異世界転生ガチャをしたがる悪役令嬢を全力で阻止しようとする王子の話
七狗
第1話 どうせ婚約破棄されるなら次の転生先へ旅立ちますと婚約者が言うので全力で阻止しようと思います
「……婚約破棄?」
心地の良い日差しが降り注ぐ庭園は、季節の花々が咲き誇り、心地いい風が吹いている。
庭の中央に設置された四阿で、私は呆然と目の前に座る彼女の顔を見た。
傷一つつかないと言わんばかりの白磁の肌に、腰まで伸びる艶やかな黒髪。奥底まで覗き込めそうな程に透き通る青い瞳。
スタイルのいい身体に沿うように作られたシンプルなロイヤルブルーのドレスには、細やかな銀の刺繍が施されていて、陽光が当たる度にきらきらと輝いている。
ルールティア・オーディア。
彼女は、この国で類い稀なる優れた知識を授けられると言われている、オーディア家の娘である。
彼女は特に薬学の知識に精通し、まだ年若い少女でありながら、国内の医療は勿論、衛生問題にまで一石を投じ、数々の功績を残してきた逸材だ。
大人に混じって会話をしても、豊富な知識を持って受け答えをする為に幼さを揶揄される事もない、かといってそれを鼻にかける事もなく、常に周囲に優しく接する事の出来る、物腰柔らかな性格をしている。
そんな彼女を私の婚約者へと望む者は多かったし、私自身、聡明で心優しい彼女に惹かれていた。
だからこそ、婚約が決まった折には、喜びでいっぱいであったし、これから先、彼女と共にこの国を担うべく、邁進していこうと心に誓っていた。
その矢先に、何故こんな事になっているのだろうか。
(そもそも、私が婚約破棄される側なのはおかしくないだろうか……?)
ロシュニア王国の王子として生まれた私と、公爵家の娘であるルールティア。
もしも婚約破棄を言い渡すとしたなら普通は逆ではなかろうか、と私は疑問に思うけれど(そもそも、そんな事をしようとは思いもしていないのだけれど)、彼女はすました顔を崩す事はない。
冗談で言ったわけではないのだろう事は、それではっきりと理解出来てしまう。
私はゆっくりと呼吸を繰り返し、そして深く長く息を吐き出した。
そう、こうした時こそ、冷静さを欠いてはいけないのだ。
「ルールティア。私達の婚約は、個人間で交わされた口約束などではないのはわかっているだろう?」
「ええ、存じ上げています」
であれば、何故こんな事を言い出したのか。
私がそう問いかけようと口を開きかけた瞬間、目の前に一枚の紙が差し出される。
「ですので、陛下に許可を頂きました」
「は?」
ぺら、と目の前に差し出された一枚の紙。
そこには確かに国王陛下、もとい、父上のサインが書かれている。
(……あのクソ親父!!)
どうして勝手に人の婚約を破棄しようとしているんだ、あの馬鹿は!!
優しいと言えば聞こえはいいが、八方美人で物腰が弱く、争い事が苦手な父は、つい周囲の意見に流されがちだ。
思慮深い母と有能な宰相を始めとした優秀な臣下達がいなければ、この国はどうなっていたかも知れない。
人が良過ぎる性格と政略などにとんと無頓着な父親のせいで、母や臣下達から「お願いですから殿下だけはああならないで下さい」と幼い頃より言い聞かされ、どれだけの重圧がかかってきた事か。
「勿論、正式な文書はこれから作成するとの事ですわ」
ことりと首を傾けて、彼女はにこりと可愛らしく笑った。
私は手にした紙を没収し、すぐさま従者を呼んで、先の話を全力で阻止するよう指示を出した。
当事者のいない所で重要な事を決めないで欲しい。頼むから。
「ルールティア、教えてくれないか。私に何か不満や至らない部分があると言うのなら、改善していこう。互いに歩み寄りをしないまま関係を解消してしまうと言うのは、あまりに乱暴ではないか?」
「いいえ、殿下。殿下には何の落ち度もございませんわ」
であれば、彼女がどこぞの男に惚れ込んだとか、そういった話なのだろうか……。
ありとあらゆる不安に襲われて、私は内心で慌てふためいた。
この国の王子として、派手すぎず、かといって気品を損なわないよう、身なりや姿勢や立ち振る舞いに至るまで周囲にどう見られているかを叩き込まれてきたものだし、自分自身、それを常に意識してきた。
王になる為の勉学に励むのは勿論、剣術や馬術などの鍛錬も欠かさず、文武両道も心掛けてきたのだ。
それらは次代の王としての責務を果たそうとして、でもあるし、彼女に相応しい男であろうと心がけてきたからでもある。
一体どこのふざけた男が彼女に手を出したのか。場合によっては汚い手を使ってでも始末しなければあるまい——。
私がそんな事を密やかに考えていると、ルールティアは首を振り、私の疑念を払拭した。
ならば、一体何が原因だと言うのか。
「今から三年後、殿下は運命の女性と出逢います。ですので、私は次の転生先に旅立ちたいと考え、婚約破棄を申し出たのです」
「…………は?」
あまりに突然の言葉に、私は思わず呆けた声を出してしまう。
だが、彼女は全く微動だにせず、ただ淡く微笑んで私を見つめ返すだけ。
「え、あー……、いや、すまない。よく聞こえなかったのだが、もう一度教えてはくれないか?」
運命の女性? 次の転生先? 旅立ち?
