11話-③:ロックンロール

 敵兵を蹴り落としたホークスは、深く息を吐きながら荷台の端に腰掛けた。その視線は遠くに控える最後のハンヴィーを鋭く捉えている。敵車両は未だ健在で、運転手を含めた魔法使い三名が潜んでいる。12.7㎜機関銃も健在だ。


「少佐、大丈夫ですか?」


「なんとか……。 だがマナチャンネルが焼き切れる寸前だ……」


 エイダはマナオーバー寸前であり、これ以上の酷使はマナチャンネルが焼き切れてしまう。つまり12.7㎜の魔弾を防ぐ防御魔法は発動できない。ホークスやドクの防御魔法はエイダほどではなく、単体で機関銃の魔弾を防ぐ性能を持ち合わせていない。


「やるしかないですね……」そうホークスは軽く微笑むと、破壊されたMK48を掴み、敵ハンヴィーに向けて無造作に放り投げる。その仕草には、まるで負け惜しみのような荒々しさがあった。


「おいキャプテン、何をする気だ?」


「死ぬにはいい日というか……」ホークスは荷台に転がっていた自身のSCARを拾い上げ、何かを愛おしむようにも、覚悟を決めるようにも見える仕草でチャンバーチェックを行う。そしてエイダに振り向いて軽く敬礼しつつ、「ご一緒できて光栄でした。 あとはお願いします。 それではまた」


「待て、ホークス! 何を――」エイダの言葉が終わる前に、ホークスは強化した脚力で荷台から跳び上がり、敵ハンヴィーのフロント部分に飛び掛かっていった。


 ホークスが敵ハンヴィーのフロントガラスにしがみつき、拳で激しく殴り叩き始めると、運転手が驚きのあまりハンドルを大きく切った。その結果、ハンヴィーは急な角度で蛇行し、ついには横転してしまう。一瞬の出来事のあと、埃を巻き上げながら停止した車両からは、敵兵たちが這い出てくる。


「くそっ……!」エイダはその様子をただ見送ることしかできなかった。マナチャンネルが限界を迎えたエイダには、ホークスを助けに行く術は残されていない。


 横転したハンヴィーの横に立ち上がるホークスと、対峙する敵兵の姿が視界に入る。ホークスは敵兵たちを睨みつけ、最後の抵抗をするかのように構えを取った。その背中が、どこか誇らしげで、同時に悲壮感を漂わせている。


「ホークス……」エイダの胸に、怒りと無力感、そしてやるせなさがこみ上げてきた。だが、感情調整魔法とエイダの合理性がそれを押し留める。


 無線が静寂を破る。切迫したカーター伍長が、「少佐! どうなっているんです⁉ キャプテンが残った⁉ まだ間に合います、みんなで戻れば!」


「カーター! 何を言っているかわかっているのか!? 一体何人の命との天秤だと思っているんだ!」ドクが怒りをあらわにするかのように応じた。


「二人とも黙れ!」ロドリゲス軍曹が低い声で、しかし有無を言わさず、「今は作戦中だぞ! 集中しろ!」


 エイダは冷静さを装った声で、「ホークス大尉は敵追撃部隊の足止めに残った。 これより、私がm分隊の指揮を継承する。 総員、ポイントに向けて走行を継続。 もうすぐトンネルを抜けるぞ。 警戒を怠るな」


「少佐! まだ助けに戻れるはずです! 今なら――」カーターの抗議を遮るように、エイダは冷静さを失わない口調で言い放つ。「カーター、今ここで戻れば作戦が危険にさらされる。 それがわからないなら、新兵からやりなおせ! それにキャプテンはまだ死んだと決まったわけではない」


 こんなものは気休めでしかないことはわかっている。下された命令に従わなければならない合理性。しかし、今ならばm分隊総力で敵魔法部隊をせん滅し、ホークスを救ってなお逃げ切れるのでは、という計算。様々な合理性がぶつかるが、しかし、任務失敗により起こりえるリスクとの天秤では、どうしてもホークスを救う選択を取ることができない。


