四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる

カバタ山

第一章:境目の領主

城主就任

 男なら誰もが一度は最強に憧れる。だが最強であっても、何もかもが上手く運ぶ訳ではない。


 事実戦国時代に最強と謳われた甲斐武田かいたけだ軍は、天下統一するどころか逆に滅亡の憂き目に合う。その末路は味方の裏切りという悲しいものであった。


 なら、もし現代人の魂が甲斐武田家を滅ぼした最後の当主 武田 勝頼たけだ かつよりに宿ったとしたら、どんな行動が最善となるか?


 武田 勝頼の生まれは庶子である。戦国時代の庶子は常に低く見られる。そのため、どんなに足掻こうと周りから軽く見られ、正当な評価は得られないのは確実だ。そんな火中の栗を敢えて拾うよりも自己保身に走る。天下人に媚びを売り、何としてでも生き残るのが合理的な判断であろう。


 ──それでは面白くない。


 望むのは最強甲斐武田軍による蹂躙。瀬田の大橋に武田菱を掲げる。甲斐の虎 武田 信玄による天下統一。これ以外はあり得ない筈だ。


 俺は最強を夢幻ではなく、真実として歴史に残そうと決意する。それを実現するためにも、まずは手の届く範囲から少しずつ改革を始めていた。


 ──だというのに、


「四郎よ。本日を以って、お主には元服を命じる。名を諏訪 四郎勝頼すわ しろうかつよりと改め、高遠たかとお諏訪の家を継ぐが良い」


「はっ。承知いたしました」


「また諏訪 勝頼には、美濃みの高山たかやま城の城主にも命じる。以後は高山城主として甲斐武田家を支えよ。働きを期待しておるぞ」


 弘治元年 (一五五五年) 一二月、俺は一〇歳で元服を果たし大人の仲間入りをする。


 そこまでは良い。また、元服と同時に城持ちとなれるのは破格の待遇だ。


 しかし与えられる城が、何故美濃国の高山城となるのか? それが間違っている。


「父上、いや御屋形様。高遠諏訪家を継ぐのでしたら、私は信濃しなの国高遠城城主になるのが筋かと愚考しますが?」


「ならん。高遠の地は米どころだ。当家の直轄とし、甲斐国に役立てるのが正しき判断となる。ゆえに諏訪 勝頼に与える城は、高山城とした」


「でしたらせめて甲斐国内の城をお与えください。そうでなければ私は伊那いな衆が率いられません。このままでは戦が起きても、御屋形様のお役には立てなくなりまする」


「くどい。諏訪 勝頼に与える城は、高山城と既に決定しておる。これは覆らぬ」


 弘治元年 (一五五五年) 一二月にはもう一つの出来事があった。それは俺の母親である諏訪御料人の死。四日前に起きた。これは俺が甲斐武田家内での後ろ盾を失ったのと同義となる。


 理由は庶子という生まれに関係する。この時代の庶子は想像以上に立場が悪い。事実俺が六歳の頃には高遠諏訪の家を継ぐと決まっていたにも関わらず、これまでずっと甲斐府中に留め置かれて、甲斐国からは一度たりとも外に出られなかった。高遠諏訪家の関係者とは、接触を持てた試しがない。


 要するに頼れる人物が数少ないのだ。母上が甲斐国守護職であり、甲斐武田家当主でもあり、父上でもある武田 晴信たけだ はるのぶ様からの寵愛を受けていたからこそ、俺はこれまで何とかやってこれた。


 それがどうだ。母上が亡くなった途端にこの仕打ち。城主就任と言えば聞こえは良いが、実質は左遷。いや追放と言った方が正しいかもしれない。


 現在の甲斐武田家は、信濃国木曽きその地を西の防衛線に設定している。今年甲斐武田家に臣従した岩村遠山いわむら家はその更に西。高山城に至っては、その岩村遠山家の本拠地から更に西に位置している。


 とどのつまり俺は、甲斐武田家の支配地域より外の東美濃に放り出されるのが決定した。これを最前線への赴任とは、逆立ちしても言えないだろう。


「四郎様、無駄な足掻きはお止めなされ。儂がはっきりとお伝えしましょう。四郎様には、この甲斐に居てもらっては困るのです。例え庶子と言えど、四郎様は御屋形様のお子。現状は甲斐武田家の継承順位二位の地位におられます。そうなれば、日々の行いには節度が求められまする。なのに四郎様ときたら、うつけと呼ぶに相応しい行いばかり。証人もここにいますぞ。秋山あきやま殿、前に出られよ」


