2話-②:日本の外交官

 会議室のドアが静かに閉まると、部屋の中には微かな緊張感が漂っていた。エイダは周囲の様子を一瞥する。日本からの代表として現れた二人の男女の姿が目に入った。


 一人は三十代後半から四十歳の頃合いだろうか。黒髪の短髪に、清潔感のある髭をたくわえている。スポーツを何かやっていたのだろうと思わせる体格だが、スーツはきれいに着こなしている男性だ。着こなしとは反対に少し緊張気味に見える。部屋の緊張感は彼が放っているものだろう。


 もう一人の女性も三十代後半から四十歳の同じ年頃に見える顔つきだが、肩までかかる黒髪にきれいな白髪が時折混じっている。少し幼く見える顔立ちで、一見優しげな雰囲気をまとっており、非常に落ち着いている。おそらく彼女がボスなのだろう。そうなのだとしたら、もしかしたらグレイヴス次官と同じ年ごろなのかもしれない。アジア人は年齢に比して若く見えるからか、見た目から年齢とそれに見合った立場を推察するのが難しい。


「本日はお忙しい中、ありがとうございます。 私はリチャード・グレイヴス、国務省の安全保障担当次官です」


 グレイヴス次官は微笑を作りつつ、先ほどまでと変わらないやわらかい口調で、日本側の代表者たちに語りかけた。


「本日は、マナシンクロナイザーについて詳しくお話を伺えることを楽しみにしております。 この革新的な技術が持つ可能性と、それが国際社会に与える影響、引いては両国の関係について率直な議論ができればと思います」


「グレイヴス次官、ご丁寧なお言葉、誠にありがとうございます。 私は外務省東アジア局長の鈴木明美と申します。 両国の繫栄のため、忌憚のない意見交換を目指しましょう」


 最初に口を開いた彼女がやはり日本側のボスなのだろう。グレイヴス次官と同じく物腰は丁寧であり、表情もにこやかだが、感情を読みづらい雰囲気を感じさせる。外交官という人種は皆こうなのだろうか。


 グレイヴス次官と鈴木局長が一通りの挨拶を終えた後、エイダもまた微笑みながら自らの役割を述べるために口を開いた。


「国防総省から参加しました。 エイダ・レヴィーン少佐です。 魔法使いとして技術的な側面についても関心を持っていますが、特に軍事利用と国際的な影響について忌憚ない議論ができればと思います。 本日はよろしくお願いします」


 エイダは丁寧に挨拶をしつつ、周囲の反応を慎重に観察した。エイダの役割は、この会談の内容を正確に把握し、後に上司に報告することだからだ。


「経済産業省技術開発局の坂本隆司です。 本日は、マナシンクロナイザーついてご説明させていただきます。 軍事的な側面に関しても、ご懸念を払拭できるよう努めたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします」


 グレイヴス次官や鈴木局長とは対照的に、坂本の態度はより率直で技術者らしい印象を感じる。彼の眼差しには純粋な好奇心と熱意が宿り、マナシンクロナイザーについて語る際の声音には、わずかながらの緊張と高揚が感じられた。


 各々が握手のために手を差し出しエイダはしっかりと握り返す。グレイヴス次官も同様だが、エイダ以外の三人は手首にひっかけるようにして、少しだけゴツイ端末を装着している。


 エイダのような魔法使いは、マナチャンネルを活性化させることで、多かれ少なかれ他者の変化を感じ取る能力に優れている。エイダは会ったことはないが、他者の考えを読むだけでなく、相手に介入し、思考のコントロールすら可能な特化した魔法使いもいるようだ。


 魔法使いは、自身の能力で防御することが可能だが、非魔法使いは単独だと不可能なため、専用の端末によって考えを読まれることを防いでいる。非常に高価なため、一般的にはあまり流通していないが、こういった会談に参加する非魔法使いは標準で装備している。一通りのあいさつが完了したことを確認して席につく。


