思い出ナポリタンとCM

 クレインマジックでは試作の料理の他に、時折「まかない」と称して昼食が振る舞われる。大学の講義との兼ね合いで悠がこれを食べられるのは週に1度だけだが、1週間待ち遠しく思うほどの楽しみだ。


 その日の「まかない」はナポリタンだった。ニンジンとピーマンとタマネギを千切りにし、ウインナーを斜めに切ったものが入っている。悠の持っているイメージよりは野菜が多めなのは、利益度外視だからだろう。


 悠の分だけ山盛りになっているナポリタンの皿が、対面式キッチンの隣にある小さなテーブルに置かれる。

 席のない悠は、いつもこのテーブルで試食をしているのだ。


 トマトケチャップの酸っぱい匂いが漂ってきて、いかにも喫茶店のナポリタンという風情がするのが夏生のナポリタンの特徴だ。


 全員に皿が回ったのを確認すると、悠は手を合わせていただきますと早口で言い、早速フォークを手に取った。

 理彩はタバスコをたっぷりと掛けているし、高見沢はパルメザンチーズを直前に削ったふんわりとした粉チーズをスプーンでがさっと掛けているが、悠はここで出される料理はまずはそのままで一口食べることにしている。


 アレンジは好みかもしれないが、夏生が「こういう味にしたかった」というものをまずは食べてみたいのだ。それが、作った相手に対する敬意の表し方とも思っている。

 フォークにたっぷりパスタと野菜を一緒に巻いて、ぱくりと口に入れる。酸味はあるが思ったよりはまろやかで、余所で食べるナポリタンではあまり感じない香ばしさもある。


「うまい」


 滅多に笑顔も出さないくせに、食べるときだけは顔を綻ばせる悠を、自分はフォークも持たずに夏生がじっと見ていた。


「美味しい?」

「ああ、変な言い方かもしれないが、子供の頃に連れて行ってもらった喫茶店のナポリタンみたいだ。懐かしい味がする」

「懐かしい、か。そう思ってもらえるのは嬉しいな。でもこれ、僕の納得できる味になってないんだよね。あー、今回もやっぱり違う! あの味が出ない!」


 器用に皿を避けて机に突っ伏し、珍しく嘆いている夏生に、理彩と高見沢までもが驚いたように食べるのを止めて彼に注目した。


「あの味、って? これよりもっと美味しかったってこと?」


 理彩の問いかけは驚き混じりで、多少の疑いを含んでいるように聞こえた。

 夏生は顔を上げると、珍しく口を尖らせて理彩に反論している。


「僕が子供の頃、時々父が作ってくれたんだ。僕の大好物だったんだよね。だから言えるけど、この味は、違う。もっと美味しかったんだよ。それを再現したくていろいろ試してるんだけど、うまくいかない」

「思い出補正が掛かってる可能性もありますね。お父さんに直接訊いてみたらいいのでは?」

「それができれば話は早いんだけどね……」


 深い深いため息を夏生がつく。何やら事情がある様子だが、訊きづらい雰囲気を夏生は纏っていた。

 今は完成に至らなくても、研究熱心な夏生のことだから、いつかそこに辿り着くだろう。そんな風に軽く考えながら、悠は山盛りのナポリタンを堪能した。


 

 リリースが近づいてきたある日、悠は桑鶴から会議室に来るようにと呼ばれた。名前は会議室だが、実質的には半ば物置と化している6畳の一室だ。

 壁に面してメタルラックが置いてあり、キッチンに入りきらない米や小麦粉などのストックや、缶詰などの常温保存可能な食品もここに置いてある。


 実はもう一部屋あるのだが、そこは応接室という名の仮眠室だった。時折桑鶴や理彩がここに泊まり込んでいるのを悠も知っている。忙しさからというよりは、単に帰宅するのが面倒だかららしい。こういう時、トイレのみならず風呂までもが当たり前についているマンションは便利だ。


 会議室の中には桑鶴と夏生がいた。会議用の長机ふたつには椅子が一応5つ置いてあるが、悠はここが使われているのを初めて見た。

 そもそも会議そのものが滅多にないし、自席に着席したままで話し合いをしても済んでしまっているからだ。


 何故今更こんなところでと思ったが、ひとつ心当たりがあった。リビングにはまだ悠の机はなく、理彩と高見沢は基本的に席を離れることがないので、悠を含めて会議をしようとすれば悠が座るところがないので必然的にここを使うことになるのだろう。

 その推測はおそらく正しいと思えた。悠が着席するとすれば、試食用の小さなテーブルだけで、その椅子はキッチン側に向かっているから会議には使いにくいのだ。


 桑鶴に見せられたのは、夏生が撮影した悠の動画だった。

 チキンソテーの皿を持ち、箸で一切れを口に運ぶ。それを口に入れた途端、それまでのキリリとした顔がはっきりと緩んだ。もぐもぐと咀嚼してから、しみじみと「うまい」と呟いている。なんとも満足そうな表情だ。

 見ている悠は顔から火が出るほど恥ずかしい。これは、顔に出すぎなのではないだろうか。夏生が疲れる度にこれらの動画を見てモチベーションを高めていると思うと、更に恥ずかしくなった。


「どうだハルキチ、見てるだけでうまそうなのが伝わってくるだろう!」


 夏生をナツキチと呼ぶように、いつの間にか悠をハルキチと呼ぶようになった桑鶴が何故か自慢げにしている。毎度思うのだが、「ハルカ」を「ハルキチ」と呼ぶのは、文字数が増えているので非効率に感じて仕方ない。


「リリースに向けてCMを作るんだが、これ以上にいい素材はない。ナツキチは他人に見せるのを渋ったが、撮影してるのは俺も見ていたから、拝み倒して見せてもらったら実にいい素材じゃないか! 最近のスマホは画質が高くて本当にいいな! これを使っていいか? もちろんその場合ボーナスは出す」

「俺が食べてる姿を?」


 苦虫を噛みつぶしたような表情に相応しい、いかにも機嫌の悪そうな声が悠の声帯から出た。

 なんだそれは、嫌に決まっているだろう。自分が見ているだけで恥ずかしい動画をCMに使われたらたまらない。全国の人間に見られるなんて考えたくもない――。

 立て続けに文句が頭の中で出てくるが、一方でボーナスは非常に魅力的だ。


「……ボーナスは、いくらですか」


 最初にここに来た時と状況が似ているなと思いながら尋ねると、桑鶴が得意げに片手をパーの形に広げて見せた。

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