『どうしてそんな人が、ひよりをたずねてきたの!? 不動産屋の人じゃなかったの!?』

「どうしてだろうね……」

 ひよりは、ごまかすように言った。

『なんの用だったの!? ひより、なんかしたの!?』

「なんにもしてないよ。わたしは、なんにもしてない」

 そう。なにもしていない……なにもできなかった。

 五年前は……。

「ごめん。もう切るね」

『え!? ちょっと!? ひより──』

 一方的に通話を打ち切った。

 テレビ画面を凝視する。桑島のアップが映っていた。

 昨日会ったときとは、ちがっている。緊張していることが、液晶画面越しでも伝わってくる。時折、声が上擦っているし、なによりも聞き取りづらい。慣れない状況に追い込まれていることだけが、彼の平静を乱しているわけではないだろう。責任の重さを実感しているのだ。

 その責任とは……。

 なぜ彼が、自分のもとにやって来たのかを理解した。

 復活した……。

 あの犯人が!

『では、桑島警視を、生贄事件専任の捜査官と認識していいのでしょうか!?』

『ですからさきほどから、そうです、と申し上げています』

『刑事部長ではなく、警視の口からお願いできますか!?』

 頻繁に、横から質疑に割って入ってくることに業を煮やしたのか、記者が語気を荒らげて発言した。

『警視、決意のほどをお願いします! 犯人に向けて、なにかメッセージを!』

 ここは、本当に日本なのだろうか。アメリカのニュースでなら、捜査官が直接、犯人に訴えかけるところを眼にしたことがある。

『え……ええ……ぼ、ぼくから言えることは──』

『さきほどから声が小さいんですよ! もっとハッキリおっしゃっていただけますか!?』

 ビシッと言われたことで、会見の模様が刺々しくなったような……。画面のなかは、記者たちの嘲笑であふれている。

 ひよりは、気の毒に思えた。自分のことのように、見守るしかなかった。

「がんばって」

 知らず、声に出していた。

「……え?」

 ひよりには、わかった。

 いまの応援が届いたわけではないだろうが、桑島の眼の色が変わっていた。

『警視!? しっかりお願いします!』

『失礼しました』

 どこか保守的なイメージのある彼からは想像できないほどに、顔つきが精悍になっていた。

『必ずや、犯人を検挙します。もしこの会見を犯人が観ているのでしたら、自首することを……』

 大きく聞き取りやすくなったのも束の間、桑島の言葉が、ふいに途切れた。

『……そんなことはありえない、ですね。自首するような犯人ではない』

 気のせいだろうか、桑島の瞳が輝いたような錯覚をおぼえた。フラッシュの光とは異質のきらめきが、確かに見えたのだ。

『ぼくは、絶対にあなたを追い詰めます。そしてこれ以上、犠牲者を出さない』

 とてつもない覚悟が感じられた。

 桑島は、誓っている。

 これまでの被害者遺族に。これから被害者になるかもしれない女性たちに。

 そして──。

(わたしに)

 そこで、ノックの音がした。ドアを開けると、寮母の藤崎が立っていた。

「吉原さん……」

 不安をたたえた瞳をしている。ちがう。そこには、ひより自身の姿が映っているから、そう思えるのだ。

「あの刑事さん、ここをたずねてきた」

 狭い部屋だから、藤崎の位置からでもテレビ画面を確認することができる。

「そうだったんですか……」

 ひよりは、つぶやくように言った。大学へ来るまえに、立ち寄っていたのだろう。

「近くで空き巣被害がありましたので気をつけてください、って」

「たぶん、わたしがどういうところに住んでいるのか見ておきたかったんだと思います……とても頭の良い人でしたから」

「もう会ってるのね」

 ひよりは、うなずいた。

「あなたにそう思われているのなら、頼りにできる刑事さんなんだ」

 それには肯定していいものか、ひよりには疑問が残った。

 頭脳のほうは、頼りになるだろう。が、体力的には……。

 ひよりも振り返って、テレビ画面を視界に入れた。

『今後の捜査方針などは!?』

『さきほど、上司から言われたことがあります』

 記者の質問には答えず、桑島はそう口にした。同時に立ち上がる。それに合わせて、画面も桑島にズームアップした。

『これは捜査ではなく、戦争である──と。犯人とぼくとの……全警察組織との死闘です!』

 その決意に、ひよりは眼を見張った。

 彼とともに、自分も覚悟を決めたような気持ちになった。

 戦争である。

 犯人との。

 わたしと、彼とで──。

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