9話-①:超魔法国家主義

 ──人民解放軍『寧波海軍基地』司令部室──


 中華人民共和国では、伝統的に魔法使いが国家主席の任を担ってきた。この慣例には複数の要因がある。まず、抗日戦争(第二次世界大戦中の日中戦争)で魔法使いたちが大きな成果を上げ、日本軍を退けたこと。次に、その後の国共内戦で中国大陸の統一に彼らが多大な貢献をしたこと。さらに、当時の共産党トップが魔法使いであったことも、この伝統の確立に重要な役割を果たした。


 国家擁立以来、国家主席には魔法使いが就任してきたものの、共産党内は常に仙術閥(『せんじゅつばつ』魔法に傾倒する派閥)と革明派(科学技術に傾倒する派閥)に二分されてきた。


 しかし、近年の科学技術の発展により、魔法の相対的重要性は加速度的に低下している。兵器はもちろん、製造業、IT産業、サービス業など、あらゆる分野で技術が不可欠となっている。科学技術の重要性は中国にとっても例外ではない。


 国家として、それらの分野への投資を強化する必要性、今となっては魔法ですら科学技術のサポートが必須であるということ。これらの要因により、科学技術を主体に、魔法との融合を果たしつつ国家推進するリーダーが求められ、革明派の李が国家主席に就任することになった。


 李は国家主席に就任して以来、これまで以上に関与すべき案件が増加していた。五十五歳という若さで、自身はまだまだ精力的に活躍できると自負している。しかし、日々の多忙な業務に加え、日本が開発したマナシンクロナイザーへの対応に追われ、少なからず疲労が蓄積している。


 しかし、今は重要なイベントの真っ最中である。外面には出さないが、不安と希望が混ざり合った興奮から、疲れは不思議と感じていなかった。


 寧波海軍基地の司令部内。巨大なモニターには、東海艦隊の艦艇が展開する日本海の海域が映し出されている。李国家主席は静かに腕を組み、画面を見つめている。隣には周玄武少将が立ち、彼の視線の先には、艦隊の位置や演習の詳細が表示されている。


 海艦隊の司令官、周玄武少将が一歩前に出て、厳かな口調で説明を始めた。


「李主席、現在、東海艦隊は日本海北部にて主要艦艇の配置を完了しております。 空母『福建』を中心に、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦部隊も周囲に展開済み。 部隊の魔法通信を強化し、当基地からの魔力送信で演習の制御を行っております」


 モニターに映るのは、一糸乱れぬ陣形を組んだ艦艇の群れ。そこには強大な魔法技術と戦力を誇示する意図がはっきりと込められていた。李国家主席は頷きながら、静かに画面を見つめているが、その表情には微妙な緊張感が漂っていた。


 周少将は李より五歳年上の六十歳だ。厳格で威圧的な雰囲気を纏い、白髪の長髪を後ろでまとめている。歴戦の魔法使いである周少将は、静立しているだけで圧倒的な威圧感を放つ。李はそんな周少将に対する内心の気後れが表に出ないよう細心の注意を払っていた。


 李は深呼吸をし、胸にわき上がる微かな不安を抑えた。この演習を視察するという選択は、自身の中で長い間揺れ動いていた。しかし、中国の国家主席として、国全体が団結し、魔法戦力の象徴である東海艦隊を直接視察することで、国の強さと一貫性を示す必要があると判断した。


 李は革明派であり、中国は東アジアの盟主としてあらねばと考えている。真の平和は科学と技術の発展によって築かれると信じている。軍事力の誇示によって得られる安定は一時的なものであり、真の意味での発展と繁栄は人々の生活を向上させ、国家間の経済的な結びつきを強化することで生まれると考えていた。


 しかし、直近の情勢がそれを許さなかった。


 日本が開発した『マナシンクロナイザー』が非魔法使いにも魔法能力を付与するという事実が、政府内で強い危機感を呼び起こしていた。


 さらには少し前、情報局から報告があった、魔法使いへの投与によっても更なる強化効果をもたらし、自衛隊が中国国内への攻撃能力まで有した可能性には、李も驚きを隠せなかった。


 日本は一年ほど前に憲法九条を改正している。これは中国やロシアを仮想敵国とする日本が、戦力の強化や戦略、戦術面で脅威に対する予防をより柔軟に行えるようにするための改正だという意見が政府内の一部にはある。


 しかし日本は国家理性が機能する国だ。李は日本政府が中国国内の重要拠点を先制攻撃する選択肢を持ったとは認識しているが、その行使自体の蓋然性は低いと見ている。


 とはいえ、日本の脅威が増したことは事実であり、それは中国にとって不可逆な長期的目標『台湾統一』の妨げになることは間違いない。台湾は、中国にとって核心的利益の核心であり、妨げられることは許容できないレッドラインだ。その見解に李も異論はない。


