第3話
3.同日午後二時
東京、霞が関。警視庁本庁舎の、とあるフロアの片隅──。
もともとは、備品の積まれた倉庫だったらしい。その小さな一室が『特別特殊捜査室』のオフィスになる。
机は、一つしかない。パソコンも一台。ロッカーも一つ。飲み物用のカップも。
桑島は、ただ一つの席についた。部屋も狭いから、それほど孤独は感じない。むしろ、居心地の良い空間だ。実際に利用したことはないが、マンガ喫茶の個室とはこのようなものなのだろうか。
「よ、誠一! 長野は、どうだった?」
「おみやげはないよ」
桑島の帰りを待ち構えていたようなタイミングで、佐野が顔を出した。下の名前で呼ぶ人間は、いまでは親と、この男だけになっていた。刑事部捜査一課管理官の任についている男だ。同期だった。当然、キャリアということになる。
元来、インテリ犯罪などをあつかう二課はべつだが、刑事部の管理官には、叩き上げのノンキャリアが就くことが常識だった。しかし近年、キャリアの管理官を登用する動きが加速している。佐野は、まさしくその流れにのった形になる。
「こんな僻地へ、油売りにきていいの? 捜査一課は忙しいんだろ?」
「バカ言え。おれがいなくても、捜査は進んでいくんだよ。キャリア管理官なんて、お飾りでしかねえんだからよ」
佐野という男もまた、桑島と同様に変わり者だ。だが、出世欲はもっている。だから『特特』の話を蹴ったのだ。
「ま、穏便に不祥事さえおこさなければ、半年ぐらいで、べつのところに栄転できるさ」
「あいかわらず、飽きっぽい性格だな」
彼と桑島は、大学時代から親交がある。彼の趣味や考え方まで、桑島はよく把握しているつもりだ。
「巧妙な計算って言ってくれよ。刑事部に来たってことは、それだけで出世からは遅れをとってんだ、おれたちは」
警視庁にしろ、他県警本部にしろ、刑事部への配属は、キャリア的にはあまりうま味はない。出世コースど真ん中は、公安・警備・警務だ。
警察といえば、刑事部が花形──というイメージは、一般市民や、捜査一課でバリバリやりたいという一部のノンキャリアだけのものだ。そしてノンキャリアの場合でも、長い警官人生を考えたら、やはり警備・警務のほうが望ましい。
「ぼくもいっしょにするな」
「ああ、そうだった。おまえは出世に興味のない変人だったんだな」
「だれが変人だ。だいたい、そんなに偉くなりたければ、財務省へでも行けばよかったんだ」
「入れるものなら、入ってた」
ついでにいえば、警察庁をめざした段階で、官僚というグローバルな視点で判断した場合も、遅れをとっている。
本当のエリートは、財務省か外務省を選ぶものだ。
「愚痴は、そのへんにしといて。こっちは一人しかいないから、けっこう忙しいんだ」
「はいはい。で、どうだった? 初めて生還者に会ってきたんだろ?」
はいはい、の時点で話を切り上げてくれるものと思ったが、佐野は会話を続けようとしている。
「なにが?」
「彼女の感想だよ。たった一人、生き残った少女……どんなふうに成長してた?」
「生贄事件に興味があるの?」
「警察の人間なら……いや、日本人なら、だれでも興味はあるだろ? 前代未聞の凶悪事件なんだから」
「ここの話を蹴ったくせに」
「それとこれとは、べつだ。それに、おれが蹴ったから、誠一、おまえが特別捜査官なんて大層なものになれたんだろ」
悪びれもせずに、佐野は言った。
べつに、この男が断ったから、自分にまわってきたわけではない。もし、真実がそうだったとしても、絶対に信じない。
「とても聡明で、きれいな女子大生になってたよ」
「へえ、うらやましい」
不謹慎なその言葉に、桑島は眼がつり上がったことを自覚した。
「こわい顔すんなよ」
「そういう顔にさせるようなことを口にするな」
「なるほど。おれは、いまはじめて『口は災いのもと』という諺を実感した」
「正確には、口は災いの門──だ」
「そんなことは、どうでもいい」
心なしか、佐野の表情が真面目になったような。
「大丈夫なのか?」
「ん?」
「事件だよ、事件。山形の次は、長野。同じような猟奇事件が続いたんだ。まさか、復活したわけじゃないよな? これからも、まだまだ続くなんて言わねえよな?」
「じゃないといいね」
「おれのところには、おまえのよしみってことで刑事部長から話がまわってくるが、ほかのやつは知らん。ただの単発した事件だと思ってる。地元の警察も、マスコミもな」
生贄事件の可能性があるものは、厳重な情報統制がなされている。長野・山形の事件の関連性を疑っているのは、警察庁刑事局長以下、数人の幹部だけになる。警視庁では、刑事部長と佐野、そして桑島の三人だけだ。常識的には、総監や副総監の耳にも入っているのだろうが、桑島の立場では雲の上の存在すぎて、想像の域を出ない。
「どれぐらいの割合だ? 半々か?」
「7、3かな」
「どっちが7だ?」
桑島は、明言をさけた。
「おい……、なんてこった」
その反応で、どちらが7で、どちらが3なのか予測できたようだ。
「本当に大丈夫か?」
「なにが?」
「おまえだよ、おまえ」
「大丈夫にきまってるよ」
桑島は、軽く返した。本心は、弱音を吐きたかった。不安が重くのしかかる。
自分に、犯人を捕まえられるだろうか。
これからの被害者を、一人でも多く減らせるだろうか。
彼女を──吉原ひよりを救えるだろうか……?
