転生先は悪妻~旦那様はお呼びじゃないの~

有木珠乃

第1話 最悪なスタート

 転生先を選べるのなら選びたいし、時間軸もまた然り。


「エミリア。しばらく不便をかけるが、分かってほしい」


 目の前の男が何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。

 重苦しい空気。いかにも執務室といった感じだ。


「君はザイーリ公爵夫人なのだから」


 夫人?


 思わず辺りを見渡した。が、他に夫人と呼べるような人物はいない。つまり、私のことを指しているらしい。

 さらに言うと、目の前に座っている、この男は誰なのだろう。


 まさか旦那ってことはないわよね? もしかして私、怒られている最中?


「申し訳ありませんが、もう一度言ってもらえませんか?」


 怒鳴られる覚悟で聞くと、男は勢いよく顔を上げた。驚いた表情なのは残念だが、なかなかのイケメン。

 けれど、魅力には欠けた。たとえるなら、そうだなぁ。なよなよした男。あからさまに気が弱そうだと思った。


 うん。私のタイプじゃない。


 それが態度にも表れていたのだろう。目の前の金髪男は一瞬、ひるんだ表情をした。


「だからその、彼女が無事に子を産むまで、この屋敷で世話をしたいんだ」

「彼女って? それに誰の子なんですか?」

「それは勿論、俺の子で……」

「で?」

「彼女は…………」


 金髪男はそういうと、うつむいたまま何か言っている。


「はっきりしろ!」


 思わず机を叩いた。


「俺の愛人です」

「私は?」

「へ?」


 もう一度叩いてやろうか、と思ったが、やる方も手が痛くなる。今もじんじんしている手の代わりに睨んだ。


「お、俺の奥さんです」

「なるほど。ありがとう。状況は分かったわ」

「は?」


 私は間抜けな声を出している、旦那と思われる金髪男に背を向けた。


 なにせ、今はそれどころではない。詰まるところ私は、旦那に浮気された挙句、身籠った愛人がやってくる、という修羅場に挑もうとしているのだ。


 マジか……。面倒臭いなぁ。正直、こんな男に興味なんてないし。愛人さんが来るならいっそう、引き取ってくれた方がマシ。


 あぁ、でもそしたら私は? こういう場合って実家に帰るんだっけ? それはそれで面倒だなぁ。


 愛人に旦那を取られて、出戻りました。なんて娘を快く迎えるかしら。

 下手をすると、恥さらしとか言われて追い出されるか。もしくは、再び嫁がされるか。その場合、決まってロクな相手じゃなさそうね。

 なにせ、出戻り女を引き取ってくれるなんて、そんなできた男、物語の中だけよ。


 ここは、ザイーリ公爵だったっけ? 私が快適に過ごせるように、ちょっと利用させてもらおうかしら。

 そうね、例えば仕事、とか。させてもらえると有り難いんだけど。


 私は一つ頷くと、再び金髪男と向き合った。案の定、驚いた顔をしている。


「先ほど、私のことを夫人と言ったわよね。貴方のお仕事は?」

「な、何を言っているんだ!」

「妻が旦那の仕事を聞いて何が悪いことでも?」


 怒鳴れば黙るとでも思っているのかしら、この男。私は笑顔で尋ねた。


「……いえ、ありません」

「じゃ、答えて」

「はい。まずは国の仕事で――……」

「あー、国は良いわ。それは貴方がやって。他は?」


 状況は分かっても、ここがどこだか分からない以上、国の仕事を聞いたところで、私に出来ることはないと思う。

 そもそも、愛人が身籠ったという理由で、屋敷に引き取りたいと言える国だ。

 男尊女卑とまではいかなくても、それに近い環境なのだろう。一応、妻である私に了解を取るのだから。


 ならば、やはりここは見知らぬ“ザイーリ公爵夫人”の実家よりかは、ここにいる方がいいのかもしれない。


「あとは、領地と商会を幾つか経営して……います」

「そっちは私がやるわ」

「やるって、君がか?」

「えぇ。その代わり、貴方は愛人さんについていてあげて。そこまで仕事をしていたら、時間が取れないでしょう。向こうは妊婦さんなのだから、色々と不安だと思うのよ。さらに慣れない環境。さぞ心細く思うでしょうね」


 私は目を閉じ、手を口元に持っていった。俯くように見せれば、それらしくも見えるだろう。

 本音は、「目障りだから、彼女さんのところにさっさと行けば」である。けれどここは、相手の神経を逆なでしてはいけない。


「い、いいのか、君は。俺が向こうに行っても」

「行きたくないのなら、止めないけど?」

「いや、行きます。行かせてもらいます!」


 そうよね。奥さん(?)の私がいいと言っているのに、断るわけがないわよね。


「だが、どうやって領地や商会を経営するつもりだ? 今までそんなことをしていなかったじゃないか。この屋敷にやって来た時、君は『そんなことをするために、嫁いできたのではありません!』と言っていたと思うんだが」


 何それ……。始めから印象が悪かったの? この“ザイーリ公爵夫人”は。


「年月が変われば、人も変わるものよ。貴方だって、そうでしょう。私が屋敷にやって来た時は、愛人さんとよろし……ではなく……ここに連れて来ようと企んでいたの?」

「ひ、人聞きが悪いことを言うな! 俺は一応、誠実に対応していたつもりだ。だけど君は……」


 なるほど。この“ザイーリ公爵夫人”の対応が悪かったのね。まぁ、真相はあとで他の者に聞くとして。この金髪男をどうにかしなければならない。


「悪かったと思っているから、領地から商会まで、経営を受け持つと言っているのよ。貴方にとっても、悪い提案ではないと思うんだけど、違う?」

「……分かった。執事に話は通しておく」


 金髪男は観念したように、承諾してくれた。

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