二人の本質
「はっ、何を根拠にこの書状を偽造と決め付ける。筆跡か? それとも花押 (サイン)か? どこがどう違い偽の書状だと確信したのか、はっきりと申せ」
俺の言葉に場は大きく荒れ、喧嘩別れとなる。そんな未来予想図を描いたというのに、現実にはそうもいかない。それがもどかしくもある。
木下 藤吉郎は確かに怒っている。それはまさしく怒髪天を衝かんばかりの形相だ。なのに席を立とうとしない。
それ所か、今度は俺を追求しだす。この時点で木下 藤吉郎が自分自身で偽書だと認めているのもほぼ同じであるが、怒りのあまりそれすら気付かないのであろう。冷静さを欠けば交渉では不利となる。今回の書状は筆跡や花押にとても気を使ったのだと良く分かった。
本来なら、こうなる前に帰るべきであろう。当家と喧嘩別れとなっても、木下 藤吉郎には他の手段が残されている。それを行えば良いだけだ。
つまるところ使者の目的は、高遠諏訪家を
だが、木下 藤吉郎は何故かそれを選択しようとしない。気付いていない可能性も考えたが、それはあり得ないとすぐに思考を止める。むしろ何か理由があって、岩村遠山家の利用をしないと決めたのではないかと考えた。
改めてこの両者を比較してみる。そこには一つの答えが浮かび上がってきた。
「そういう訳か! これなら納得できる」
「勝頼殿、儂の話も聞かずに何を一人で納得しているのか。無礼であろう!」
話を聞こうともしない俺の態度に木下 藤吉郎は顔を真っ赤にするが、だからと言って態度を改める気は無い。引き続き思考に集中する。
高遠諏訪家の中立と岩村遠山家の軍事行動。この二つには大きな違いがあった。それは必要となるコストの差。岩村遠山家を動かすには、
相手が例え因縁のある高遠諏訪家だとしても、依頼する織田弾正忠家は
そこから考えるに、木下 藤吉郎が俺の説得を選び固執するのは、費用対効果からとするのがしっくりくる。口先だけで従わせられるなら、経費は一切掛からない。だからこそ、怒り心頭でも決して帰ろうとしないのだろう。
ああ、なるほど。こうした発想ができるからこそ、木下 藤吉郎は出世できるのだ。武家とは違う。まるで役人のそれである。世が世なら経費削減の鬼として、名を轟かしていたのではないか。
幾ら織田弾正忠家が裕福であっても、銭が無尽蔵に沸いてくる訳ではない。人が畑で穫れる訳がない。使い過ぎれば枯渇もする。死に過ぎれば兵を揃えられなくなる。そんな当たり前を分かる者は意外と少ないものだ。これは現代でもそう変わらない。会社の経費だからと無駄遣いを平気でする者は意外と多い。
織田弾正忠家が国内統一に舵を切ったのも、これが影響しているかもしれない。内に外にと敵を抱えた状況では、穴の開いたザルに水を流すのと変わりはしないというもの。無駄に経費ばかりが増えていく。この状況を何とかしたかったのだろう。
そんな織田弾正忠家を利用するならどうすれば良いか? 織田弾正忠家は国内統一を優先する。木下 藤吉郎は、そのために是か非でも当家に邪魔をされたくない。なら没交渉となれば、次は岩村遠山家や苗木遠山家への働き掛けだ。出世に拘る木下 藤吉郎に失敗は許されない。
織田弾正忠家に経費を使わせ、岩村遠山家を動かさせる。これが俺の最適解と言えるだろう。
岩村遠山家には借りがある。それを返済してもらう機会はこれ以上にない。その軍勢をきっちり仕留め、領土は俺が美味しく食べさせてもらうとしよう。
「私が相手の話を聞かない? その言葉はそっくりそのままお返しさせて頂きます。私は先程言いました。『次お二人とお会いする時は戦場にて』と。これを変えるつもりはありません」
「じゃから、それは偽書である場合であろうに。その程度か分からぬか」
「……そうですね。分かりませんから、これ以上する話は無いと判断します。お帰りはあちらですよ」
そうと決まれば、俺が話し合いに応じる必要は無い。体良くあしらい追い返す。これだけで良いなら楽なものだ。
「貴様、儂にそのような口を聞いても良いのか!? 前にも言ったが、儂はいつでも尾張米の荷止めをできるのだぞ! それを分かった上で発言せよ!」
「どうぞどうぞ。何なら米だけではなく、塩の荷止めもして頂いて構いませんよ。高遠諏訪家の民や兵達は皆、粗食でも塩が無くとも耐えられる屈強な強者揃いですので。この程度、苦痛でも何でもありません」
「よう言うた!! ならばお望み通り、米と塩を荷止めしてやろう! 後で泣きついてきても知らぬからな」
「大口顧客を逃した織田弾正忠家がどうなるか。実に楽しみですね」
勿論それは木下 藤吉郎が荷止めで脅してきても、何ら変わりはしない。前回の会談で俺が退いたのは、屈服した訳ではない。こうしてもう一度持ち出された際に突っぱねられるよう、対策をする時間が欲しかっただけである。
