玉子焼きリベンジ

 玉子焼き用のフライパンを火に掛けて十分にそれが温まったのを確認すると、夏生は油を垂らしてから折り畳んだキッチンペーパーを菜箸で挟み、むらの無いように油を塗り広げた。

 余分な油を溜めないためでもあるんだよ、と夏生は悠に向かって柔らかな声で解説も入れてくる。


 夏生はそのフライパンに卵を全て入れると、箸でゆっくりと混ぜながら焼いていく。卵が半分くらい固まったところで菜箸だけで器用に少しずつ端から返して、焦げ色も付いていない美しい一本の玉子焼きを焼き上げた。

 

「はい、これで出来上がり。食べてみて」


 まな板の上で切り分けたそれを白い皿に乗せて、夏生は悠に差し出した。

 皿を受け取り、理彩が差し出した箸を持って玉子焼きを一切れ取り上げると、確かに母の作った玉子焼きとよく似ていた。見た目で違うところと言えば、こちらの方がずっと整っているというところか。


 折り返し始めたときには卵は半熟だったのに、断面を見ると綺麗にくっついていて、まるで最初から一本の玉子焼きでしたよという声が聞こえてきそうだ。悠の作ったものとは根本からして違いすぎる。


 手渡された皿の玉子焼きからは、ほのかに出汁が香っている。見た目にも艶があって、いかにも美味しそうだった。


「いただきます」


 まだ熱い玉子焼きを少し吹き冷まして、ぱくりと一気に口に入れる。口当たりはふんわりとしていて、出汁の風味と甘みがちょうど良く、濃すぎもしない優しい味だ。彼は目分量で作っていたのに、この絶妙さはどこから来るのだろう。


「……うまい」


 目を見開いて悠が言えたのはそれだけだった。

 家の玉子焼きは砂糖で甘いか塩でしょっぱいかの二択だったが、この玉子焼きは白だしやみりんなどいろいろな調味料を使っていたせいか、複雑な味を出しつつも卵の優しい味が引き立てられていた。

 品の良い味付けはいくらでも食べられる気がする。マヨネーズが入ったのを見たときには驚いたが、食べた感じではマヨネーズの味がする訳ではない。隠し味という奴なのだろう。もしくは、それを入れることで卵が滑らかに混ざるとか、何かの作用があるのかもしれない。


 夢中で食べていると、気づいたときには皿は空になっていた。

 はっきり言って食べ足りない。あと三本くらい食べたい。そう思いながらも溜息をついて、箸を持ったまま手を合わせる。


「ごちそうさま。はぁ、うまかった。間違いなく今まで食べた中で一番うまい玉子焼きだった。凄いな、凝った作り方をしてる訳でもないのに、調味料がいろいろ入るとこんなに違うのか……」


 うっかり、その後に「もっと食べたかった」と本音を漏らしてしまう。悠が食べ始めるところからじっと視線を注いできていた夏生は、悠の最後の言葉に晴れ晴れとした笑みを浮かべ、ぐっと拳を握りしめている。


「決めた、僕はこれから、試食は全部速水くん、えーと、ハルカくんの方の速水くんにお願いする」

「どうしてですか」


 高見沢がいかにも不思議そうに尋ね、夏生は眉をつり上げるとキッとそちらに視線を向けた。


「高見沢さんも速水さんも、全然美味しそうに食べてくれないじゃないか! 感想を聞いても『悪くありませんよ』とか。最近の僕はどんどん自信を失ってきてたんだよね!」

「自信を失ってた? 四本さんが? 自信と格好付けと筋肉と料理で構成されてるみたいな四本さんが?」

「悪くないから悪くないって言ってるだけじゃないですか。四本さんの料理が美味しいのは規定事項ですから、当たり前のことをいちいち言う気がないんですよ。これでも私、口が肥えてるもので」

「それでも美味しいって言ってもらいたいのは作り手として当たり前じゃないか! ふたりとも酷いよ!」


 部長3人の言い争いが子供じみていて酷く滑稽だ。ぽかんとそれを見ていると、桑鶴がにこにことしながら悠の肩を叩く。


「……とまあ、うちで働くとこういう特典がある訳だ。ナツキチの絶品料理を食べられるというたまらないやつがな。その上で君にもう一度聞いてみたい。どうだ、うちで働かないか?」

「働きます」


 思わず悠は即答していた。多少ブラックでも構うものかという気に既になっている。

 試食ができれば食費を浮かせることもできるし、バイト代がそもそもいいのだから。それに、本当のブラックだったとしたら、理彩が自分を巻き込むはずがないとやっと気がついた。


「よし、よく言ってくれたな。じゃ、最後のテストといこうか。この動画を見て、君にもう一度玉子焼きを作って欲しい。

 初心者向けに考慮されたレシピと過程を省略せずに全て見せる動画とで、料理が作れない初心者でも一定水準のものを作ることができるというのを、うちでは売りにするわけでな。ナツキチだけが料理をうまく作っても無意味なのさ。ナツキチが作ったレシピ動画を見て、初心者でも本当に再現可能なのかを検証しないといけないからな」

「ああ、なるほど」


 料理ができない人材を探しているという言葉が、悠の中でやっと腑に落ちた。 

 桑鶴に渡されたタブレットで再生した動画は、材料の計量から全て丁寧に過程を映し出されていた。

 なるほど、動画で見れば道具も何を使うのか間違えることがない。道具の名前までもがきちんと表示されていて、「見る料理の教科書」という感じがする。


 画面下部に入るテロップで材料の分量やコツなどの解説が入っているが、先程夏生が言っていたキッチンペーパーで余分な油を吸い取るところも出てきて、そこで初めてそこに映っている料理をしている人物の手が、夏生の手だと気づいた。色白で、節ばった大きな手だ。チラリと見てみると桑鶴の指はもっと細い。


 彼の手が玉子焼きを作るのを見るのは、動画を含めて二度になる。手順は大分頭に入った。

 悠はもう一度キッチンに立つと、タブレットを側に置き、材料をその都度確認しながらボウルに入れ、夏生の手の動きをひたすらに真似た。


「材料を混ぜるときに菜箸の先端が広がるように持つと混ぜやすい」というのも解説にあったので、ものを食べるときには決してしないその持ち方をして卵を混ぜる。泡立て器ではなく菜箸で混ぜるのは、泡を立てないためだそうだ。


 さっきはいきなり材料を入れた後にコンロに火をつけたが、動画の手順を真似て点火し、火加減を調節し、手のひらをかざしてフライパンが温まっているのを確かめた。何度かタブレットに視線を戻したが、自分でも最初に作った玉子焼きと様子が違うのははっきりとわかる。

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