一体全体何を言っているのか。
「ですから、殿下は三年後に運命の女性と出逢うのです。その際、殿下は私に婚約破棄を言い渡すのです」
そんな馬鹿な、と思いはするけれど、彼女の眼は曇り一つなく、透き通っている。
混乱したまま、どうにか聞き出した彼女の話を要約すると、こうだ。
彼女はこの世界にルールティアとして生まれ落ちる以前の記憶があるという。
その世界で、彼女は薬剤師という職業に就いていたそうだ。
薬学や衛生についての知識が豊富なのは、そういった前世での記憶があるからだろう。
そして、そこではこの世界で起きる出来事を記した小説があるらしく、ここがその小説の世界だと気付いたルールティアは、ある懸念を抱いたという。
それが、三年後に出会う、運命の女性とやらだ。
小説でのルールティアは悪役令嬢という役割を持つ登場人物であり、本来ならば私と結ばれる為に、悪逆の限りを尽くしてその女性を陥れ、最終的に私に愛想を尽かされて婚約破棄を言い渡されるという。
まあそこまでしたら確かに婚約を破棄されてもおかしくはないが、今のルールティアは全くもってそんな人ではない。
そもそも、私とルールティアがその女性に接触しなければいいだけではないのだろうか、と思うけれど、彼女曰く、物語には修正力という、物語通りに進まなければいけないという不思議な力が働いてもおかしくはないそうだ。
「そうだとしても、そういった時は二人で困難に立ち向かうべき、ではないのか?」
「そう言った殿下が裏切る可能性はゼロではないのですもの。三年後に皆の笑い物にされるくらいなら、早々に諦めた方が建設的ではございませんか?」
「いやいや、運命だとか言って長年付き添ってきた婚約者をあっさり振って、よく知りもしない女性と結婚するなんて、王子としてというより、人としてどうかしているだろう!」
「私のいた元の世界では、それが罷り通っているお話がごまんとあるのです、殿下」
「幾ら何でも倫理観が破綻しているのではないか?!」
大丈夫なのか、その世界?!
げんなりした私が頭を抱えると、「ふふ、殿下はやはり誠実なお方ですわ」とルールティアは青い瞳を柔らかに細めて笑っている。
私は恥ずかしさを覚えて居住いを正し、彼女に向き直った。
言っている事は支離滅裂で荒唐無稽だけれど、彼女がやはり嘘を言っていたり、冗談を言っているようには思えない。
「君のように聡明で、美しく、周囲の者にも分け隔てなく接する事が出来る慈愛に満ちた女性はそういない。私も、そんな君を慕っている」
だから、と言って、私は彼女の手を取った。
自分の気持ちが伝わるよう、真っ直ぐに熱を帯びた眼で、彼女を見つめる。
「だからこそ、ですわ。だからこそ、私は次の転生先に向かうのです」
ルールティアは、変わらず毅然とした態度でそう言い放つと、私の手をするりと離して鮮やかに笑って見せた。
その意思の強さに私は及び腰になるけれど、このまま彼女のペースに乗ってはいけない、と頭を振り、その不安を払拭する。
せめて何かこの状況を打破するものはないだろうかと、縋る気持ちで彼女に問いかけた。
「転生先、というが、そう簡単に行けるものなのか?」
転生というからには、一度人生を終わってこの世界に生まれ落ちたのだろう。
だとするならば…………。
嫌な想像が脳裏を過り、私はぎくりとして彼女を見た。
……いや、そんなまさか。
「そのまさかですわ」
「いやいやいや、いくら次の転生先に行きたいからって、自ら命を絶つなんて思い切りが良過ぎるだろう!!」
「まあ、殿下はツッコミの才能もおありですのね。多才でいらっしゃる」
「はは、ありがとう。……じゃなくって!!」
もう、何だってそんな思い切りがいいんだ!!