米は当然だが、俺は同じ戦略物資の塩もいつか脅しの道具にされると予想していた。東濃は木曽川を利用した物流によって尾張塩が運ばれてくる地である。集積地は
何故俺が岩村遠山家の鶴ヶ城を奪取したドサクサに
それは明知城の南にある
そう、だからこそ明知城周辺の道を整備すれば、足助に集積された塩が容易に手に入るのだ。この環境が整うまでの時が必要だったのも、俺が前回退いた理由の一つでもある。
悪いな、木下 藤吉郎。俺もアンタ同様に本質は武家じゃないんでね。切り札をもう一つ持っている事に前回で気付いたのさ。それを切り札とさせずにあっさりと潰す。後は俺の掌の上で踊るが良いさ。
「絶対に吠え面をかかせてやる。今に見ておけよ! 諏訪 勝頼!!」
こうして俺と織田弾正忠家使者との会談は幕を閉じる。最後に捨て台詞をしっかり残してくれたのは最早様式美だろう。俺を含め、
「さあて邪魔者は帰ったし、これからは悪巧みの時間だ。次の戦では、木下 藤吉郎をぎゃふんと言わせるぞ!」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「四郎様、お見事でした。あの時の木下 藤吉郎の顔、思い出しただけでも笑いが込み上げてきますぞ」
小休止を挟んで、今度は戦の打ち合わせが始まった。
「爺、本当に笑うのは次の戦に勝ってからだ。次は結構きついぞ。何せ戦うのは織田弾正忠家だけではないからな」
「それは一体どういう意味でしょうか?」
「間違いなく木下 藤吉郎は遠山七頭……じゃないな。明知遠山家を除いた遠山六頭を動かしてくる。当家を足止めするためにな。木下 藤吉郎はそういう男だ」
「まさか! いや、敵を少し侮っていたようですな。それで四郎様、対策はございますか?」
使者が帰り緊張の糸が切れてしまったのか、最初は和やかな雰囲気で始まったものの、俺の一言で皆の顔は引き締まる。
変化が無いのは
これなら勝てる。そう確信した俺は、続きを話し始める。
「勿論だ。こういう時のための
「なるほど。次の敵は遠山六頭という訳ですな。はて? 先程は織田弾正忠家と偉そうと仰っていたような……」
「それも勿論する。光秀、兵五〇〇を預けるぞ。織田弾正忠家の兵を追い返すだけで良いからな。城も落とさなくて良い。新兵器のベアリング弾仕様弓二〇〇と焙烙玉も持って行け。これで何とかしろ」
弓が放つのは矢だけではない。そんな発想で作られた新兵器がこのベアリング弾仕様弓だ。
とは言え実態は、和弓に自重落下式の弾倉が設置された程度となる。そのため、弓であってもスリングショットに近い兵器と言った方が分かり易い。
その特徴は連射性能となる。矢を取り出す必要が無く、放った後は自動で次弾が装填されるのだ。慣れれば一秒間に何発ものベアリング弾が発射できるのが大きい。
威力は矢より劣るものの、当たれば怪我はさせられる。戦闘力を奪うだけならこれで十分だ。運用も面制圧を基本とするため、殺傷力は求めてはいない。よって敵の突撃の勢いを殺すにはかなり有効である。
問題があるとすれば、連射すると射手がへばる。距離がある程度以上離れるとまず当たらない。そのため、単独ではなく部隊で使用するのを前提としている。
「あの弓を使って良いのなら楽勝ですな。朗報を期待ください。木下 藤吉郎には、四郎様を蔑ろにした罪を償わさせてやりましょう」
「程々にな。次は馬場殿。鶴ヶ城に兵三〇〇を率いて入ってください。
「お任せあれ。遠山の連中が明知城に向かいました場合は、背後から襲い掛かりますぞ」
「もう儂は四郎様の家臣だからな。今後叔父上呼びはしなくて良いぞ」
「よっしゃ! 任せておけ。遠山六頭など一捻りだ」
「で、爺と
「むう、直接争えないのは残念ですが、これも大事なお役目。お任せくだされ」
「ここまで聞いてもらったら分かると思うが、次の戦は信濃木曽家の援軍が肝だ。絶対に参戦してもらうし、大軍を出してもらう。という訳で
「何じゃ。儂の出番が無いかと思っていたら、そういう事か。なら儂が木曽殿と共に遠山六頭を蹴散らしてくれよう。楽しみに待っておくのだぞ」
「そのついでとして、木曽谷にいる妹の真理へ土産を持っていってください。物は後でお渡しします」
「なるほどのう。真理殿を動かすのか。これなら木曽殿も断りはできぬであろうな」
次の戦は信濃木曾家が全てと言えるだろう。援軍が無ければ追い返すのが精一杯の戦いだ。幾ら細心の注意を払っているとしても、よくぞこんな無茶な戦を選択したものだと呆れ返る。
だがここで勝利を収めなければ、当家は今後織田弾正忠家の影に怯えなければならなくなるのだ。既に賽は投げられた。必ず勝利を手にし、逆に織田弾正忠家へ脅威を齎す存在へと成り上がる。
三倍返しの日は近い。俺はそう確信していた。
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