「……」


万可斎まんかさい……俺を裏切ったのか?」


「四郎様の行いによって御屋形様がどれ程心労を重ねているか、お考えになられた事がありますか? 以後は高山城にて静かに過ごされるのが相応しいと思われますが」


 俺と父 武田 晴信様とのやり取りに割って入ってきた人物がいた。名は飯富 兵部おぶ ひょうぶ。精鋭部隊「赤備え」を率いる歴戦の将であり、信濃しなの国方面の司令長官である。


 そんな飯富 兵部が声を掛けた人物は、俺の最側近である秋山 万可斎であった。母上の侍女を正室に迎えたのを切っ掛けとして、俺に付けられた家臣である。傅役を筆頭とすれば、第二の家臣と言って良いだろう。その息子も含めて俺が信頼できる数少ない人物の筈が、まさかここで行動を告げ口していたとは誰が考えようか。


 最側近だけに、秋山 万可斎の言葉は全て真実となる。それは捏造した内容でも変わりはしない。どうやら俺は嵌められたようだ。


「そこ行くと嫡男の義信様は、まさに武士の鑑とも言える立派なお方。次男の信親のぶちか様も、将来の高僧が約束されたかのような振る舞いを普段からしておりまする。四郎様、貴方だけ違うのですよ。いや失敬、庶子ゆえに分別が分からぬのやも知れませぬな」


「いや誠に飯富殿の言う通りですな」


「義信様の傅役である曽根 周防そね すおう殿も儂と同じ考えですかな」


 ここでもう一人の人物が会話に加わる。それは曽根 周防。兄上である武田 義信様と飯富 兵部を繋ぐ役割を果たしている。


「四郎様は庶子ゆえ、お二方とは出来が違う。ただそれだけなのでしょう」


「そうすると御屋形様の足を引っ張らぬよう、高山城で余生を過ごすのが何よりとなりますな」


「……二人共、その辺にしておけ」


 ようやく構図が見えたきた。今回の一件は、飯富 兵部や甲斐武田家重臣によって仕組まれたに違いない。


 父である武田 晴信様の政権基盤は弱い。元々の甲斐武田家当主就任が、祖父 武田 信虎たけだ のぶとら様を追放して重臣達によって祭り上げられた所から始まる。それだけに例え当主と言えども、重臣達には強権を発揮できない。ましてや飯富 兵部他の重臣達は、嫡男であり次期当主と交流を持ち、事実上の人質としている。


 つまりは今の武田 晴信様は、一歩間違えれば自身の父親と同じ末路を辿りかねない、薄氷の上を踏んでいる状態で当主を続けているのが実状であった。


 今回の決定に、父 武田 晴信様の思惑がどれ程絡んでいるかは俺に分かりようがない。ただ、何度かお会いしてその人となりに触れていると、自身の子を僻地に飛ばす決定ができるような人物には到底考えられなかった。俺の知る限りの武田 晴信様は、意外と子煩悩である。


 とは言え、今はこの状況を打破する力は無い。


 だからこそ、


「この諏訪 四郎勝頼、高山城主就任を謹んで拝命致しまする」


 こうする以外、選択肢は無かった。


 甲斐武田家による天下統一を目指す俺がまず始めにやらねばならない事。それは家中に潜む寄生虫の退治。これを実現するには、俺自身が力を持たなくてはならない。


 飯富 兵部、曽根 周防、そして秋山 万可斎、首を洗って待っていろ。


 ──全ては東濃より始まる。



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補足


飯富 兵部 ─ 精鋭「赤備え」を率いた歴戦の将。義信事件で首謀者として処罰された人物としても知られている。本名は不明。飯富 虎昌は実名ではない。金持ちで甲斐武田家の中でも屈指の動員力を持つ。それでも軍役負担に耐え兼ねて、度々遠征には反対していた。駿河今川派閥。


曽根 周防 ─ 嫡男 武田 義信の傅役。武田 義信の傅役は飯富 虎昌と認識されがちだが、実際はこちら。本名は不明。曽根 周防を名乗る人物は複数いるため、特定が難しい。


秋山 万可斎 ─ 武田 勝頼の母親 諏訪御両人の侍女を妻に持ち、武田 勝頼の側近として付けられた人物。他国出身者で別の名であったが、武田 勝頼の傅役と思われる秋山 紀伊より秋山の名を授けられた。天目山の戦いの前に親子共々逃亡して武田 勝頼を見捨てた。

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