ビジネスマナー

「私が作ってるのは基幹部分のプログラムが主ね。レイアウトとかの見た目は桑鶴さんがやってるから、プログラミングの方に専念してるの。桑鶴さんがプロジェクトマネージャー兼デザイナー、私がプログラマーって言った方が正確かな」


 カタカタとキーボードを鳴らしながら理彩が答える。それを聞いて悠は半分驚き、もう半分は安心した。


「社長はそんな仕事もしてたのか」

「経歴が謎ってくらいいろいろやってるわよ。レシピにキャッチコピー付けてるのも桑鶴さんでしょ?」


 理彩に言われ、思わず悠は唸る。そういえば、自分は桑鶴について名前以外はほとんど知らないと改めて気づいたのだ。

 気づきはしたが、だからといって別にそれを桑鶴に聞こうという気にはならないのだが。


 悠の内心の驚きには気づいていないようで、理彩は相変わらず作業を続けながら自分の仕事について説明をしてくれた。


「基幹部分さえ作っちゃえば、各レシピの表示部分はコピペでいいのよ。モジュール分解って聞いたことない? パーツを汎用性があるように作れば、使い回しができるの」

「そうか、理彩が昨日と同じ服を着てたから、また泊まり込みでろくに寝ないで仕事してたんじゃないかと思って心配したけど、安心した」

「……ちょっと」


 初めて理彩が手を止めて悠の方を振り向く。その吊り上がった眉を見て、悠はびくりと肩を振るわせた。これは理彩のお説教が始まるサインなのだ。


「デリカシーがない! 悠も、少しはビジネスマナーを身につけるべきだわ。ここは学校じゃなくて会社なんだから」

「ビジネスマナー? 名刺の渡し方とかか?」


 先程使った皿を洗いながら、理彩の発言の意図がわからずに悠は聞き返した。問い返した悠に、そうではないと理彩は首を横に振る。


「昨日と同じ服を着ていたのも、泊まり込みで仕事したのも認める。でも『昨日と同じ服』っていちいち指摘するのは配慮が足りなさすぎ。それにせめて敬語を使いなさいよ。私は確かに従姉だけど、ここは会社だからね? 私が前に勤めてた会社だったら、会議室に呼び出されて2時間くらい説教のパターンよ」


 理彩の苦言は、悠から理彩に対してプライベートと同じように喋りかけていた事に関してらしい。引き金となったのは「デリカシーがない」悠の一言ではあったが。


 言われて今更ながら気づいたが、一般的にはタメ口に始まり上司を呼び捨てなど、とても会社でするものではない。


 クレインマジックは真の意味でアットホームな会社だ。

 そもそも正社員が4人しかいないし、社長の桑鶴が一番適当な性格である。夏生と理彩と高見沢は年齢も似たり寄ったりで、良い意味でも悪い意味でも互いに遠慮がない。


 最初からそれを見ていた悠は、他の3人と剣持にはともかく、理彩には敬語を使えなかった。そもそもが敬語は使い慣れておらず、時折素で話してしまうこともある。


「何を言ってるんですか。うちの会社に敬意を払う存在なんていませんよ。無理に敬語なんか使わなくて自然体でいいです。敬意のない敬語ほど空虚なものはありません」


 理彩の言葉に対して反対意見を述べてきたのは、意外にも礼儀正しそうに見える高見沢だ。実家が寺だという彼女の言葉は時に妙な含蓄がある。

 高見沢はアルバイトの悠に対しても丁寧な言葉で話す。犬猿の仲である理彩に対しても敬語だ。


 だが、言葉が丁寧な事と語調が荒い事は同時に成立するため、時折彼女が理彩と話しているときには、敬語のはずなのに全く敬語に聞こえないときがあった。


「またあんたは……余計な口を挟まないで。一般常識としてこの子に説明してるの。誰かが言ってやらないと、ずっとこのままだったら困るのは悠じゃない」


 理彩は高見沢に対して言葉がとげとげしい。言っていることは正論なのだが、ふたりの気質が合わないせいで口喧嘩を仕掛けているようにも見えた。

 それに対して高見沢も全く遠慮がなかった。言葉だけは丁寧だが、優しげな顔に似合わず冷たい声が飛び出してくる。


「人に対してあんた呼ばわりする貴女に言われる筋合いはないですよ。まず自分から直したらどうです? 私と貴女は役職でも同列、入社も一緒。違いは年齢ひとつだけ。先に生まれたら偉いんですか? はっ、ちゃんちゃらおかしい!」

「まあまあまあ。ふたりとも、ステイ、ステイだ」


 掴み合いになりそうな高見沢と理彩の間に桑鶴が割り込んだ。悠は女性ふたりの剣幕に気圧され、口を挟めないままでただ棒立ちになっているばかりだった。

 女性ふたりを仲裁しながら、桑鶴が悠に向かって苦笑する。


「ハルキチ、無理に敬語を使う必要ないぞ。俺も敬語を使われるような大層な人間じゃないし、うちの会社はそもそもはみ出し者の集まりだからなあ。ビジネスマナーなんて、大学を卒業して他の会社に就職するつもりがあったら身につければいい」

「ちなみに、多分桑さんと僕は君を他の会社に行かせるつもりなんかないけどね」


 夏生も言葉を掛けてくる。彼はキッチンの向かいにある倉庫にしている一部屋で、ストックの整理をしていた。ドアは開け放されたままだったので、リビングの言葉はよく聞こえたのだろう。

 高見沢は勝ち誇って理彩を見下ろし、限りなくブラックに近いグレー企業の社畜経験が長かった理彩だけが悔しがっている。


 女性ふたりは激し目の性格だが、夏生の圧倒的な穏やかさと、桑鶴のうまいこと人を煙に巻く能力でこの会社の人間関係が成り立っていた。高見沢も理彩も、仕事に関して妥協がない人間なので、業務中は余計なことで喋ったりしないのがこの場合は幸いしている。

 その光景を見て、悠は胸を撫で下ろした。


 自分は人付き合いがうまくない事は重々承知している。人懐こい性格とはほど遠く、顔も強面だし、丁寧な言葉も使い慣れていない。コンビニのバイトなどだったら完全に不向きだったろう。


 クレインマジックは、桑鶴からして型にはまっていない。初対面の時のダメージジーンズも驚いたが、上下スウェットで会社にいた日もあった。

 ビジネスカジュアルの範疇に収まる服装しかしない理彩は、そんな桑鶴に顔を顰めていたが、「誰に会うわけでなし」という一言に返す言葉がないようだった。


 そんなアルバイト先だが、不思議と居心地がいいのだ。

 その一件から、悠は会社内でも丁寧語を使う事をやめた。

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