思わず頭を抱えたくなっている私に、ルールティアは優しく微笑み返している。
「ご安心下さいませ、殿下。わたくしが次の転生先へ赴く際に使用する毒薬は、服薬後に眠るように命を終え、体内に毒素を残しません。それに、一切外部に生成方法を漏らすような粗相は致しませんわ」
「何ら安心出来る要素がないのだが……」
そんな恐ろしい事を、世界一かわいいと言っても差し支えない笑顔を浮かべて言わないで欲しい。
泣きそうな気持ちになりながら、私ははたと気がついて、彼女を見た。
「もしかして、君が数々の薬を研究開発していたのは、その為か?」
「ええ。ですが、一般の方々にも医学の恩恵は与えられるべきです。副産物としてではありますが、それらを必要な方々の元に届けられ、助けられる命があるならば、努力は惜しみませんわ」
努力の方向性が明後日へ向かっているものの、彼女は彼女なりにこの国を想い、国民の為に手を差し伸べようとしているのだ。
その献身性に心を打たれた私は、やはり彼女を何としても引き留め、次の転生先へと向かおうとするのを阻止しなければなるまい、と強く決意する。
「優しいだけでは国を担って行く事は出来ない。父を見てそれを学んだ私は、聡明で機転が利き、尚且つ民の為にと手を差し伸べられる心優しい君のような人を、私の伴侶として選びたい」
だから、どうか考え直してはくれないか。
私はもう一度、願うような気持ちで彼女に訴えかけた。
彼女の綺麗な青い瞳は揺れて、憂いげに睫毛を震わせている。
「わたくし、溺愛追放チートやざまぁなどには一ミリも興味はありませんの」
「は?」
「わたくし、わたくしは……、異世界転生するのなら、もふもふに囲まれながらスローライフを満喫し、ありとあらゆるグルメを堪能する旅をする事を望んでいましたの!!」
「は……はい?」
彼女の突然の訴えに、私は呆然とする他はない。
「なのに、気がつけば悪役令嬢ではありませんか!! 酷いですわ! がっかりですわ! どうしてこんな事に!!」
わあっと泣き出してしまった彼女に、私はおろおろとしながらも、落ち着きなさい、と手を握り締めた。
彼女の言っている事は何一つわからないけれど、この世界が彼女の望む世界ではなかったというのは、痛い程に伝わってくる。
「と言うわけで、わたくしは次の異世界に転生したいのです」
すんと鼻を鳴らして顔を上げた彼女は、居住いを正すと、もういつものように凛々しい姿へと戻っていた。
だが、取り乱してしまったのが少しばかり恥ずかしいのか、ほんのりと頰に赤みが残っている。
それを可愛らしいと思う程度には、私は彼女を好いているのは本当の事だ。
ならば、その為に何をしなければならないのか、と私は思考を巡らせる。
彼女の憂いを払い、三年後の未来を変える為、私が今しなければならない事は——。
「ルールティア。ならば、一つ賭けをしないか?」
「賭け、ですか?」
彼女は不思議そうに首を傾けているので、私はしっかりと頷いた。
「もし、三年の間に君がこの世界にいるのが惜しいと思わなければ、その時は潔く身を引き、君を送り出そう」
「本当ですか?!」
こんな事を花が咲くような笑顔で喜ばないで欲しい、と悲しく思いつつ、私は更に続ける。
「但し、三年の間に、君がこの世界に未練があると思ったなら、私との婚約を破棄せず、共に生きて欲しいんだ」
私の言葉に、ルールティアは呆けた顔で私を見つめていたけれど、ふ、と柔らかに吐息を零すと、挑戦的に笑って見せた。
「望む所です。私のもふもふスローライフグルメ旅への執着を舐めないで欲しいですわ!」
「こちらこそ、そう簡単に逃げられないと思わない事だな!」
まるで宣戦布告とも取れる言動をする私達を、遠くで控えていた従者達が心配そうに見守っていたのは、言うまでもない。
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