 無線の向こうで沈黙が訪れる。カーターの息遣いがかすかに聞こえ、ドクの声が低く響く。「行くんだ、カーター。 今はそれしかできない」


 エイダはトラックの荷台で拳を握りしめながら、ホークスの姿が遠ざかっていくのを見つめることしかできない。


 トンネル内を疾走していたエイダたちのトラックが、ついに暗闇を抜けた。光が視界を覆い、トンネル内の薄暗さに慣れていた目に、目の前の光景が鮮烈に映る。やけに明るく広がる青い空と海、そしてその間にある砂浜が、エイダたちの目標地点であることを示している。だが、安堵する暇もなく、それは現実に引き戻される音によって遮られた。


 バババババッ――轟音とともに、影が地面に映し出される。見上げると、人民解放軍の多用途ヘリコプターが直上を飛行していた。ドアガンを装備し、鋭く旋回している。さらに砂浜には複数のヘリがホバリングし、中国兵が次々とロープで降下しているのが見える。敵部隊が回収ポイントを先に制圧しているのだ。


「くそっ……」


 エイダは握りしめた拳を緩めず、思考を巡らせる。ここで立ち止まるわけにはいかない。しかしエイダだけでなく、ロドリゲスやカーター、ドクも、一瞬言葉を失ってしまっている。


 だが、次の瞬間、事態が一変する。


 直上のヘリコプターが弧を描いて旋回し、ドアガンをこちらに向ける動きを見せた瞬間――空から高速で飛来した物体が、そのヘリコプターのテールローターに直撃した。衝撃を受けたヘリはバランスを崩し、テールローターを失ったことで制御不能に陥る。ヘリは回転しながら稜線上へと消えていき、大地に衝突する音が微かに響き渡る。


「ホーネットだ! 間に合ったんだ!」ドクが歓声を上げる。尾翼にモーニングスターのエンブレムが描かれたF/A-18が、アフターバーナーの輝きを放ちながら駆け抜ける。旋回すると海の方に消えていった。


 エイダはすぐにビーコンを起動する。敵の補足を避けるため、これまで使えなかったが今は状況が変わった。エイダの手元の装置が青白い光を放ち起動したことを示すと同時に、味方に位置情報を伝えるはずだ。


 上空では続々と現れる味方の航空支援機が展開し始めているのが見える。F/A-18やF-35が一時的に航空優勢を確保しつつ、近接航空支援を開始している。


 MH-605 ナイトホークが複数機現れ、砂浜に展開している中国兵を上空から圧倒的な火力で制圧し始めた。蜂の巣をつついたかのような音を撒き散らしながら、ドアガンから放たれる魔弾の嵐を前に、中国兵は防御魔法を展開するも、孤立していた敵兵の一部が細切れとなっている。空からの圧倒的な火力を前に、敵勢力はエイダたちを阻止する余裕はなく、防御と反撃を余儀なくされている。


 中国兵から先ほどエイダが使用したような追尾型のエネルギー弾が発射されるが、防御魔法により阻まれている。迅速に現場を制圧し、回収が終わり次第撤収するため、少数精鋭の魔法戦力が投入されているのだろう。


「ロドリゲス、カーター! あの砂浜に突っ込め!」エイダが声を張り上げつつ、「回収のナイトホークが来ている。 ドク、ひな鳥たちはどうだ⁉」


「大丈夫です!」


 トラックを急加速し、砂浜へ突入した。激しい近接航空支援のおかげで、敵の抵抗は驚くほど少なくなっている。東海艦隊の演習に主力を割かれているためか、敵兵の数もそれほど多くない。大部隊による即応はできていないのだろう。トンネル内での命がけの攻防が嘘のように思えるほど、エイダたちは回収地点へ無事たどり着いた。


