6話:サイレント・ドーン
国防の中枢として、日夜不夜城と化しているアメリカ国防総省の本庁舎ペンタゴンの一室に、数名の男女がつどっていた。統合参謀本部の最高幹部、各軍参謀本部の最高幹部、そして中央情報局(CIA)と国家安全保障局(NSA)の幹部たちだった。
アメリカの国防において全責任を負っていると言ってもいい国防総省は、まことに不愉快なことながら、マナシンクロナイザーをめぐるアメリカ政府の対応、秘匿大統領令EO14169の原案を立案し、実行する現在までにおいては完全に蚊帳の外におかれていた。
これは国務長官、安全保障担当次官、そして安全保障問題担当の大統領補佐官の管轄下で、限られた人員のみによって立案・実行されてきたためである。おそらく、功績を独占したいという思惑が働いていたのだろう。
『秘匿大統領令EO14169——マナシンクロナイザーをめぐる緊急事態宣言に関する大統領令』
第1条:緊急事態の認定
日本が開発したマナシンクロナイザーは、国家安全保障および戦略的利益に多大な影響を及ぼす可能性がある。
マナシンクロナイザーは、戦場における戦力バランスを根本から覆すものであり、アメリカが優位を保つためには、少なくとも技術の共有または制限を確実にしなければならない。
したがって、本政権は国家緊急事態として、同技術の管理および影響の封じ込めを最優先課題とする。
第2条:情報収集および影響評価
中央情報局(CIA)および国家安全保障局(NSA)は、マナシンクロナイザーに関するあらゆる情報を収集・分析し、その戦略的価値および軍事的利用可能性を評価する。
国務省は日本政府との外交交渉を通じ、同技術の供与条件を調査・交渉し、合意に至らない場合にはあらゆる手段を用いて圧力を加える手段を検討する。
国防総省は、同技術を戦場において使用する場合のシナリオ分析および軍事演習を実施すること
第3条:輸出管理および制裁措置
日本政府がマナシンクロナイザーの技術を米国以外の国家、特に中国やロシアに供与する可能性がある場合、輸出規制および経済制裁を発動する。
財務省および商務省は、日本の防衛産業への投資監視を強化し、同技術の国際的流出を防ぐための規制措置を講じる。
統合参謀本部、とくにその中でも魔法における権利と責任の集中している魔法軍参謀本部は、一部の官僚たちのそうした姿勢について、けっして手をこまねいていたわけではなかった。独自の情報収集網を通じて、大統領令の実行内容と過程を注意深く把握しようとしていた。その一部がエイダ・レヴィーン少佐を外交武官としての派遣であったりする。実際には国務省の要請ではなく、ねじ込みだった。なぜなら、鉄火場の最後にケツを拭くのは、アメリカ軍であり、アメリカ人の命でもって贖うからであった。
マナシンクロナイザーをめぐる国際情勢と新たな脅威に対する軍事的な対応策を検討するため、すでに極秘の作戦計画『サイレント・ドーン』を実行していたのである。この計画は、文民統制下にありながらも、軍部独自の判断で進められていた極めて異例のものだった。
『サイレント・ドーン』の指揮官であるジェイムズ・A・コールマン大佐は、タブレットの資料に目を落としつつ言った。
「以上のように、国務省は意図的に日中間の緊張を高め、外交的手段を持って、火事場泥棒のようなてぐだでもって、マナシンクロナイザーを盗み取ろうとしているのでしょう」
「我らは盗人の同族というわけですな」魔法軍参謀本部議長フィリップ・ハリス大将 が腕を組み、ひどい話だ、とでもいうように唇をゆがめて言った。
「統合参謀本部の立場としては、この問題を外交だけに委ねるのは愚策だということを明確にする必要がある。 マナシンクロナイザーの軍事的価値は、核兵器と同等かそれ以上になり得る。 外交だけで何とかしようとするのは無謀だ」統合参謀本部議長 アーサー・グラント大将が、知性的な顔つきをしながら、深いしわの刻まれた額に手をやりつつ言った。
「マナシンクロナイザーとはそれほどに?」非魔法使いである陸軍参謀本部議長が疑問を口にした。所属軍人の99%以上が非魔法使いである陸軍において、最高級の幹部には非魔法使いが就任することが慣例だった。彼は、圧倒的な航空優勢下において、よく訓練された兵士(非魔法使いの)による鉄と肉体でこそ勝利を得られると信じて疑わない、まことなる米軍ドクトリンの体現者だった。
