戦国スナイパー

 永禄元年 (一五五八年)七月某日、俺は美濃可児みのかに郡にある 御嵩みたけ城を間近に捉える場所までやって来ていた。


 今現在鶴ヶ城には、遠山六頭の大規模な軍勢が攻め寄せて間断なく攻撃を続けている。それに負けじと、城将の馬場 信春ばば のぶはる殿が必死で抵抗をしている。いつ来るかどうか分からない援軍を心待ちとしながら。


 それを尻目に何故俺はここにいるか? 当然ながらサボりではない。


 理由は御嵩城主 平井 頼母ひらい たのもの行動にあった。


 平井 頼母は当家の家臣である。それも二つの城を持つ破格の待遇だ。重臣と言って差し支えない。そうであるなら、例え御嵩城が美濃斎藤家との最前線であろうと、主家の一大事には兵を出す義務がある。これが本来の筈だ。


 けれども平井 光行ひらい みつゆき・頼母の親子は、病気を理由に兵を出さなかった。なのに何故か連絡役として美濃平井家に送っていた小田切 孫右衛門おだぎり まごえもんからは、御嵩城へ大量の食糧が運び込まれていると報告が入る。この時点で分かった。平井親子は裏切ったと。


 織田弾正忠おだだんじょうのじょう家の使者がやって来た日、家臣達には各戦線の割り当てをしたが、俺自身は何処の戦線に赴くとは伝えなかった。相手はあの木下 藤吉郎である。動かす勢力は美濃遠山みのとおやま家だけとは限らないのではないか? そうした心配が、俺自身を遊撃部隊の隊長にする決断をさせた理由となる。


 何も無ければそれで良い。その時は遠山の連中を背後から攪乱する役割でも果たそう。そう考えていた。


 それが見事に大当たり。こんな下衆の勘繰りは当たって欲しくなかったというのが本音である。


 内幕はきっとこうだ。岩村遠山いわむらとおやま家に対しては、平井親子が裏切るから高遠諏訪家は混乱する。そこを心置きなく攻めろと伝える。平井親子に対しては、遠山六頭が高遠諏訪家を攻めるから背後を襲えと伝える。


 誰だって負け戦はしたくない。報酬や因縁の有無に関わらず、戦をするなら勝ちたいものだ。だから岩村遠山家には、勝ち筋があると思わせる必要があった。演出のようなものである。詐欺なら定石の手法だ。


 今回のような場合は仲間の存在があると知るだけで、勝手に良い方に捉えてしまう。軍を動かすには十分な理由と言えよう。


 また平井親子には、遠山六頭が高遠諏訪家を倒して塗り替わった東濃の勢力図を想像させれば良い。高遠諏訪家という泥船と共に沈むか、それとも新たな東濃の盟主とお近づきになるか。そのどちらが家の発展となるかと尋ねれば、答えは一つである。


 岩村遠山家を動かすために平井親子を平気でだしにする。木下 藤吉郎に目を付けられたのには同情をするが、何故その口車に乗ったのか。


「申し上げます。御嵩城の城門が開き、先頭が門より出てきました」


「おっ、ついにか。さあ、やるとするか。宗貞むねさだ利三としみつ、行くぞ。頼りにしているからな」


 これも全ては因果応報。しっかりと償ってもらうとしよう。


 美濃平井家の軍勢が下りてくるだろうと思われる山道の中央に陣取り、仁王立ちとなる。脇を固めるのは安倍 宗貞あべ むねさだ斎藤 利三さいとう としみつ。そして各々の郎党が各一〇名程度。保科 正直ほしな まさなお服部 正成はっとり まさなりの二人は、兵達と共に山道の両脇から少し離れた所に伏せて隠れている。合計すると約一〇〇名の兵数だ。


 美濃平井家が動員できる兵の数は一〇〇〇名を少し超える程度と推測される。そうなれば両陣営の兵力差は、一〇倍もの開きがある形だ。この差で戦を挑もうとする俺は、事情を知らない第三者から見れば頭がおかしいと判断されるだろう。