「それでは、始めましょうか」


 グレイヴス次官が言い、鈴木局長も軽く頷いた。会議室の空気が一瞬引き締まる。


「ありがとうございます。 それでは、まずはマナシンクロナイザーの概要と技術について説明させていただきます。 坂本さんよろしくお願いします」


 坂本は軽く頷き、スライドを表示させる。


「ありがとうございます。 それでは簡単に、マナシンクロナイザーについて説明させていただきます」


 やはり彼は緊張しているのだろう。いささか以上に額に汗を浮かべている。緊張しているのはエイダ自身も同様なのだが、そのことに少し親近感を感じてしまう。坂本は仰々しくスライドを表示しながら続ける。


「マナシンクロナイザーは、魔法を使用できない人々でも、一定時間だけ魔粒子とリンクし、魔法を扱うことができるようにする技術です。 これを可能にするのは、特殊な薬剤を体内に取り入れることで、外部から魔粒子との共鳴を一時的に誘発する仕組みです。 具体的には、薬剤が体内で一時的に人工的なマナチャンネルを形成し、使用者が魔法エネルギーを引き出せるようになります」


 坂本はスライドを切り替え、薬剤の化学構造やその作用メカニズムを簡略化した図を示す。


「この薬剤は、摂取からすぐに効果を発揮し、最大三十分程度、魔粒子とリンクします。 その間、通常の魔法使いと同様に、魔粒子の基本的な操作が可能です。 ただし、効果は一時的であり、持続時間が過ぎると共鳴が消失し、再度薬剤を摂取しない限り、魔法は使えません。 ここまでで何かご質問はありますか?」


 丁寧な説明に、合間で質問を取ってくれることに少し驚いた。勝手な偏見だが、技術者寄りの人間というのは、あまり共通認識の確立をしないというか、偏屈なのが多いと決めつけていたが、思い込みは良くないと自省する。エイダはせっかくなので率直な質問を投げかけた。


「ご説明ありがとうございます。 副作用についてはどうでしょうか? 短時間であれ、強制的に慣れない魔法を使うのは肉体や精神に大きな負担をかけるはずです」


 質問があったことに坂本は嬉しそうな顔をして、エイダの質問に回答する。


「おっしゃる通りです。 マナシンクロナイザーの使用後、摂取者は強い疲労感に襲われます。 これは体内のエネルギーを急速に消費するためで、長時間の連続使用は危険です。 また、精神的な負荷も無視できません。 そのため、使用は厳重な管理の下で行うことが推奨されています」


 やはり副作用はあるのか、このような薬剤のデメリットが疲労感だけであるはずがない。回答内容とは別に、坂本は少し興奮気味だ。


 どうやら、マナシンクロナイザー自体への好奇心が絶えず、話しているだけで誇りとやりがいを感じるようだ。なんだか少しうらやましくなってくる。そんなことを考えていると今度はグレイヴス次官が口を開いた。


「非常に興味深い薬剤です。 しかし、副作用や制限があるとなると、軍事的な実用性については慎重に検討が必要ですね。 現在までに、長期的な使用や依存の問題は確認できていますか?」


「長期的な使用や依存の問題については、私たちも慎重に検討を重ねています。 現在のところ、マナシンクロナイザーの使用頻度と間隔に厳格な制限を設けることで、依存のリスクを最小限に抑えられると考えています。 また、長期的な影響を調査するための追跡調査プログラムも進行中です。 これらの取り組みを通じて、安全性と実用性のバランスを取りながら、技術の発展を進めていきたいと考えています」


 つまり長期的なリスクは判明していないということなのか?答えになっているような、なっていないような玉虫色の回答。技術の安全性と実用性のバランスを取ると言いつつ、具体的な対策や結果については触れていない。


 これは単なる外交辞令なのか、見込みすらないのか、それとも本当にまだ何も判明していないだけなのか。無限にあるわけではない時間の中で、エイダは確認すべきことを選別して、質問しなければならない。質問に対して曖昧な回答しかない、ということは、おそらくまだ判明していないことなのだろう。そうあたりをつけて、別の掘り下げをすることにする。


