10話-①:分かり合う光
「やつらやりやがった!」ホークスが双眼鏡を握りしめ、吐き捨てるように言った。その視線の先、エイダとm分隊全員が李国家主席のいる部屋で起こったことに一瞬呆然としてしまう。沈黙が場を支配する中、建物から引きずられ出てくる李と収音マイクから漏れ聞こえる微かな音が彼らの緊張を増幅させていく。李は司令部基地の建物からほど近い別の建物に連れていかれる。
「くそ! これはクーデターですよ……」ロドリゲスが忌々しげに呟き、エイダに視線を送った。
エイダは頷き、視線を建物に戻しながら静かに、「悪い方向に分析が当たってしまったようだな。 予想外の展開ではないが、まさか本当に起きるとは……」
ホークスはエイダに視線を移しながら、「少佐、どうするんで? 李国家主席に接触する許可はまだ出ていないんでしょう?」
「ああ、まだ出ていない。 だが、出ていないだけだ。 否定されたわけではないからな。 今からサムおじさんに……お伺いを立ててみる」
エイダはラップトップを操作し、使い捨て暗号を用いた衛星通信でワシントンの統合参謀本部に連絡を取る準備を進始めた。モニターに暗号化通信の接続が完了したことを確認し、深く息を吸ってから冷静な声で通信を始める。
「ウォッチタワー応答せよ」
通信の向こうから、すぐに返答が返ってきた。
〈こちらウォッチタワー。 聞こえている。 状況を報告せよ〉
「周玄武が城門を突破した。 繰り返す、周玄武が城門を突破した。 巣に舞い降りたひな鳥は負傷し、生死不明。 証拠となる映像、音声を送信中。 指示を求めます」
〈データを受領。 待機されたし〉
エイダは静かに「了解」とだけ応え、通信を切った。エイダはホークス大尉に目線を向け、「指示を待つ間、周辺を警戒しておこう」と手短に指示する。
「やっかいな一日になりそうですね」
エイダとm分隊が李国家主席の安否確認と救出に向かう許可が下りるかは、司令部の判断次第だ。
──ホワイトハウスのある一室──
息がつまるような空気の中、エイダとm分隊から送られた映像と音声データが幕僚や大統領の前で再生されている。映像が静かに止まり、会議室には嫌な沈黙が流れる。誰もが最初に口を開きたくない空気だ。
大統領が最初に言葉を発する。法務担当に視線を移し、「これはクーデターの証拠として十分なものになるか?」
「はい、現時点での判断ではありますが、国際司法の場においても十分にクーデターと認められる可能性が高いでしょう」
海軍大将(作戦部長)は即座に立ち上がり、焦燥感を隠しきれない声で言い放った。「状況は明白です。 周玄武少将が先手を取り、日本に侵略を開始する可能性が高い。 直ちにデフコンⅡを発令すべきです。 横須賀を発っていた第五空母打撃群が東シナ海に展開中で、即応可能です」
国務省のリチャード・グレイヴス次官が軽く手を挙げて発言を求める。「少々お待ちを。 確かに我が国が今動きを見せるべきかもしれませんが、この場面で強硬策を取れば周少将の思うつぼかもしれません。 国務省としては慎重な対応を求めたいと考えています」
「慎重? クーデターが進行中で、周少将が大陸の制圧を狙っている今、悠長なことを言っている場合ではない。 これを機に台湾の併合に動き出す可能性まである。 今動かねば中国を増長させるばかりだ!」海軍大将が怒りを含んだ視線をグレイヴス次官に向ける。
グレイヴスは落ち着いた表情を崩さず、冷静な言葉で、「周少将の動きに対抗することに異論はありません。 だが、ここで無理に戦闘に踏み込めば、我々の目的であるマナシンクロナイザーの確保に支障が出る。 アメリカがこれほどの技術を手に入れるチャンスを逃すわけにはいかないのです」
大統領がグレイヴスを鋭い視線で見据えながら、問いかけるように応じる。「リチャード、国務省としてこの技術をどう扱うつもりなのか?」
「大統領、日本が開発したマナシンクロナイザーは、国際戦略上、圧倒的な利点をもたらすものです。 それは軍事力だけではない。 エネルギー、製造、IT様々な局面で、です。 国務省としては、単に薬剤を共有、将来的には輸入するだけではなく、製造やライセンスの管理をも手中に収め、我が国で独占的に運用することが戦略目標です。 そのためには、この機を利用し日米安保を根拠に自衛隊を米軍の指揮下に組み込む状態をエンドステートとすることを提案します」グレイヴス次官は淡々と述べ、国防総省のコールマン大佐を一瞥した。
都合の良いことばかりを言っているグレイヴスをコールマンは見返す。いざとなったら命を落とすのは彼ら官僚ではなく、現場の兵士だ。コールマンはすぐさま口を開く。
「お言葉ですが、それでは日本との協力関係が損なわれます。 我々が今目指すべきは協調路線を守りつつ、マナシンクロナイザーの確保を視野に入れるべきで、無理に圧力をかければ日本政府の信頼を失いかねません」
「信頼、か。」グレイヴスは皮肉な笑みを浮かべつつ、「それが容易に得られないことも、国防総省の皆さんもよくご存じでしょう。 日本の憲法改正も既に行われ、彼らは防衛に関して自立するつもりだ。 そのことはよくご存じでしょう?」
