私を知って


「それがボクって人間だってことを、知っておいて欲しいだけなんだ」


彼の言う通り、それは願いですらない言葉だった。

だから、彼女はそれを黙って受け取るしかないのだった。


「ぼく、ADHDなんだ」
「わたし、自分の性がよくわからなくて…」
「配慮が欲しいとかそういうことじゃない。ただそういうことなんだってこと、知っておいて欲しいんだ」


彼らがそういうたびに、彼女はそれを受け取った。

何も言わずに、うなずいた。

それだけでいいと言われれば、彼女に他の選択肢はなかった。

なぜなら、彼女は彼らのような悩みを抱えない、「普通の人」だったから。


けれど、そうするうちに—彼女の前には列ができた。


「特別な」悩みを抱えた人々は、次々に彼女に告白を差し出した。

まるでそれがプレゼントであるかのように、小さな箱に詰め、彼女の心にそっと押し込んだ。


発達障害、自認の揺れ、過去のトラウマ、つらい家庭環境。彼女はそれをひとつひとつ受け取った。


そんなある日のことだった。

彼女は、自分の中のどこにも「自分」がいないことに気づいた。


心の中は、誰かの告白で埋め尽くされている。

けれど、その中の誰一人として、彼女のことは聞いてこなかったからだ。


「あの、私…」


彼女は声を上げようとした。

あの人々と同じように、配慮が欲しいわけじゃない。

でも、こんな私の心の内を、誰かに知って欲しいと、そう思ったのだ。


果たして、彼女の声に誰かは振り向いた。


しかし、その誰かは彼女が口を開く前に、嬉しそうな顔でこう言った—
「…あの、聞いてほしいことがあって」


その人が差し出した箱を、いつものように、彼女は受け取った。

ぎゅうぎゅうになった心のどこかで、何かが静かにきしむ音がした。

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1分で読める超短編小説集season2 黒澤伊織 @yamanoneko

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