彼女の左手の甲にも、刻印がされていたはずだ。いまでは、消えていた。資料によれば、内腿の皮膚を移植した、とある。
二本の横線の上に、丸い点が三つ。
古代マヤ文明の表記では、数字の『13』をあらわしている。
生贄とマヤ数字──。
それが、なにを意味しているのか?
新たな犯行が、1からおこなわれている確証はないし、そもそも数字に順番や法則性はないのかもしれない。だが、もし自分の想像どおりだったならば……犯人は『13』に向かって──吉原ひよりに向かって犯行を重ねているのではないだろうか。
五年前は、なぜだか断念した。
『12』で止まった。
いまになって、再び彼女へ迫ろうというのか……。
(いや)
脳内で、桑島はその考えを打ち消した。
仮に『13』へ進んでいるのだとしても、その『13』番目が、彼女だとは言い切れない。五年前がそうだったとしても、今回はちがうのかもしれない。
彼女に『13』の資格がなかったから、五年前は断念したのかもしれないのだ。
資格?
資格とはなんだ!?
「おい、誠一、聞いてるのか?」
佐野の呼び声で、思考を中断した。
「あ、ああ」
「じゃあな、おれはいくわ。明日からは、どうするんだ? また地方か?」
桑島はうなずいた。
「山形と長野の被害者に接点がないかを調べてみるつもりだ」
「まるで、FBIみたいだな」
佐野の揶揄は、こういうことだ。
『特特』は警視庁の一部署でありながら、権限は東京都内にかぎらない。生贄捜査のためならば、全国を自由に動きまわることができる。
他県警への根回しや、上司の許可などは必要ない。直接の上司は、警視庁刑事部長ということになるが、それは建前で、実質はどこの下にもつかない独立したセクションということになるのだ。その権限は、警察庁長官から保証されている。
全国の警察本部を統括する警察庁には、アメリカの連邦捜査局のような捜査機関は存在しない。もし警察庁に日本全土をカバーする捜査機関を置くとしたら、「日本のFBI」と呼ばれる組織になるだろう。
もしかしたら『特特』が、その先駆けになるのかもしれない。
国家公務員であるキャリアから選ばれたのも、そのことが一因としてあるはずだ。
「《ノマド》だな」
佐野が、おかしなことを言いだした。
「ノマド? 遊牧民のこと? それとも、あれ? 決まったオフィスをもたずに仕事をするってやつ? ノマドワーカーだっけ? でも、ちゃんとオフィスは、ここにあるよ。狭いけど」
自宅や会社ではなく、カフェや図書館にパソコンを持ち込んで仕事をするスタイルが流行だという。最近読んだ新聞か雑誌に、そう書いてあった。
「ちがうよ。ライオンだよ。ライオン」
「ライオン?」
「そうだ。はぐれたライオン」
桑島は、佐野の眼をみつめた。
「まだ若いライオンは、群れ──プライドっていうんだがな、それをもてないから、さまようしかないんだ。すでに君臨しているリーダーを倒さなけりゃ、プライドはもてない」
「それが、ぼくなの?」
「そうだよ。群れをもてずに、さまようライオン」
自分の群れを手に入れるためには、既存のリーダーから奪うしかない──佐野は、そう言っているのだろうか。
群れのリーダーとは、犯人のこと?