言うにことかいてコイツは、と内心が煮立ってくるが、ここで冷静さを失ってはならない。「それはあくまで我が国との信頼関係の上で、ということです。」
グレイヴスに付き合っている時間はない。この場での意思決定者は大統領なのだ。ここでグレイヴスと議論をすることは相手の思うつぼだ。コールマンは大統領に向き直る。
「大統領、日本政府はすでにマナシンクロナイザーの試作品を二つ我が国に譲渡しています。 これは日本側からの決定的な誠意の表れです。 もし我々が日米安保を軽視したことで、最終的に日中戦争に参戦することになれば、国民の反応は想像に難くありません。 さらに、NATO(北大西洋条約機構)の形骸化を招き、ヨーロッパにおける我が国の影響力喪失にもつながりかねません」
日本の誠意を紙飛行機にして飛ばし、力ずくの外交や軍事力で戦争を引き起こしたとメディアは書き立てるだろう。
さらに、NATOはアメリカの軍事力を背景に、かつてのソ連を中心とするワルシャワ条約機構に対抗する目的で創設された枠組みであり、アメリカの軍事力を背景とする意味合いでは日米安保と同様の性質を持つ。もしアメリカが自身の国益のために日本を見捨てれば、NATO加盟国であるヨーロッパ諸国も同様にアメリカへの不信感を募らせるだろう。その結果、ヨーロッパはアメリカ抜きの独自防衛機構を模索し始める可能性がある。これは最終的に、アメリカのヨーロッパにおける影響力の喪失につながりかねない。
今、大統領は次の選挙の際に、それらのことで相手候補から攻撃を受ける想像をしているに違いない。
グレイヴスはなおも強く熱っぽい口調で大統領に語りかけた。「大統領、よくお考えください。 マナシンクロナイザーの可能性は無限大です。 既存の枠組み、つまりはNATOや日米安保と比較しても、はるかに強大なメリットを秘めています。 これは我が国の世界戦略にとって、いや、世界の覇権を握る上で絶対に必要なのです」
コールマンの声量が自然と上がってしまう、「今ここで動かないと本当に戦争になります! ロシアも参戦した場合、世界大戦にまで発展します!」
「国益を守る、さらには拡大するためには戦争もひとつの選択肢だ」グレイヴスはむかつく笑顔をこちらに向けて糞のようなことを言う。
それまで静かにしていた海軍大将が立ち上がり、怒声を上げた。「官僚風情が知ったかぶりをするな! お前に戦争の何がわかる! お前こそ戦場へ行ってみろ。 砲弾の降り注ぐ塹壕に身を潜めてみろ。 戦場の悲惨さを一度でも想像したことがあるのか? 炎に包まれる艦艇から逃げる恐怖を考えたことがあるか⁉ お前が一度でも戦場に立ったら、その時こそ話を聞こう。 そんな経験をした後でも、その糞な論理を垂れ流せるか見てやる」
コールマンは後ろ手に組んだ手をグッと握る。よく言ってくれた。静かに聞いていた大統領が「よくわかった」と発した。
ここだ!今大統領はこちらの話を聞く気になっている。
「大統領、現在、現地にm分隊が潜入しており、李国家主席の安否確認と救出が可能です。 国際社会への対応も考慮すれば、まず主席を救出することで国際的な支持を得る方が賢明でしょう。 第五空母打撃群に回収の任を与えることで、海軍大将の目的も同様に達成可能と愚考します」
海軍大将は冷静さを取り戻し、大統領に向き直りつつ、「ならば、寧波海軍基地への爆撃も視野に入れるべきだ。 特殊部隊にレーザー誘導をさせ、狙いを定めて直接、周を排除できる」
海軍大将の口調は驚くほど冷静だった。冷静になったのか、あるいは先ほどの激しい言葉が単なる演技だったのか。真意は定かではない。
コールマンはすぐに反論する。「周は李主席を人質に取ることで、この動きを防ごうとしています。 主席がまだ生きている可能性が高い上に、暗殺が成功しても、国内の統一を図る別の人物が現れるだけです」
海軍大将は歯噛みしながら言葉を詰まらせたが、強い視線で大統領に訴えた。「大統領、我々が今動かねば日本政府の信頼を失います。 アメリカの東アジアでの存在感が危ぶまれ、最悪の場合、防衛ラインがグアムまで後退しかねません!」
大統領は険しさを増す表情で聞き返してくる。「日本政府の意向はどうか?」
コールマンはすかさず、「クーデター発生前に接触しましたが、日本は全面衝突もアメリカの直接参戦も望んでいません。 彼らはエスカレーションを恐れており、だからこそ、その意を我が国に飲んでもらうため、マナシンクロナイザーを我が国に譲渡したのです。 我々は彼らの信頼に応える必要があります」
大統領は静かに立ち上がり、会議室を見渡してから、「大将、デフコンⅡを発令し、第五空母打撃群を日本海に向けよ」
海軍大将が満足そうに頷く傍ら、大統領はコールマンに向き直る。「m分隊に李国家主席の救出を許可する。 エスカレーション回避へのあらゆる手段を講じるように」
コールマンは微かに安堵の息をつき、敬礼して応えた。「了解しました、大統領。 必ず任務を遂行いたします」
コールマンは見逃さなかった。グレイヴスの表情から、いつもの笑顔が消え、まるで能面のような無表情が張り付いていたことに。
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