「確認させてください。 マナシンクロナイザーを投与された非魔法使いは、どの程度まで魔法の使用が可能となりますか?」


 つうじょう軍隊の中で、魔法使いの絶対数は非魔法使いと比較すると、基本的には少数となることが前提だ。近年、非魔法依存の兵器性能の発展は著しく、数の差もあいまって魔法戦力の重要性は今後も下がっていくだろう、というのが主流の見方だった。その常識をマナシンクロナイザーは覆そうとしているのだ。


 現在のところ、魔法依存型の戦闘機や戦車は、非魔法依存型と比べて圧倒的な戦力を有している。また、歩兵としても魔法使いと非魔法使いの間には大きな戦力差が存在する。たとえば魔法使いは、魔粒子とリンクすることで優れた知覚能力を得られることが強みだ。(個人差はあるものの)


 極端な例を挙げると、マナシンクロナイザーを全兵士に投与すれば、一時的とはいえ知覚能力に優れた軍隊が生み出されるという脅威が存在する。さらに、魔法技術を応用した銃や戦闘機の運用までも可能になる可能性を考慮すると、その脅威は指数関数的に増大していくだろう。


 坂本の右目だけがピクピクと動いていた。論理的な思考を司る左脳に負担がかかっている兆候かもしれない。先ほどまでと打って変わって、慎重そうに答え始めた。


「まず、マナシンクロナイザーの投与例がまだ少ないので、確定したデータを前提にご説明をするのは現状難しいことにご留意ください。 そのうえで申し上げますと、先天的にマナチャンネルを有し、魔粒子へのリンクと魔法の使用が可能な魔法使いにおいても、その程度レベルには個人差があるのは言うまでもないことでしょう。 ここまではよろしいでしょうか」


「はい、認識に相違はありません」


「ありがとうございます。 それと同じように、マナシンクロナイザーの効果は、使用者の素質や訓練によって大きく異なると想定されています。 しかし、先天的な魔法使いと比較すると、魔法の使用に関するレベルは低いことが多そうということがわかっており、またマナシンクロナイザーの使用後は効果の持続中に知覚面の強化は確認されていますが、その程度レベルは現在調査中です。 つまり、一時的に魔法を使えるようになるとはいえ、熟練した魔法使いと同等の能力を発揮することは難しいと言えるでしょう」


「道理と言えそうな結果ですね。 詳細なご説明ありがとうございます」


 エイダはそのように受け答えながら、その含意を分析する。あくまで先天的な魔法使いと比較すると戦闘面では劣りそうだが、非魔法使いと比較すると、戦闘面の向上は無視できない、ということになりそうだ。


 一時的とはいえ非魔法使いに魔法の力を与えるこの技術の潜在的な影響力は無視できないが、新技術なだけに事例がまだ少ないのは本当なのだろう。これ以上の深堀は憶測にしからならず、議論としてはあまり有益ではなさそうに思えてきた。ここに関しても掘り下げは不要だろう。


 グレイヴス次官も同じことを考えていたのか、別の質問を投げかける。


「マナシンクロナイザーの利用と国際的な管理体制について、貴国はどのようなビジョンをお持ちでしょうか?」


 いつアメリカに渡すのか?それを迂遠に伝えるとこのようになるのだった。グレイヴス次官にとっては今日の本題ともいえる問いかけに坂本がタジタジしていると、今度は鈴木局長が少し考え込むように目を伏せた後、ゆっくりと答え始めた。


「マナシンクロナイザーの管理と利用に関しては、もちろん国際的な協調を欠かすことはできません。 ただし、日本としては、潜在的な軍事リスクを鑑みつつ、現在のところは、平和目的の利用を前提とし、独自に管理していくことが最も現実的だと考えています」