つまり、犯人を捕まえなければ、ここに居場所はないと……。
おもしろい発想をするな、と正直、感心した。
言葉には出さなかった。
この男は、すぐ調子に乗るからだ。
4.同日午後八時
大学からほど近い場所に、ひよりの住む寮はあった。
男子禁制で、生徒しか入居することはできない。門限は九時。バイトをしている者は、十時まで許される。食事は、朝・夜と寮で出してくれる。トイレは共同だが、シャワー付きのバスルームが各部屋に設置されている。
全十五室で二階建て。外観は真新しく、女子好みのアパートといった感じだ。
ひよりは、一階の食堂でくつろいでいた。
寮母の藤崎がやって来て、となりに腰をおろす。年齢は、三十代半ばぐらいだろうか。女性同士でも失礼になるという思いから、年齢をたずねたことはない。
食事の後片付けが終わり、休憩をとったところのようだ。
「調子、どう?」
「いいですよ」
ひよりがそう答えると、藤崎は微笑んだ。
寮のなかでは彼女だけが、ひよりの過去を知っている。
ひよりの両親は一人暮らしをすることに、断固として反対していた。陰惨な過去があるのだから、どんな親でも手元に置いておきたいと考えるのは自然な流れだ。
ひよりには、そんな両親の心配が、とても重荷になっていた。それが自分を守るためだとわかってはいても、自由をもがれた鳥籠の住人……そう自分のことを哀れむようになっていた。
家を出たかった。両親に守られつづけることが、むしろ事件の風化を止めていた。
あの記憶を忘れるためには、自分の力で羽ばたかなくてはならないのだ。
ひよりは、両親を必死に説得した。何度もぶつかり、何度も涙を流した。
あきらめかけていたときに、なんとか両親が折れてくれた。
父が大学側に相談したら、ここを紹介してくれたのだ。大勢が住む寮なので、考えようによっては、自宅よりも安全だ。一人暮らしとはいえなかったが、それでも過保護からは脱出できたので、ひよりは満足していた。
学校側から、藤崎には話が伝わっている。凄惨なあの事件の関係者であることを知られるのに抵抗はあったが、藤崎はみんながいるまえで露骨に気づかったりはしない。いまのように、一人でいるところを見計らって声をかけてくれる。
「勉強のほうは、どう?」
「あ、ああぁ……それはどうだか……」
今度は、声をあげて笑った。
「はは、まあそんなもんか。最近の女子大生は」
「そういうもんですよ」
ひよりも笑いはじめた。そこで、携帯が音をたてる。夏美からだった。
藤崎に、ごめんなさい──と、ことわってから携帯に出た。話しながら部屋に向かう。
部屋は、二階の奥から二番目。
『で、どうだったのよ?』
「なにが?」
六畳一間で、エアコンは完備。勉強机とベッドも最初から付いている。テレビは、実家からもってきた。
朝・夕は食事が出るので、キッチンはない。昼食を弁当にしたい場合や、休日のお昼に料理をしたい者は、食堂の調理場を貸してくれる。ただ、食事付きの寮に入ってくる段階で、自炊しようとする生徒は少ない。実際、料理を作っている寮生を見たことはなかった。
『不動産屋の人!』
「ああ、それね。不動産屋じゃなくて、寮の管理会社だよ」
『似たようなもんじゃない』
部屋にいるかぎり、一人暮らしとちがいはなかった。寮であることを実感するのは、食事のときぐらいだ。藤崎が私生活に口出しをすることもない。
『連絡先とか交換しなかったの?』
「名刺はもらったよ」
『えー、いいなー。ねえ、番号教えてよ』
「それはムリ」
『どーしてー!?』
管理会社ではなく、刑事だと教えるわけにもいかない。言ってしまえば、夏美に、自分が『生贄事件』の生き残りだと知られてしまい、あの桑島という刑事の気遣いも無駄になってしまう。
『じゃあ、今度会ったら、わたしの番号教えといてよ』
「それは、ちょっと……」
あまりにも恥ずかしい頼みごとに、ひよりは引いた。
『なんでよぉー!』
「がっつきすぎじゃない?」
『最近の女子は、それぐらいがいいのよ。って、雑誌に書いてあった』
「あのねぇ」
『絶対よ、約束だかんね』
「わかったわよ……」
仕方なしに、そう口ずさんでしまった。
『あ、それから、あの日のこともね』
あの日? すぐに思い出した。
「あれでしょ、サッカー。わかってるよ」
『なんか興味なさそうだから、忘れるつもりでしょ』
「そんなことないよ」
『じゃあ、いまからカレンダーに丸つけといて』
「もう」
面倒くさいと感じながら、壁にかけてあるカレンダーに近づいた。世界各地の遺跡写真のカレンダーだった。五月は、モヘンジョダロ。
あと五日だからいいか……。
まだ五月二六日だが、五月を破いた。六月は、モアイ像だった。
「七日だったよね? はい、いまつけたよ」
約束の日に、赤で丸をつけた。
『よしよし、それでよし。あ、でね、この話知ってる?』
まだまだ夏美の話は終わらないようだ。
たわいもない会話は、夜更けまで続いていった。
* * *
どこかの夜──。
女は、絶叫を放った。
どんなに声を張り上げても、だれも助けにきてくれない。
恐ろしい。
痛い。悲しい。
声が出なくなった。枯れ果てたのだ。
逃げ出したい。やり直したい。
どうしてこんなことになったのか!?
イヤだ! こんなところで死にたくない……。
イヤだ……イヤだ……。
死にたくない……死にたく……。
でも、これでいいんだ……すべて終われば、楽になれ、る……。
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