34. 公爵家への道のり

 わたしはヘイグ公爵家の屋敷への道を、カレルと並んで歩いていた。

 塔のてっぺんから見るとすぐ近くにあるような気がしていたが、こうして歩くとけっこう距離がある。

 この道を、カレルとヤナで、一日三回、食事を持って往復しているのだ。頭が下がる。


 歩いている間、ずっと横目でチラチラとわたしを見ていたカレルが、恐る恐るといった感じで、ふと声を掛けてくる。


「……夫妻に、塔に来ていただかなくて、よろしいのですか?」

「ええ。来るかどうかもわからない人を待ち続けるのには、もう疲れたの。それなら自分から会いに行くわ」


 冷めた声でそう答えると、カレルは悲し気に眉尻を下げた。


「そうですか」


 そう短く返してくると、それからは口を噤んだ。


 正直なところ、冷静さを装ってはいるが、わたしの心臓は先ほどからドクドクと脈打っている。手のひらにはじんわりと嫌な汗をかいていた。


 もし、嫌なことを聞かされたら? その可能性は高い。

 わたしはわざわざ傷つくために、この道のりを歩いているのかもしれない。


 そんなことを考え続けていたからか、屋敷に近付くにつれ、緊張は高まっていく。

 そしてついに門の前にたどり着くと、屋敷を見上げた。


 こんなに小さかったかしら。もっと大きかったような気がしていたけれど。


 おそらくは、わたしの身長が伸びたせいなのだろうが、おかげでわずかに緊張が解けた。


「僕たちは使用人なので裏口を使うのですが、お嬢さまは正門のほうがいいですよね」

「えっ、ええ」


 問われたことに、慌てて頷く。

 そうだ。わたしはヘイグ公爵家の長女なのだから、正門を使うものなのだ。


 でも、裏口からのほうがなんの障害もなく入れるのではないかしら、などと弱気が顔を覗かせる。

 いけない。もっと毅然としていないと。なんら後ろ暗いことはないのだから。


 ちらりと視線を向けると、門を守っていた衛兵が一人、こちらを見て数歩、後ずさった。

 わたしたちが視界に入ったからだろう、さっきまではもう一人いたが、屋敷の中に飛び込んでいった。誰かに報告でもしているのか。

 久しぶりにそんな態度を見たわ、とため息が漏れる。やっぱりカレルとヤナは特殊なのだ。


 カレルがまず前に出て、残っていた衛兵に尋ねた。


「公爵夫妻はいらっしゃいますか?」

「……お前、その人は……」

「はい、ツェツィーリエお嬢さまですよ」


 黒髪に赤い瞳。これ以上の身分証明はない。


「な、なにしてるんだよ、お前!」


 叫ぶように声を上げる衛兵に対して、カレルはにこやかに答える。


「だから、公爵夫妻に会おうとしているんですよ。そうですね、いないならいないで構わないかな。待たせてもらいますから。さあ、門を開けてください」

「い、いや、それは……」


 するとカレルはわざとらしく顎に手を当てて首を傾げると、こちらを振り返った。


「お嬢さま、どうしましょう。困りましたね」

「そうね。わたし、この家の娘だというのに、入れないなんておかしいわ。どうしたらいいのかしら。もう壊してしまったほうが早いわね」


 少し面白くなってきて、わたしが頰に手を当てつつそう応じると、衛兵はしばらく唸ったあと、門を開いた。

 それから黙ったままで俯いているので、少し可哀想になってくるが、仕方ない。


 わたしたちは門をくぐると、玄関までの道を歩く。すると何人かがこちらを遠巻きにして見ていることに気付いた。

 怖くて近寄れない、ということらしい。


 ならば、とわたしたちはズンズンと歩いて玄関の扉を開き、屋敷の中に足を踏み入れた。

 中でも混乱しているようで、廊下の脇にある部屋の扉から、こちらを覗き込む顔を見かける。


「ずいぶんな扱いね」

「そうですね、お嬢さまはこの家のご令嬢だというのに、失礼極まりない」


 聞こえよがしにそう会話すると、慌てて扉を閉めて部屋に引っ込む人たちがいた。

 しかしその中で、勇気を出したのか、一人の男性が近寄ってきた。ただ、話しかけたのはわたしではなくカレルにだった。彼の腕をつかむと、引っ張って廊下の端に連れていく。

 とはいえ会話は丸聞こえだ。


「お前、それはマズいって。なんてことしてくれてんだよ。帰ってもらえよ。っていうか、なんで出られたんだ? お前、なんかしたのかよ」


 けれどカレルは笑顔で返していた。


「お嬢さまはこの公爵家のご令嬢。屋敷に入るのになんの不都合があるんです?」

「それはそうだけど、『封印の塔』から出しちゃダメだろ」

「あれえ? いいんですか? 今こちらにおわすのは、ツェツィーリエお嬢さまだってわかっているんですよね?」

「え……」


 その使用人は、改めてちらりとわたしのほうに視線を移すと、「ひっ」と声にならない叫びを上げ、後ろに下がった。

 本当に失礼極まりない。わたしは少し唇を尖らせた。


「いや……あの……」


 その男性は、急にしどろもどろになってしまう。

 対してカレルは相変わらず、落ち着いた態度だ。


「では、公爵夫妻がどちらにいらっしゃるのか、教えていただけますね? ああ、大丈夫、誰が漏らしたかだなんて口にはしません」


 脅迫にしか聞こえない。いや、脅迫なのだろう。


「……公爵夫妻は、今は家族団らんのお時間だよ……」


 ぼそりとつぶやくと、彼は逃げるように立ち去っていった。


「やれやれ。どこにいるのか聞いたのに、的が外れたことしか言いません。使えないなあ」


 腰に手を当てて、呆れたように零している。


「カレル……あなた、とんでもない悪人に見えるわよ……」


 わたしこそ呆れかえってしまう。

 しかしカレルはニヤリと笑って返してきた。


「いやだなあ、お嬢さま。僕はなにもしていませんよ。少々お嬢さまの威を借りてしまったことは、謝罪しますが」

「構わないわ」


 普通に案内してもらえないなら、そうするしかない。


「とにかく、公爵夫妻はご在宅のようではあります。場所を訊いてきます」

「大丈夫よ、覚えているわ」


 子どもの頃しか過ごしていないからだろうか。屋敷内の雰囲気はあの頃とは違うように感じる。でも、きっとわかる。

 団らんを過ごすとしたら、あの部屋だ。一番奥の、広い部屋。暖かな日差しが降り注ぐ、明るい部屋。冬は暖炉で薪が爆ぜている、一年中快適な部屋。

 家族でくだらない話をして笑い合っていた、あの部屋。


 わたしは自分の記憶を頼りに、廊下を進んでいく。

 ここまであまりにも騒がれてしまったから、緊張どころではなくなったのは幸いか。


「ここだわ」


 両開きの扉を前に、わたしは立ち止まる。中からは、和やかな声と笑いが聞こえてきた。

 誰も近くにいない。ここの使用人たちは、主人にわたしが来たことを知らせなかったのか。魔女の逆鱗に触れることを怖がり過ぎではないだろうか。


 わたしはノックもせずにドアノブを握り、扉を大きく開いた。

 中にいた従者たち、そして四人の公爵家の面々は、突然に開いた扉に驚いたようで、一斉にこちらを振り返った。


 わたしは殊更に明るい声を上げ、なんでもないふうを装いながら、挨拶をする。


「ごきげんよう、お父さま、お母さま。覚えておいででしょうか? あなた方の娘のツェツィーリエが参りました」

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