地獄の花

猫塚 喜弥斗

第1話 十五歳

 地獄のように暑い夏の日だった。


「天国ってあると思う?」


 学校の埃臭い空き教室の中で、日下部くさかべ和洋かずひろは突然に口を開いた。


「さあね」


 児島こじま龍平りゅうへいが答えてまもなく、蝉が窓にとまる。


「じゃあ地獄は」

「どうだか」


 窓から入る風が和洋の髪をわずかに揺らした。


「僕はね、生きていることこそが真の幸福だと思うし、逆に不幸だとも思うんだ」

「じゃあここが天国であり、地獄であるわけだ」

「そうじゃない」


 蝉の声がじーわじーわと鳴り響く。窓に張り付いたそれは脳髄を破壊せんばかりに雑音をまくしたてる。


「君のいる場所が天国って話」

「くだらないし、意味が分からない。」


 蝉が飛び立った。


「僕は君といると、生きているって気がするよ」

「それこそくだらない」


 凶器の包丁から血を拭いタオルに包む。この埃っぽい教室に入った形跡が残ってないことを確認すると、和洋と龍平は死体の写真を一枚とり、雇い主に送った。報酬の支払いが滞りなく済んだのを確認すると、和洋は凶器や血の付いたジャージの入ったカバンを手に学校を出た。

 龍平はそのまま、教室の中でじっとしている。死体を見つめて、こいつは何で死んだのか考えた。なにをしたせいでこんな子供に殺されなければならなかったのか。たまにはじっくり考えようとして、一分もしないうちにやめた。ただそっと手を合わせると、教室の外に出て帰路についた。




 児童養護施設『アイリスの丘』に帰ると指導員が笑って出迎えた。


「おかえりなさい」

「ただいま」

「関先生が帰ったら来るように言っていたわよ」

「わかりました」


 関先生とは施設長のことである。靴を脱いで上履きに履き替える。学校鞄を置きに部屋に行くと、同室の和洋が待っていた。


「おかえり」


 それに返事をせずに施設長室に向かう。和洋は肩をすくめると後をついてきた。

 施設長の関は五十代になる女性である。ノックの音に気がつくと手にしていた書類から目を離し、眼鏡をはずしてどうぞと言った。和洋と龍平は部屋に入ると関の机の前に立った。


「学校で仕事をするのは初めてだったわね」

「はい」

「まあ今更よね。あなたたちはいつも十分にやってくれているわ。けれどこれだけはいつも言うけれど、ここからが本番なのよ。わかる?」

「はい、『誰がやったかばれてはいけない』です」

「そうよ、殺すだけなら三歳児にだってできる。けれどばれないようにするっていうのはとても難しいの。特に死体が残る場合は。今回は依頼人の都合で『学校で』『死体が残るように』するのが条件だったから掃除人は雇わなかったけれど」


 そこで関はふうと溜息をついて二人の目をじっくり見つめた。


「もし今回の件も、過去の件も、あなたたちがやったということがひとつでもばれたら、私たちはあなたたちの首を切るからね」


 それはきっと、物理的に。そして、結果は行方不明になるのだろう。


「わかっています」

「よろしい、二人とももういいわ。龍平くんは調理の手伝いがあったわね。いってらっしゃい」

「失礼しました」

「失礼しましたー」


 施設長室を出て部屋に戻る。和洋は鞄から包丁を取り出すと龍平に向かって放り投げた。龍平は眉一つ動かすことなくそれを受けとめる。


「ほら龍平、厨房に返しておいてよ」

「わかった。和洋、タオルの処分しとけよ」

「わかった」


 これが、彼らにとっての日常である。

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