クレインマジックの譲れない部分

 料理レシピのアプリは動画が主流になっていて、既に何種類かの先行アプリがある。国内での最高シェアを誇るアプリは4000万以上のダウンロードがあって、ひとり暮らしを始めるときに悠もスマホに入れたことがあった。……一度見ただけで結局使ってはいないのだが。


 クレインマジックの対象ユーザーは、悠のような「料理経験ゼロ」層だ。イチョウ切りと言われても何のことか分からない、「既存アプリの対象ユーザー未満」を狙っている。いわゆる隙間産業とも言えた。


 四季折々の旬の素材を主に使い、徹底的に「作りやすい」をテーマにしているそうだ。

 だが、悠には「何故旬の素材を使った方がいいのか」がそもそも分からない。

 ここで浮き彫りになるのが「夏生が当たり前に知っていることでも、ユーザーである料理初心者が知っているか分からない」ということだ。


 用語や調理器具の使い方などについて夏生はひとつひとつ悠に意見を求め、悠が理解出来るまで説明を書き直したりもしている。

 それを繰り返しているうちに、「料理が徹底的に出来ない人間の、クレインマジックという会社での必要度」がひしひしと悠にも感じ取れてきた。


 レシピが出来上がると夏生は桑鶴に企画書を出す。料理のコンセプトや使う材料、その料理を作ることで得られる技術など、記載は多岐に渡っていた。ここから料理のキャッチフレーズをつけたりするのは桑鶴の仕事らしい。


 先に企画書があって料理の開発をするのではないかと悠は疑問に思ったが、夏生に言わせると「出来上がってからじゃないとレシピの記載ができないから」ということらしい。名前こそ企画書だが、企画が通らなかったのは悠が働くようになってから見たことがない。

 企画にゴーサインが出てから、撮影の日取りが決まる。撮影くらいここにいる人間でできるのではと悠は思ったが、アプリにとっては最も重要な部分であるから、プロのカメラマンに頼んでいるらしい。


 撮影は専用のスタジオを使うのかと思っていたら、クレインマジックのキッチンをそのまま使うという。

 桑鶴に言わせると、経費削減兼、「家で作れないものをアプリで出す気はない」という譲れない理念の為らしい。


 撮影の日にやってきたカメラマン兼ライトマンの剣持けんもちは夏生より更に上背があり、悠とは頭ひとつ分ほども身長が違う男性だった。

 悠に負けないこわもてなので最初は若干緊張したが、厳つい顔に似合わぬ繊細な仕事をする人物だ。


 影を配慮して高い位置からライトを当て、鍋から立ち上がる湯気などで画面が曇らないようにカメラの死角から扇風機で風を当てたりするのも彼の仕事だ。

 明るさや色味の調節などはさすがプロというこだわりがあって、剣持の指示に従って動きながら悠は新たな驚きを感じていた。


「ライティングは俺の本職ではないのだが、大学時代に叩き込まれたし、スタジオ撮影では避けられないものなんだ」


 休憩時間に夏生の作ったおやつを摘まみながら、初対面の悠に剣持はそう自分のことを評した。

 床にテープを貼って作られたラインがあるのを初めてここに来たときから悠はずっと疑問に思っていたが、剣持がその位置を基準にライトを設置したのを見て納得する。ライティングと撮影のどちらもこなす剣持は、その点が桑鶴に気に入られているのだろう。


 本来はブツ撮りをすることが多いが、依頼があれば余程の専門外でない限りは受けるそうだ。

 今までで一番辛かったのは、コレクターから頼まれて300体以上ものこけしを撮影したことらしい。悠からすると、聞いただけで気が遠くなる。


「ライティングがバッチリ決まれば、後はこけしをどんどん入れ替えて撮っていくだけなんだけどな……とにかく数が……こけしはもう見たくない」

「それは……わかるような気がします」


 300体のこけしを想像すると、夢にまで出てきそうだった。


 剣持はあくまで専属ではなくてフリーであるために、スケジュールを入れられた日にまとめていくつもの撮影をする。そういう日には理彩と高見沢も撮影の手伝いに回り、キッチンはとても賑やかだ。

 撮影した動画は理彩が編集をして音声をカットし、夏生の指示に従って字幕を入れる。


「そろそろこれはあんたにやらせるからね」


 悠が皿を洗っている最中に理彩がそんなことを言い出したのは、悠が働き出してから1ヶ月ほど経った頃だった。

 すっかりクレインマジックに馴染んだ悠は、週3回のアルバイトが完全に日常となっている。家からも大学からも遠くなく、食事が出る高時給のアルバイトはとてもありがたいものだった。


 字幕を入れるだけならば、極端なソフトウェアの専門知識は要らない。理彩はアプリ開発をひとりでこなしているので、リリースに向けて忙しいのだ。

 夏生の手伝いがないときには、既にデバッグも悠の仕事として動きつつある。


「それはいいが……そこを手放しても、理彩ひとりでこのアプリの開発ができるのか?」


 従姉は社畜体質だ。悠もそれは重々承知している。だからこそ、彼女がオーバーワークなのではないかということが心配で悠は尋ねた。

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