魔法軍参謀本部議長のハリス大将が静かに頷いた。
「我々魔法軍の立場としても同様だ。 マナシンクロナイザーの魔法兵士への影響は未知数だが、日本側の研究資料を見る限り、確実に戦場のパワーバランスを変える。 アメリカがこの技術を確保しなければ、少なくとも10年以内に戦略的劣勢に陥る可能性が高い。 この件を 『超戦略級問題』として対応すべきだ」
「とはいえ、米日同盟はおろそかにできまい?」
統合参謀本部議長グラント大将が、CIA副長官のヴォーンに目を向けた。
「すでに日本政府内には、アメリカの圧力を警戒し、中国や欧州との関係を強化しようとする動きがある。 主流ではないが。 日本がマナシンクロナイザーをアメリカに供与せず、中国やロシアと取引する可能性はゼロではない。 外交のみの圧力はもろ刃の剣だ」
スクリーンには、ジャパン防衛省の一高官のメールの断片が映し出されていた。それはNSAが極秘に傍受したもので、マナシンクロナイザーを対アメリカの自国防衛の切り札として運用する方針を検討することを示唆していた。
「互いに真の友人でありつづけるのは難しいことですな」ハリス大将が笑って言った。
「愛国者どうしであるなら、なおさら」統合参謀本部議長グラント大将は、年齢に似つかわしくない愛嬌のある笑顔で言い続けた。「愛国者とは現実主義者であるべきなのだ」
「では我々こそが、真の友人に足る現実主義者であると、サムライどもにわからせてやりましょう」魔法軍参謀本部議長ハリス大将がコールマンに目を向けて言った。
コールマンはPCをたんたんと操作し、『サイレント・ドーン』の概要をスクリーンに表示させた。
『サイレント・ドーン』作戦概要
1. 情報戦の強化 — 国防総省・NSA・CIAが協力し、アメリカ政府内、日本国内のマナシンクロナイザー関連情報を徹底監視。 - 日本の技術流出を阻止するための諜報活動を強化。
2. 対日戦略 — 日本政府に対し、アメリカの軍事的支援と引き換えに技術供与を求める圧力を強化。 — 必要であれば、日本の国内政治に影響を与え、アメリカ寄りの政策決定を誘導する。
3. 対中戦略と隠密行動 — 第七空母打撃群の出撃による『東海艦隊』の牽制。アメリカ軍の特殊部隊を投入し、極秘裏に人民解放軍『東海艦隊』の根拠地『寧波基地』と日本海演習監視。 — 革明派『李国家主席』と仙術閥の接触に関する調査。日中有事の阻止を目的とする。また、日中有事はっせい時には、即応部隊に移行する可能性の検討
「1. 情報戦の強化についてはすでにご存じかと思います。 2. 対日戦略と3. 対中戦略と隠密行動についてご説明します」コールマンは部屋を見渡しつつ言った。ハリス大将が頷いている。『サイレント・ドーン』作戦概要については、魔法軍参謀本部が作戦計画を立案、実行しているため、ハリス大将との合意形成はすでに済んでいた。
「2. 対日戦略について。 基本方針は、『外交的圧力』と『軍事的プレゼンス』の両面を活用し、日本政府に技術供与の意思を固めさせることにあります。 国務省が国際世論や経済制裁をちらつかせながら交渉を進める一方、我々は軍事的なシグナルを発しつつ、独自に日本外務省に接触します」
「飴とムチ、というわけか」大将の肩章をつけた統合参謀本部議長は、その地位を裏切らない理解力でもって答えた。コールマンは感嘆しつつ答える。
「まさに。 まず、横須賀を母港とする第七空母打撃群を出航させます」
「それはムチ、ということかね?」海軍作戦本部の部長であるジョージ・ファウラー大将が険しい顔つきで言った。彼は当然のことながら、東アジアにおける人民解放軍海軍の跳梁について、一家言ある人物だった。
「両方です。 日本人は、第七空母打撃群の動きに対し、二つの考えを抱くでしょう。 見捨てられたという考えと、『東海艦隊』への対応、その二つです。 中国人も同様でしょう」
「政治的な影響が大きすぎやしないかね?」
「マナシンクロナイザーにはそれだけの価値がある。 それに話はまだ終わりじゃないんだろう?」統合参謀本部議長は言った。
「はい。 これは3. 対中戦略と隠密行動とも関わってくるのですが、第七空母打撃群の出航、もとい出撃の目的は『東海艦隊』への牽制と即応、それ自体を主眼にしています。 第七空母打撃群の出撃直後に、外務大臣に接触し、アメリカの軍事的支援の意思を伝えます」