 砂浜には、ローターを回転させたままのMH-605 ナイトホークが待機している。機体の側面から、コールマン大佐が足早に降りてきた。


「よくやった!」コールマンは鋭い目で状況を確認しつつ、李国家主席の様子を尋ねる。「ひな鳥は無事か?」


「負傷はありますが、問題ありません」エイダは淡々と答えた。


 ナイトホークのローター音が耳に響く中、コールマン大佐は周囲を見渡しながら冷静な声で、「ホークスは残念だった。 すぐに離脱するぞ。 早期警戒機が寧波空軍基地から発進した有力な敵飛行隊を捕捉している。 数分後にはここに到達するだろう」


「了解しました」エイダは即答すると、手早く次の指示を飛ばす。「ドク! 主席と秘書官をヘリにお連れしろ」


 指示を受けたドクがすぐに動き、李国家主席と秘書官をナイトホークの機体へと誘導する。機内のクルーが手を差し出してサポートし、ドクに支えられ、主席と秘書官は乗り込んでいった。その間、残りのm分隊は周囲の安全を確保するため目を配る。


 コールマン大佐、m分隊が乗り込んでいき、エイダは最後に周囲を確認すると、ヘリに駆け込んだ。ナイトホークはすぐさまローターを加速させ、その巨体を浮かび上がらせる。振り返ると茶山トンネルの出口が小さく見えるが、敵の追撃の気配はない。砂浜上空に展開していたヘリは制圧射撃を続けていたが、エイダたちの乗るヘリが離脱したのを見て、追随するように徐々に離脱を開始している。制圧射撃の音が徐々に遠ざかり、静けさが戻りつつある。しかし、胸の内には静けさなどはない。


 あの場でホークスを救出しに戻るなど到底現実的ではない。見捨てることは至極合理的だ。つまり許可が下りるわけがない。それがわかっているからこそ、『引き返す』などとは言い出さなかった。感情調整魔法を使用しているはずなのに、この放心状態は何なのか。虚無感と後悔が波のように押し寄せてくるが、それを顔には出さない。コールマン大佐が何度かこちらを見ているのに気が付いた。だが、気付かないふりをして、閉ざされたヘリの窓越しに見える海の水平線をじっと眺める。


 作戦開始から起こったことが、場面として流星群のように頭を駆け巡る。そして何度も同じシーンを回想する。今日起こったことの中で、ある意味一番印象的で、高揚に満ちていたシーン、双方向マナチャンネル同期を成功させたときのことだ。草食動物の反芻かのように咀嚼し、何度も同じシーンを思い浮かべることで、自身の傷心を癒そうとしているかのようだ。


 あの時は不思議な高揚感と達成感で何とも思わなかったが、後から考えると不思議だ。なぜ成功したのだろうという疑問が浮かび上がる。これまでの経験、知識に照らし合わせても成功の心当たりがない。成功のイメージがないのに実行してしまった自身の破天荒さに苦笑してしまいそうになりながら、手で口元を抑えてその苦笑を抑える。今ここで笑っていたら完全におかしくなった人になってしまう。


「わからないことに悩んでいても仕方ない」そう自分に言い聞かせる。帰投後の検査で誰かが結論を出してくれるだろう。それを待つしかない。


 窓越しの視界に、空母『ロナルド・レーガン』が小さく現れる。遠くからでも見えるその巨体は、朝日に照らされ頼もしく存在感を放っている。エイダは深く息を吐き、ホークスの言葉を再び思い返す。


 『あとはお願いします。 それではまた』


 そう、自分は任されたのだ。そしてホークスは『それではまた』と言った。楽観的なのは百も承知だが、まだ死んだと決まったわけではない。死亡したことを確認していないのに、そうと決めつけるのは非合理的だ。ホークスは生きていると仮定し、彼を救うことへのモチベーションを失わないことこそが合理的だ。シュレディンガーの猫のようだなと、またも笑ってしまいそうになるのを抑える。神頼みは好きではないが、理屈がわからないままうまく行くこともある。今日がまさにそうだ。


「自ら希望を捨てる必要もなし、か」そう独り言ちて、朝日に照らされ、波打つ海の穏やかさに目を奪われる。争いとは無縁のようなその光景が、心の中の葛藤を少しだけ和らげている気がした。規則的なローター音を感じながら、エイダを乗せたナイトホークは朝日に向かって飛び続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る