レリジヨンへの餞

@hikai

序章『光芒の零落』

#1 甘い崩壊-1

  きっと、この世に安寧など存在しない。

 それがたとえ、絵に描いたような素敵な世界に見えても、その柱は脆弱なものである。

ただ、それでもこの国の民は安泰を信じ、謳っていると思っていた。


 それが偽りであったと、気付きたくなかった。

 

 「あるとき、世界はとても美しくて、平安を保っていました。しかし」

 しかし、それは表面上の話。光の当たらない影で世界は混沌を極めていた。その混沌から生まれたのが、縋るという文化である。何かに縋る、つまりは信仰することによって自身の心を鎮めようとした。そしてどうやら、それがこの世界の正解だったらしい。

 

 「信仰を始めた人々は、その対象から不思議な祝福を受け取りました。それが魔法、魔術と言われるものです。しかし、人々は魔術を良からぬ方向に乱用し、一部だけでなく世界全体が混沌を極めてしまったのです。だから私達は何も信仰しないのです。人として、世界が少しでも均衡を保っていられるように」


 そう、この国には宗教が無い。それは他国に比べ戦力がすさまじく劣っている事と同時に、自ら戦争や奪い合いを好まない事の裏付けにもなっている。

 しかし、他国にとっては信仰をしない弱小国家は格好の獲物である。信仰をしない、つまり魔術を使う事が出来ない人間はダウターと呼ばれて虐げられてきた。

 この国のやっている事は偽善に過ぎないのかもしれない。このヴェネターボはそんな不安を数百年抱えながらも未だに健在していた。

 

 「話はこれでおしまいだよ」

 

 どこかから美しい楽器の音色が聞こえる庭園で、読み聞かせをするその貴賓のある姿に僕は見惚れていた。

 

 「本当に15歳なのが不思議で仕方がねぇよ。ナツリは紛れもないお姫様だな」

 

 突然背後から声を掛けられる。後ろを振り返ると、騎士志望の上級生であるタイレードさんがいた。

 

 「その割にはタイレードさんはそんなに強くないですよね」

 

 上目遣いでそう言うと、彼はすぐにキレた。僕が彼に襟を持ち上げられていると、それに気づいたナツリがこちらに近づいてくる。風に靡く白銀色の髪が神童という雰囲気を強く表していた。

 

 「何があったかは分からないけれど、レクは離してあげてくれませんか」

 

 柔らかい表情で諭すナツリ。緑色の澄んだ瞳でタイレードさんを見詰めていた。

 レク、というのは僕の本名の略称である。

 

 「ナツリは真面目だなぁ……こういうのは馴れ合いって言うんだよ」

 

 どこが馴れ合いだよ。と言いたかったがぐっと堪える。

 この人は反抗すればするほど面倒臭くなるタイプだ。長年の付き合いで理解している。長年の付き合いと言えば同い年のナツリもなのだが、この無信仰の国唯一の姫という立場な為あまり僕から何か行動を起こすのは憚られていた。一方、彼女の方は何か気にしてる様子は無いが。

 

 「真面目……ですか、私はそんなのじゃないですよ」

 

 少し不思議な返答をするナツリだったが、沈黙が流れることは無く子供たちの声が聞こえた。ナツリは持ち上げられている僕に急接近し、背伸びをして耳元まで口を近づけた。

 

 「じゃあ、またね、レク」

 

肩より少し長い程度の髪が首に当たる感覚で鳥肌が立ちそうだった。それでも僕はどうにかして冷静さを保たないといけない。


 「う、うん。また」

 

 「うわ」

 

 その声が漏らされた瞬間、襟を掴んでいた手を少し捻り上げる。


 「うっ…俺なんか悪いことしたかよ?って、顔真っ赤じゃ…痛っ!」


 「僕はただ驚いただけです。タイレードさんこそいっつも酒場で働いてるお姉さんのこと話してるくせに」


 冗談程度でその言葉を放った後、見上げた先にある彼の顔が明らかに暗くなっているように感じた。


 「何かあったんですか?」


 深くは聞かないなんて言うつもりはない。この人の事だから何か失敗や空回りでもしたのだろう。根掘り葉掘り聞いてやる。


 「あぁ…実はな、事件に巻き込まれたらしいんだ。最近物騒だからな」


 タイレードさんは正式な騎士ではない。だからこそ何も出来ない自分が悔しいのだろう。

 僕が聞くことではない。と、自然に思ってしまう。


 「物騒、といえばそうかもしれません。そういえば、騎士の試験って三ヶ月後でしたっけ?」


 「そういえばそうだな。でもなんつうか、不思議と緊張は無いんだ」


 タイレードさんのいつもの雰囲気が、先ほどから少しずつ剥がれているような気がしてならなかった。


 「俺はヴェネターボのみんなを守りたい、それだけなんだよ」


 その言葉にどんな意味が含まれているのか僕には分からない。だが何か葛藤があるということだけは理解できた。


 × × ×

 

 これほどに『甘い』という感覚を覚えることが人生にあるのだろうか。

 帰り道で子供と遊び終わったナツリとばったり会った僕は、意気揚々とした彼女に王宮へと連れ込まれた。そして…


 「レク、まだあるけど食べる?」


 手を引かれて、気がつけば数ある客間の一つにいた。無宗教国家だと言えども、僕の住んでいる家に比べるととんでもない豪勢である。


 「申し訳ないよ。こんなに良いもの、僕なんかに良かったの?」


 「僕なんかにって…まあいいか。日頃の感謝だと思って。お茶淹れてくるから少し待っててね」


 日頃の感謝と言われても、僕がナツリに何かした覚えはあまり無かった。

 改めて客間に目を向けると、壁には植物がデザインされた国章が掛けられていた。

 たしかウツシヨソウと言って、魔術から身を守ってくれるものという伝承がある。


 「はい、お待たせ」


 「ありがとう」


 紅茶が目の前に置かれる。水面に揺らぐ自分の顔がこちらを覗いていた。

 ナツリの方を向き直すと、彼女もまた紅茶を見つめていた。その表情から何か悩みがあるのは明白だった。

 ナツリの方が言い淀んでいるのであれば、僕から聞き出した方が楽なのではないか。そう思い僕は口を開く。


 『あ、あのさ』


 全く同じタイミングで、二つの声色が響き渡った。


 「ご、ごめん…!ナツリから話して」 


 「ううん!レクからでいいよ」


 静寂が続き、なんだかそれが少しおかしくなってきて、自然と口元が緩んでしまう。


 「ばかみたいだね」


 そう言って苦笑するナツリを見るに、緊張は解けたようだった。


 「さっきはああ言ったけど、私から話してもいいかな」


 「うん、聞くよ」


 透き通った緑の瞳が、真っ直ぐに僕を見詰めた。


 「私」


 いつの間にかナツリは、手を握り拳にして震わせていた。


 「魔法が使えるんだ」


 もしここがヴェネターボでさへなければ、きっとそれは普通の事だった。

 しかし、此処は「そういう国」なのだ。


 何かに堪えているような様子に、かける言葉が何も見つからない。日常が崩壊していく焦りが、心臓の鼓動を急かした。

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