料理人は繊細

 4人が息を詰めて自分を見つめているのを感じたが、今度もやはりそんなことに注意を向けていられない。

 ひよこ色に焼き上がった端からそっと菜箸を入れて、思い切ってひっくり返す。油をきちんと引いて焼いたせいか、先程のようにぐしゃりとはならず、先端の一部がくるりと巻けた。


「おお……」


 思わず感動して、普段は出ないような声が漏れた。

 その部分からまた丁寧に卵を返していくと、多少不格好ではあるが、玉子焼きとはっきりと言うことができるものが出来上がった。夏生がしていたようにまな板の上に乗せて、6つに切ってから皿に乗せる。

 

「……できた」


 自分でも驚きだ。桑鶴たちが次々に玉子焼きに箸を伸ばし、口に運ぶ。ぱっと綻んだその顔を見れば、悠の玉子焼きがうまくできたのは間違いないことのようだ。


「ほら、速水くんも」

「あ、ああ」


 夏生に促されて自分でも食べてみると、先程夏生が作ったものほどではないにせよ、十分に美味しい。これを自分が人の手を借りずに作ったというのは信じられないくらいだった。


「おめでとう、ナツキチ! この動画で初心者でも再現可能だというのは証明されたぞ。まあ、他の料理も全てチェックし直さないといけないけどな。君の苦労は、ちゃんと実ったということだ。――それと、速水悠くん。採用試験は合格だ。これからよろしく頼む。君とナツキチが作り上げた玉子焼きは、見事の一言だった」

「はい」


 桑鶴に褒められて気持ちがふわふわとしたところに、笑顔の夏生が歩み寄ってきて悠をハグする。案外容赦のない力でのハグに、思わずぐえっと声が出た。


「凄いよ、速水くん! 君は本当に得がたい人材だし、僕が心の底から欲していたアシスタントだよ。料理経験マイナスの状態から僕の動画を見て無事に再現してくれたし、僕なりに作りやすさと美味しさを両立させられるように努力して用意したレシピで、こんな風に美味しそうに食べてくれる。君が食べてるときの表情で、僕の苦労は報われた! 本当に、君に会えて良かった」


 自分が女だったら、こんな男前にいきなりハグをされて卒倒していたかもしれない。

 それはともかく、料理経験ゼロならともかくマイナスとはなんだと悠もチラリと思ったが、喜んでもらえているのは案外悪い気はしなかった。



 それから悠は週に3日ほど、株式会社クレインマジックでアルバイトをすることになった。最初のうちは、既に撮影済みの動画から料理をひたすら作り続けた。大部分の料理は悠でもほぼ同じように作れたが、中には難しいものもあり、その度に夏生は手順の説明を練り直している。


 それと平行して行われていたのが、夏生のレシピ開発だ。扱うレシピは完全に初心者向けで、難しい料理は作らないというポリシーがある。


 その分開発も簡単なのではと悠も最初は思ったが、夏生にとっては足枷になるらしい。

 繊細な味を表現するためにスパイスを多用したり、口当たりを優先して手間を掛けて裏ごししたりという作業は入れられないようだ。

 一般的なスーパーで入手できる珍しさのない素材と、複雑すぎない工程とで作ることのできる料理を模索している。


 その試食をするのは夏生の希望通りに悠の仕事で、期待に満ちた目で皿の上の料理を見つめ、口に運んでは噛みしめて「うまい」と呟く悠の様子をいつからか夏生は撮影するようになった。 


「俺が食べてるところを動画に撮って、どうするつもりなんですか」

「モチベーションの維持になるんだ」


 即答した夏生に「そんなものがモチベーションの維持になるのか」と悠が訝しげにしていると、彼は人当たりの良い笑顔で理由を詳しく説明してくれた。


「前にも言ったけど、高見沢さんや速水さんは辛口すぎて褒め言葉とか期待できないしね」

「それは確かにそうですね」


 理彩も高見沢も辛口だ。理彩は人の能力に対してシビアで褒めるということを滅多にしないし、高見沢は「四本さんの料理は美味しいのが当たり前だから、当たり前のことを褒める必要はない」と思っている節がある。


「何度も料理を試作して、うまくいかなくて疲れたなって思ったときにこの動画を見るんだよ。そうすると、頑張ろうって気持ちが復活するんだ。僕の作った料理を君が喜んで食べてくれて、『うまい』って言ってくれる。それも、軽くじゃなくて、本当に言葉を噛みしめながら言ってくれる。それがどんなに作った人間にとって嬉しいか、わかるかい?」

「実感できる訳じゃないけど、なんとなく理解はしました」


 そもそも夏生が試食係に悠を指名した理由がそれだったのだから。

 もっとくだらない理由だったら撮るなと言おうと思っていたが、夏生の主張は筋が通っている。社長の桑鶴は底の見えない人物だが、理彩と高見沢は夏生のようなクリエイターとしての繊細さとは縁遠い。

 会社全体に関わるアシスタントとしては、案外重大な問題にも思えた。――まあ、自分はいつも素で試食をし、思ったことを言うだけなのだが。

 それほど表情豊かではないと周囲からも言われ、自分でもそう思っていたが、夏生から見るとそうでもないらしい。

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