 鈴木局長の声は穏やかだったが、その言葉にはぴしゃりと言い放つ迫力がある。この場もまた戦場であるのだった。


「将来的には国連とIMSCの枠組みを最大限活用し、その中で薬剤が不正に拡散されないよう、慎重な取り扱いが求められるでしょう。 貴国との協力を重要視しつつも、マナシンクロナイザーが世界の平和に貢献するためには、日本が主導的な役割を果たす必要があると考えています。 もちろん、貴国との協力関係を強化し、平和利用の枠組みを共に作り上げていきたいと思っていますが、管理は日本が中心となるべきだと」


 アメリカ一国だけをひいきにするつもりはなく、あくまで国連を使うと言っているのだ。そして、アメリカの協力を求める姿勢を示し、薬剤の生産そのものは独自管理を主張している。アメリカの威だけは借りたい、そういうことだった。少しばかり以上に日本に都合が良すぎる姿勢にグレイヴス次官が切り返す。


「IMSCで締結に向け進行中のマナ抑制条約ですが、その枠組みは魔法兵器や魔法技術の軍事利用を抑制することを目指しているのはよくご存じかと思います。 その中で、マナシンクロナイザーのような一時的に魔法を使用できるようになるゲームチェンジャーがどのように扱われるべきかについて、いくつかの国が関心を示しています。 こうした技術が条約の精神にどう影響を与えるのか、慎重に議論が必要かと考えますが、日本側としてはどのように整合性をお考えでしょうか?」


 グレイヴス次官の問いかけは、マナシンクロナイザーがマナ抑制条約と矛盾する可能性を突こうとしていた。矛盾のある革新的な薬剤の存在に、アメリカの後ろ盾が必要ではないかと言っているのだった。鈴木局長は冷静に微笑んで応じた。


「ご指摘の通り、マナ抑制条約は各国が保有する魔法兵器の管理を規定しています。 しかし、マナシンクロナイザーはその枠内には当てはまらないと考えています。 なぜなら、この薬剤は魔法兵器の恒久的な力を付与するものではなく、あくまで一時的な支援技術です」


 鈴木局長は一拍置いて、坂本に目を向けた。落ち着きを取り戻した坂本もすぐに頷き、補足説明を始める。


「そうですね。 マナシンクロナイザーは、魔粒子との一時的なリンクを形成するだけであり、使用者に永久的な魔法能力を付与するわけではありません。 薬剤の効果が切れれば、使用者は元の非魔法使いに戻ります。 この一時的なリンクは、魔法兵器の保有や蓄積とは異なるものです。 条約の精神と反するようには思えません」


「ですから、我々としては、マナ抑制条約に違反するものではなく、むしろ、魔法使いと非魔法使いの格差の是正も視野に入れられる、平和的な利用の枠組みを広げるものだと考えています。 この薬剤が、救助活動や医療、さらには災害対応などの分野で大きな役割を果たす可能性を持っているのです」


「特に、中国やロシアなどの近隣国はマナシンクロナイザーの軍事利用に懸念を抱いています。 我々アメリカとしても、この薬剤が国際的な紛争の火種になることを防ぎたいと考えています。 平和利用を前提とするならば、その管理は我々と歩調を合わせて行うべきではないでしょうか?」


 グレイヴス次官の問いは鋭く、あまりに直接的だった。彼の目はにこやかだが、マナシンクロナイザーをめぐる国際的な力学、そしてアメリカの覇権を見据える冷徹な光が宿っているように見える。そう見えるのは私が穿ちすぎなのだろうか。日本単体では荷が重すぎる薬剤だろうと直接に言っているのだった。もっと言うと、国連を巻き込まずに、アメリカと日本だけでやろうや、ということなのだろう。


「その点は理解しています。 しかし、日本としてはまず技術の発展と管理を独自に進めることで、国際社会に信頼と実績を示していくつもりです。 もちろん、平和利用の枠組みが整った段階で、貴国も含めて共同歩調を取ることに異論はありません。 ただし、今はまだその段階ではないと考えています」


 鈴木局長の言葉は慎重でありながら、決して譲歩しない日本の立場を明確に示していた。グレイヴス次官は再び口を開こうとしたが、その時、エイダが声を上げる。

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