 こうした脅威論が国内で主流となり、李はそれに対処せざるを得ない状況に追い込まれていた。


「李主席、日本の動きには注意が必要です。 特に『マナシンクロナイザー』のような技術を用いることで、我々に対して軍事的な優位を確立しようとする狙いが見て取れます。 今ここで私たちが団結し、奴らに威嚇の意図を示すことが、我が国の安全保障に寄与するのです」


 周玄武の言葉は断固としたもので、そこには迷いはない。彼は李国家主席の少し上の世代であり、強力な魔法使いとして国の防衛に一生を捧げてきた人物だ。彼にとって、魔法はただの技術ではなく、国家の誇りであり、他国への強力な抑止力でもあった。周少将は冷酷で目的達成のためには手段を選ばないが、彼の信念には一貫性があり、その厳格な姿勢は兵士たちにも大きな影響を与えている。


 李はゆっくりと視線を周少将に向け、出来るだけ穏やかな声で尋ねた。


「少将、東海艦隊の力を持ってしても、日本がこの『マナシンクロナイザー』を用いる可能性がある場合、我が国の防衛力に対する影響はどう見ている?」


「主席、その懸念はごもっともです。 マナシンクロナイザーの脅威は十分に認識していますが、魔法技術で我々の方が遥かに優位であることに変わりありません。 我々は既に多層的な防衛網を構築し、日本の動きに対して十分な対応を行える態勢にあります。 しかし、そのためには国内の一致団結が必要不可欠です」


 李は周玄武の回答に無言で頷いた。満足というより、これは単なる会話の糸口だった。質問自体にさほど意味はない。実際のところ、『マナシンクロナイザー』の脅威を正確に評価するには、専門チームによる何年もの綿密な調査と分析が必要だ。その結果に基づいて初めて、根拠のある判断ができるのだ。


 このような場で軍人に尋ねても、『大丈夫です』以外の回答が出てくるはずもない。少し後悔気味に自問自答していると、一人の軍人が静かに近づき、李と周少将の前で敬礼した。


 にわかに緊迫した空気が漂っており、鋭い表情を崩さないまま、軍人は報告を始める。


「報告申し上げます! 主席、少将、偵察飛行中の戦闘機が撃墜されました。 我が国の殲-20(J-20)です」


 李国家主席はその報告を受け、一瞬放心しながら無言で報告してきた軍人を見つめる。そして、険しい顔つきで周少将と政治委員を見回す。演習の最中にこうした事案が発生するとは予期していなかった。しかも殲-20は革明派の戦闘機だ。技術の結晶とも言える双発ステルス制空戦闘機で、状況次第では魔法戦闘機にすら対抗しうる戦闘機だ。


 これは日本の航空自衛隊によるスクランブル対応の失敗なのか、それとも意図的な行動なのか。


「何が原因だ? これは事故か?」李は低く問いかけたが、声にはわずかな苛立ちが混じってしまっていた。少しばかり自制が効いていない。


「原因は現在調査中です。 しかし、通常日本の領空付近を偵察する際は、日本の航空自衛隊がスクランブルをかけて随伴してきます。 今回の撃墜は、おそらくその随伴していた戦闘機によるものかと……」


 李は眉をひそめながら報告を聞き、口を引き結んだ。国際法に乗っ取った領空侵犯、もしくは侵犯へのおそれに対する対応は『領空から退去させる、国内の空港に着陸させる強制着陸』だ。


 日本は今まで自制をもって対応していたはずだ。なぜ今になって攻撃に踏み切ったのか。これは通常の対応ではあり得ない。


「我が国の偵察やそれに伴う一時的な領空侵犯などいつものことではないか。 いままで日本は冷静に対処してきたはずだ。 それが撃墜とは、今さら何の意味がある? おそらく、といったが、それは何かの根拠に基づいた報告なのか?」


 李が報告してきた軍人に詰め寄ろうとすると、周少将が李を遮ってくる。


「主席、我が国の主権を守るためには毅然とした対応が必要です」周少将はすぐさま続けて、「ちょうど我が東海艦隊が演習のため日本海に展開中です。 日本の領海接続線に接近し、強力な圧力をかけましょう。 場合によっては実力行使も辞さない構えでいくべきです」


 李は心の中で不穏な感覚が強まるのを感じた。事態が性急に動きすぎている。これは日本の意図的な挑発なのか、それとも何者かの罠なのか。内心の疑念が膨れ上がり、ここで何が起きているのか、何かの策略に巻き込まれているのかという疑念が拭えない。


「周少将、日本政府に圧力をかけるにしても、慎重に進めなければならない。 我が国の威厳を示すのは当然だが、事態のエスカレーションは望ましくない。 日本政府に連絡を取る。 ……それと、アメリカ大統領と話したい。 事態を掌握し、わかり次第報告せよ」


 李は周囲を警戒しながら言葉を選びつつ、秘書官や護衛のSPたちと合流するため、あえてゆっくりと歩き出した。歩き出した彼を周少将と政治委員が訝しそうに見つめているのが背中越しに感じられたが、李は決して振り返らず、焦らず、しかし早く護衛たちに接触して事態の掌握と対応に備えることだけを考え続ける。

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