「それだけで足りるのかね? 実際に、『東海艦隊』への即応となると、大統領の裁可が必要になるな」
「十分ではないでしょう。 より大きなアメが必要でしょう」
「まさか、ニュークリア・シェアリング(核共有)、とでも言うんじゃなかろうね?」陸軍参謀本部議長が忌むべきものを口にするかのように言った。
「日本政府に断られるでしょう」
近年、従来の核保有国であるロシアや中国だけでなく、半島の国家、北朝鮮も核を保有したことを受けて、日本政府内に、核を保有したがっている勢力が一部あるのは事実だった。しかし、世論として、日本は核武装にいたらないだろうと考えられた。その理由は二つある。
一つ目は、この世界で唯一の核被爆国であるということだった。核の恐ろしさや悲しみを幼きころより受け継いでいる日本人は、民意として自らが核の炎を手にすることを受け入れないのだった。
第二に、核拡散防止条約(NPT)の存在だ。日本とアメリカの核共有は、すなわちNPTの脱退を意味する。それは世界中への核拡散と同義語だった。日本がアメリカから核を共有してもらえるのに、なぜ俺たちはダメなんだ?、そういう邪な考えを惹起してしまいかねなかった。またそれを阻止する理屈も失うことになってしまう、そういうことだった。
常任理事国いがいの核保有国、たとえば北朝鮮が外貨獲得のため、他の国や組織に核を売ることすら考えられた。売り先が国家理性の働く国であるなら、まだマシかもしれない。しかし、差別主義者やイスラエルからユダヤ人の根絶を宣言する対シオニズム抵抗組織ハマス、国際的なテロ組織アルカイダが核を手にしたとしたら、なにが起きてしまうのか、おぞましすぎて言葉にする必要はないだろう。
そういった意味では、現実主義者である日本人がそもそも受け入れる提案ではなかった。
「ならば、われわれはどうすべきだと君は言いたいのだ?」
「日本人の立場になればわかりやすいでしょう。 彼らの自主防衛の尊重とアメリカが裏切れないような仕組み、そういうものが必要でしょう」
「つまり?」
「日米共同指揮権の強化を目的とした、日米共同防衛協定の新枠組み、一例としてはそういうものかと」
「在日米軍の運用を、日米両軍の合議制へ移行する、ということかね?」
「それだけでなく、敵基地攻撃能力の保有の後ろ盾、西海岸への自衛隊基地の誘致、なども必要でしょう。 その他には高度な防衛技術をバーターとした取引、すなわち、ステルス技術や軍用AI、自立型ドローン、衛星偵察・宇宙防衛技術の共同開発、交渉しだいではありますが、大部分の高度な防衛技術の供与が必要でしょう」
世界中あまねく国において、アメリカはアメリカ軍の基地を置いてきた。しかし、現在までのところ、アメリカ国内には他国の軍事基地は存在しておらず、自衛隊基地をアメリカ国内に置くということは、日本の自主防衛を最大限尊重していることの表明であると言えた。その上、お互いに裏切れない状態になる、そうとも言えた。なにせアメリカは、下手をすると敵国の軍事基地を、その腹の中に抱え込むことになりかねないのだ。
「我々の持ち出しが多すぎやせんかね?」陸軍参謀本部議長が愛国的に顔をしかめて言った。
「マナシンクロナイザーの後ろ盾にアメリカが”ならせていただく”。 そのための対価としては足りないくらいだろう」マナシンクロナイザーの持つ意味と世界全ての軍事情勢を理解する統合参謀本部議長は言った。
たてつけとしては、アメリカがマナシンクロナイザーを手にすることは、日本の完全なる後ろ盾になることと同義語であり、どの国から横やりが入ってもなかったことにはできない、そういうことになる。しかし、それは日本人が望んでいなかった展開でもある。火事場を利用した盗人のような理論を成立させるには、どれほどのものでも出しすぎとはならなかった。
「実際にはこれらの合意で、マナシンクロナイザーの試作品の供与にいたるのでは、そう想定しています」コールマンは続ける。
「3. 対中戦略と隠密行動に移ります。 マナシンクロナイザーに関わらず、中国の革明派(科学派)『李国家主席』と仙術閥(魔法派)の一部である『東海艦隊』の接触は、最大の関心事でしょう」
各軍の参謀本部議長や作戦部長、そして統合参謀本部議長が頷いた。