 だがその差を覆して勝利できる理由がある。だからこの地にいる。


 策自体は大したものではない。大将である平井 頼母を討ち取るというありふれたものだ。兵力が一〇〇〇程度の規模なら、大将は前に出て士気を鼓舞するのが一般的である。理由も無く後方で踏ん反り返っていれば、人は付いてこない。


 いや、平井 頼母が後方から動かない度胸の無さなら、そもそも裏切りをしないか。


 また、美濃平井家の今回の敵は、主家の高遠諏訪家となる。昨日までの主家は今日から敵。そう言われてすぐ頭を切り替えられる者がどれだけいるだろうか? 当家が東濃で悪政を敷いているならまだしも、そんな事実は無い。


 だからこそ、尚更平井 頼母は前に出なければならない。目的地への引率の目的もあるだろう。だがそれよりも、兵をなし崩しに戦に突入させるには自身が体を張る必要がある。そうしなければ人は付いてこないものだ。


 リスク無しでは裏切りはできない。そんな当たり前の話である。


 やがて俺と平井 頼母、その両者が互いの存在を確認できる距離にまで軍勢が近付く。それまでに平井 頼母は斥候を出してきたが、伏兵の二人がしっかりと倒してくれていた。ここで平井 頼母が踵を返し、城に戻っていたらどんなに良かったか。


 だが現実は悲しい。戻らぬ斥候を無視した結果、俺は平井 頼母に別れの挨拶をしなければならないようだ。


「これはこれは。四郎様ではないですか。何ゆえこのような所に。今は戦の真っ最中ではないのですか?」


「頼母の側近だな。顔を見た記憶がある。御嵩城に来たのは、病に掛かった平井親子を見舞うためだな。家臣思いの慈悲深い領主だろう?」


 そんな俺の思いとは裏腹に、事態は刻一刻と進む。俺達の存在を確認した軍勢は進軍を止め、先頭の騎馬武者が一騎近付いてきた。平井 頼母自身は先頭集団にいるものの、その周りは馬廻と呼ばれる親衛隊が固めているものだ。流石に不用意にこちらに近づいてくる程愚かではないらしい。


「ご安心召されよ。頼母様は快癒され申した。故に援軍として駆け付けようと軍勢を率いているのです。ささ、四郎様。我等の軍勢と共に敵を蹴散らしに参りましょうぞ」


「そんな嘘はいらないぞ。軍勢を率いるには事前の準備が必要だ。昨日今日快癒したからと言って、直ぐに軍勢を編成できる訳ないだろうに」


「わ、我等を疑うのですか? 美濃平井家は高遠諏訪家の重鎮ですぞ! それを不当に貶めるなど、聞き捨てなりませぬ! このような屈辱、例え四郎様でも容赦致しませぬぞ!!」


「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 裏切り者を倒せと俺を呼ぶ! 名を汚したのはお前等の方だ!! 平井 頼母! その命で罪を償わせてやる!!」


「よう言うた! 返り討ちにしてくれるわ! その首、木下殿への手土産としてやる!!」


 だがその慎重さも、側近がぶち壊してしまえば意味は無い。いや、こちらの数を見て、勝てると思ったのだろうな。だからこそ、あっさりと木下 藤吉郎の名を口に出す。これで美濃平井家の謀反が確定した。


 平井 頼母の側近が俺目掛けて突撃してこようとする。目の前に手柄がぶら下がっているのだ。一度退いて態勢を立て直そうとは考えなかったのだろう。


 その判断は間違っていない。戦は勢いが大事だ。それを即断即決できる。平井 頼母は良い家臣を持ったようだ。


 ──残念ながら、こちらの家臣の方がもっと上ではあるが。


「ぐっ」


 ここで突然その側近が短い悲鳴を上げ、馬から落ちてしまう。ピクリとも動かないその側近には、さっきまで無かった矢が一本胴体に刺さっていた。


「四郎よ」


「うわっ! って、何だ昌輝まさてるかよ。いつの間に俺の隣に。で、頼母の側近が落馬したのも、昌輝の仕業だな」


「そういうのは良い。それよりもこの後どうすれば良い。四郎」 


「分かった。分かった。潰せ。それも徹底的にな」


「承知」


 神出鬼没に現れ、俺の隣で弓を構えていた真田 昌輝さなだ まさてるも、当家の優秀な家臣の一人である。相手の動きを察知して、いち早く動いていた。しかも一発必中。見事な腕前というしかない。


