07 『自由奔放』『八つ当たり』『飲み放題』
呼び鈴が鳴らされたので玄関を開けれてみれば、半べそをかいた女が両手にビニール袋を提げて立っていた。袋の中は大量のお酒。
「フラれる度にうちに来るな!」
「まだ何も言ってないのに……」
私の親友は恋人と別れるといつもこう。
「おかしい! 絶対おかしい! 女心分かんない!」
親友はローテーブルに突っ伏し、缶を持っていない方の手でテーブルをバンバン叩いた。
「傷が付くからやめてよ」
距離を取ってベッドに座っている私は、声で制止するしかない。
「熱くなってきた! 暖房いらなくない?」
「私は寒いの」
酔っ払いは話を聞かずにニットセーターを裏返しで脱いでシャツのボタンを三つ外した。換気のために少し開けた窓から冷たい風が入ってきて、気分が良くなったのか笑っている。目元は涙で黒く滲んでいるけれど。
私はペットボトルのミルクティーを一口飲んだ。甘くておいしいのだけれど、せめてホットを買ってきてほしかった。
「こんな美人を振るなんて信じられない! 私に愛されて幸せなはずなのに。何がいけないっていうの?」
「美人なのは確かだけど、そういうところじゃない?」
今回は酔うのがかなり早い。空き缶を見ると、表記されている度数がいつもより高い。私は下戸だからお酒で発散したいというのは分からないけれど、今回ばかりは普段と違う状態を望むのも理解できる。親友の左頬には、赤い手形がはっきりと残っているのだ。
「今回は派手にやられたわねぇ」
「ゆるふわな見た目に反して強烈ビンタだった……。夜はいつも私にされるがままだったのに。かわいかったのに。ううっ……」
泣きながら缶チューハイをあおって缶を頭上に掲げた。
「おかわりっ!」
「ここお店じゃないんだけど。自分でどうぞ」
「でも飲み放題でしょー?」
この酔っ払いめ。
「あんたが買ってきた分しかないでしょ」
「えーなんでー? 私のために用意してくれてないのー?」
「何で下戸の家にお酒常備しておかなきゃいけないのよ」
「親友ならもっと優しく慰めてよぉ……。お酒くらい渡してくれてもいいじゃーん」
「そもそも慰めようって気がないから」
不満そうに口を尖らせるけれど、すぐにお酒は自分の方が近いことを思い出したらしい。空き缶をビニール袋に放り込んで新しい缶を開けて飲むという早業を披露してくれた。なんにもうらやましくない。
「ってかさ、どうしてあなたはいっつも上手に別れられるの? なんかムカつくんだけど。その才能ちょうだいよ! ずるい!」
「私に八つ当たりしないでよ」
聞いているのかいないのか、ベッドに突進してきて私の横に座る。器用なもので、缶からお酒をこぼすことはなかった。
「後腐れなく別れる秘訣は?」
目を爛々とさせて顔を近付けてくる。漂ってくるお酒の臭いに私は顔を背けた。ちょっと気持ち悪い……。
「近付かないで。呼気と揮発したアルコールで酔う」
「あ、ごめん。この前もそうだったもんね」
先日のことを思い出してくれたようで、大人しくローテーブルの方へ戻ってくれた。
一緒に洋服を買いに行った時のこと。お店の出入り口にある消毒用アルコール噴霧器に親友が手をかざすと、想定以上のアルコールが勢いよく出てきて。横にいた私はそれを吸い込んでしまい、気持ち悪くなってしばらく動けなくなってしまったのだった。
それくらい私はアルコールを受け付けない体質だから、酔っ払いの相手をしているだけで充分優しいと言えるはずなのだけれど。
「はあ……。でもあんなに怒るなんて。浮気なんてしてないのに」
自身の左頬をさすりながら、納得いかないといった声色を出す。
「気を持たせるようなこと色んな子に言うからでしょ? 事実がどうでも、疑われたらもう終わりよ」
「かわいい子にかわいいって言って何が悪いわけ?」
「彼女には口説いてるように見えるからでしょ。せめて彼女のいないところでやらないと。あ、元カノか」
私のわざとらしい訂正に親友は眉間にしわを寄せた。
「告白された時、自由奔放なところが好きって言ってくれたのに……」
自由奔放と言えば聞こえはいいけれど、実際は『考えなし』と表現した方がいい。恋人と別れる時は必ずフラれているということをそろそろ自覚してもいいはずなのに、ダメなんだよなぁ。かわいいと言った相手を簡単に惚れさせてしまう顔の持ち主だから。すぐに次の彼女ができるせいで反省する暇もない。だから慰めてあげようという気が起こらないのだ。
「本当にさ。後腐れなく別れる秘訣教えてよ……」
「そこは普通、別れ方じゃなくてうまく付き合う秘訣を聞くとこよ」
「もうどっちでもいいよぉ」
さっきより話すスピードが落ちてきた。滑舌も甘くなってきている。もう少しで静かになってくれそうだ。
「私は誠実なだけよ。恋人とか、落とそうとしてる相手に対しては。だからビンタされないの。特別扱いの誠実が一番」
「ふーん?」
自分も誠実なのに、とか思っていそう。でもそう言い返せるほど頭は回っていないみたい。
「もう寝れば?」
親友がこくりとうなずくのを見て、私は用意しておいたメイク落としシートをローテーブルに置いた。
「ベッドに入る前に、軽くでもいいからメイク落としてね」
私は息を止めて空き缶の入ったビニール袋と飲みかけの缶チューハイを持ってキッチンに向かう。ビニール袋は口を結び、飲みかけの方は水を出しながらシンクに流した。呼吸を再開する。
チェストからタオルを一枚取って再びキッチンに戻り、ボウルに水と氷を入れてタオルを浸す。それを持ってテーブルの方へ戻ると、親友はちょうどメイクを落とし終えたところだった。目元の黒い模様は、まあおおよそ消えているから良しとしよう。
「気を付けてよね?」
よたよたしながらベッドに上がる親友に声をかける。私はテーブルにボウルを置いて、浸していたタオルを固く絞る。
親友は重力に逆らうことなくベッドに倒れ込んだ。私は息を止めて毛布をかけてあげる。眠そうな目をしているところ申し訳ないと思いつつ、左頬に冷たいタオルを当てる。体が一瞬強ばったのが分かったけれど、慣れたのかすぐに力が抜けていった。
お酒で上気したせいで手形は目立たないけれど、さすがにこれくらいはしておかないと。本当はもっと早い段階で冷やすべきなのは分かっている。でも、飲み始めるとどこにも行かせてくれないから。本当に酔っ払いの相手は面倒。
ふと、タオルを押さえている手の甲が熱くなった。親友が手を重ねている。
「ありがとう。あなたもかわいいよ」
「生憎、かなり前から知ってます」
言い終わってむせてしまう。せっかく息を止めていたのに思わず言い返してしまった。ダメだ。頭が痛くなってきた。
タオルから手を離して床に座り、ベッドに背を預けて深呼吸する。手が追いかけてくることはなく、背後から気持ち良さそうな寝息だけが聞こえてくる。いい御身分だ。
アルコール臭を上書きしようとミルクティーのペットボトルを掴む。蓋に手をかけたけれど、吐いたら困ると思い直してやめた。ペットボトルを眉間に当てる。温かくも冷たくもない液体は私の視界を遮った。
頭ががんがんして、ため息か深呼吸か分からない息が漏れる。お願いだから、たまには素面でフラれた報告をしに来てほしい。
でないとお酒臭くて手を出せない。
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