「現地における諜報活動のため、特殊魔法作戦群マーヴェリックを出撃させます。 目的は情報収集。 李国家主席と『東海艦隊』、そして司令官の周玄武少将の動向を監視し、可能なかぎり詳細な情報を司令部に報告することが任務となります。 青森県三沢空軍基地を飛び立つステルス性長距離輸送機にて中国国内に極秘潜入。 中国沿岸部、寧波市の近くに位置する山岳地帯を、非魔法依存による高高度降下の効果地点に設定。 険しい地形が障壁となり、地上からの発見は困難な地点です。 降下後、徒歩で移動し、監視地点である寧波基地まで向かい、対象の監視任務に移行します。 期限は『東海艦隊』の演習終了までとなります」
「脱出ルートはどうなっているかね?」魔法軍参謀本部議長ハリス大将が尋ねた。彼はすでに把握しているが、周知のため合いの手を入れてくれたのだった。
「最も優先すべきは、最寄りは瀋陽にあるアメリカ領事館となります。 次点で同盟国領事館、できれば日本領事館としたいところです。 状況が悪化し、内陸への脱出が不可能な場合、第七空母打撃群に回収の任を与えます」
「マーヴェリックは参謀本部の目であり耳ということですな」魔法軍参謀本部議長ハリス大将が言った。
「マーヴェリックの出撃は、マナシンクロナイザーの獲得の成否にかかわらず実行される、そういうことだね?」統合参謀本部議長が尋ねた。
「閣下、おっしゃる通りです」
「ひとまず、どちらに転んでもいいわけだな。 日中有事はっせいの際には、かく乱のため、マーヴェリックは現地における遊撃部隊への移行も視野に入っていると?」
「その場合はレヴィーン少佐と部隊4名を使いつぶすことになりますので、見合った成果が必要になりますが」
「マイケルの娘かね?」CIA副長官のヴォーンが尋ねた。
「その通りです」
「これは面白い」ヴォーンはわずかに醜悪な顔で笑った。コールマンはその醜悪さに内心顔をしかめてしまう。
「日本政府への接触は誰がするんだ?」統合参謀本部議長が尋ねた。
「私とレヴィーン少佐があたります。 少佐の持つチャネルである外務省東アジア局長、鈴木明美を通じて、外務大臣に接触します」
「負担が大きくないかね?」魔法軍参謀本部議長ハリス大将が心配そうに尋ねた。
「OJTというヤツでして」
「期待しているのだな」
「期待しています」コールマンは上司としての矜持を胸に答えた。
「その順序であるのなら、マナシンクロナイザーの獲得に成功した場合、うち1つをレヴィーン少佐に預ければどうかね?」陸軍参謀本部議長が何かを思いついたときの顔で言った。
「何を目的として?」魔法軍参謀本部議長ハリス大将が理解できないモノを見る顔をして返す。
「目的は二つだ。 ひとつはマナシンクロナイザーの実戦テスト。 魔法使いの強化にも使えるんだろう? 二つ目は、作戦成功のため、使えるものは使った方が良いだろう。 中国国内、それも敵基地近くでの活動となるとかなり困難な任務だ。 いざというときのため、持たせて損にはなるまい?」
「敵に奪われる可能性もあるが?」
「抹消を厳命しておけばいいだろう。 特殊魔法作戦群だ。 そのくらいは問題ないだろう」
「そこまでだ」統合参謀本部議長グラント大将が、その地位からは想像が難しいおだやかな声で続けた。
「ハリス大将、コールマン大佐。 『サイレント・ドーン』の実行を許可する。 そしてマナシンクロナイザーだが、複数の試作品を手にした場合にのみ、レヴィーン少佐に一つ携帯させることを許可する」グラント大将は、魔法軍、陸軍、両方の参謀議長の顔を立てる判断を下した。
「ファウラー大将。 コールマン大佐の日本政府接触ちょくぜんに、第七艦隊を東シナ海に向けて出航させることは可能かね?」
「可能です。 しかし、げんだんかいで中国を刺激しすぎないため、琉球海溝以東にとどめておく方が無難でしょうな」
「よろしい。 国防長官は私が説得しよう」げんこうの国防長官は統合参謀本部議長の言いなり、そういう関係だった。
「大統領は?」
「むろん、説得するしかあるまい」
「われわれは、歴史に悪名を刻むかもしれない」魔法軍参謀本部議長ハリス大将が安堵とも恐怖とも言えない調子で呟いた。
「その時は軍人としての務めを果たすだけだろう」統合参謀本部議長グラント大将は武人といえる顔つきで言った。
「星条旗への誓約を、果たすがゆえにとでも言うような?」
「星条旗への誓約を、果たすがゆえにとでも言うように」
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