土の記憶
「なんか、味がしないんだよ」
ユウは口に入れたレタスを噛みながらつぶやいた。
ユウが口にしたのは、無菌ドームで育てられた“第八世代レタス”。
遺伝子調整済み、完全水耕栽培、栄養価は最適化済み。
人類が“地上”を捨ててから、野菜は”土”で育つものではなく、
“製造”されるものになったのだという。
「またあなたはそんなこと言って」
それを聞いた母は笑った。
「大丈夫よ、身体に必要なものは全部入ってるんだから」
しかし、ユウは母に気づかれぬよう、ため息をついた。
そうじゃない。 このレタスには“何か”がない。そして、自分にも。
他人の言葉が薄く響き、自分の身体さえ借り物のような感覚。
まるで“自分という存在”に根がないような、そんな虚無。
まるで——そう、古い記録層の奥で、偶然見つけたあのファイル。
このレタスと同じように、完全な栄養に満ちた水槽の中に浮いていた、あの奇妙な子供たちのように——。
——ズキン。
唐突にこめかみが疼き、ユウは頭を抱えた。
「どうしたの!」
驚いた母がユウに触れ——何事か呟く。それから、
「大丈夫よ、さあ、これを…」
母が口に押し込んだ錠剤を、ユウは力なく飲み込んだ。
甘く、下に広がるその味に、ユウはいつものように眠気を催し、
母の腕に倒れ込む。
その温かなまどろみの中で、ユウの手は何かを掴もうとする。
今度こそ忘れまいと、そう決意するかのように。
「なんだ、また思い出したのか」
いつのまにか現れた父が、苦虫をかみつぶしたような顔で母に言った。
「第八世代は、まだ出来が悪いな」
「レタスは完璧だっていうのにねえ」
母は記憶装置からパスワード付きのファイルを取り出すと、
それを空中でパラパラとめくった。
「培養記録ファイル:個体No.00831Y 機能特性:完全水耕型生体」
それは、ユウがあのレタスと同じ、 土を知らず、水と電解質で育てられた「育成物」だということを示している。
ユウがレタスの味がしないというのは問題だ。 なぜなら、それは、彼自身が“味のしない存在”であるという記憶が、どこかに存在しているからだ。
「”土”って本当に汚らわしいものね。
どろどろとこの子の記憶にこびりついて、全然落とせやしない」
その目の奥に、電子の光を宿らせ、父母は彼らの表現しうる最大の嫌悪を人工皮膚の上に浮かべた。
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