 そんな真田 昌輝は、この高遠諏訪家にやって来てからある兵器に魅了されていた。それは俺が初陣で小栗 教久おぐり のりひさ殿を討ち取ったカタパルト式の矢であり、名を管矢くだやと呼ぶ。


 効果は矢の初速を二倍近くに引き上げる。ただ、それだけだ。


 しかしながら、それが大きな恩恵を与える。矢の威力増加は勿論、放たれた矢は速過ぎてまず目視できない。つまりは避けられない、当たればより痛い矢となる。これが理由で俺は管矢を指揮官キラーと評していた。


 そんな指揮官キラーを、使いこなしたいと真田 昌輝が相談してきたのは東濃に赴任してからすぐの出来事である。俺に言った兄や弟とは違う別の道をこれだと感じたのだろう。管矢は威力こそ高いものの、クセがある。そのため、これまでは誰もが使い手になろうとしなかった。俺が二つ返事で了承をしたのは言うまでもない。


 勿論ただ了承するだけでは面白くない。承諾にはある一つの悪ノリが添えられた。


 俺は真田 昌輝には東濃で名を高めて欲しいし、兄や弟を超える存在になって欲しいと願っていた。だからこの機に特別製の弓を贈る。管矢の使い手になりたいなら、この弓を使えと。


 贈った弓は和弓の完成形とも言える「弓胎弓ひごゆみ」。しかも内部の竹芯を通常の四枚よりも三枚多く配し、七枚とした仕様である。矢の威力を上げるには、弓のバネをより強力にすれば良いと竹芯の枚数を増やした頭の悪いカスタムだ。それに加えてアイアンサイトも設置した。名を勝手に須嵐虞流と名付ける。


 ただこうしたピーキーな仕様は中二病心をくすぐるのか、真田 昌輝は須嵐虞流を一目見て惚れ込む。以来日々研鑽を続け、今では立派な狙撃手へと成長した。悪ノリも突き抜けてしまえば大きな武器となる。それを体現したのが今の真田 昌輝と言って良い。


 そんな真田 昌輝が、無駄の無い流れるような手順で管矢を装填した弦を引き絞る。正しい型であれば余計な力は必要無い。そう言わんばかりの美しい所作である。そう思った瞬間に矢を放つ。続けて淡々とした口調で「そろそろ敵大将首は討ち取ったと叫んだ方が良いんじゃないか?」と俺に告げた。


「おっ、おおぅ……」


 こう返すのが精一杯だった俺を誰も攻められはしないだろう。


 事実、場は完全に静まり返っていた。何が起こったか分からないというより、突然平井 頼母が落馬した現実を受け入れられないでいるというのが正しい。


 それは味方も同様である。俺を守るようにして立つ斎藤 利三さいとう としみつ安倍 宗貞あべ むねさだは動きが止まり、何をどうして良いかが分からなくなっていた。


「敵将 平井 頼母は高遠諏訪家家臣 真田 昌輝が討ち取った! 戦は当家の勝ちだ!! 残りの敵を殲滅するぞ! 利三、宗貞、俺に続け! 正直と正成、何をしている! 敵に攻め掛かれ!!」


 まだ父親の平井 光行は生きているが、そんな事は関係無いとばかりに突撃の指示を出す。指揮系統が乱れた今なら、組織的な抵抗は行えない。数の有利も、活かせなければ役には立たないからだ。敵が正気に戻る前に押し切れば良いだけである。


 加えて、音も無く飛来する管矢が敵の混乱に拍車を掛ける。乱戦になっていようとお構いなく矢を放つ真田 昌輝の神経にはぞっとするものの、これも自信の表れだと家臣を信じるのが俺の役目だ。分隊支援弓だと割り切る位で丁度良い。


 程なくして敵兵が逃げに転じる。こうなればこちらの勝ちは揺るがない。各所で将棋倒しが起こり、収拾が付かなくなっていた。


「武器を捨てて投降しろ! そうすれば命は取らない!」


 美濃平井家の敗北まで後少し。木下 藤吉郎の策の崩壊は、この敗北から始まる。

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