第36話


 それから、俺が歯磨きを終えると、食卓テーブルにはご飯と具沢山の味噌汁、細切りニンジンを散らしたきざみキャベツ、それに、豚カツとは違い断面が赤い牛カツが皿に盛りつけられている。


 その光景に、脊髄反射で涙腺が緩んだ。

 MR学園に入学して二か月。

 我が家の食卓がこんなにも文化的だったことがあったろうか……。


 先月の月末試験の後、美咲のロールキャベツとか、みんなの手料理を食べたし、約束通り、美咲は時々晩御飯のおかずを差し入れてくれる。だけど、今日はどんなときよりも豪勢だった。


 寮の電気ガス水道は一定額までは無料だし、石鹸やシャンプーなど一部の生活用品は、生活困窮生徒への救済措置として、学園の系列企業の売れ残り品をタダでもらえる。


 ただし、口に入るものへの救済措置はゼロだ。

 調味料すら、学食へ行かなければ無い。


 朝は素材の味を生かし切ったパンの耳を食べ、昼と夜は学食でみんなの料理の匂いをおかずに、しょうゆやソース、ケチャップやマヨネーズをつけたパンの耳を食べ続けた。


 そんな俺が、牛カツなんて贅沢なものを食べられる日が来るなんて、感動で視界がぼやけてしまう。


「ちょっとあんた何泣いているのよ」

「はは、幹明は感動屋だなぁ」

「幹明いいこいいこ」

「ふふ、そんなに感動しなくても、今日の試験で好成績を残せば、毎日こんな食事が食べられますわよ」


 そうだ、美咲の言う通りだ。

 俺は腕で涙を拭うと、ぱっちり開いた目で食卓テーブルに着いた。


「ありがとうみんな。今日は何が何でも絶対に勝つよ。最下位から抜け出したら、俺の最初のマネーポイントで絶対ご飯を奢るからね!」


 みんな、温かい笑みを浮かべて、思い思いのあいづちを打ってから、食卓テーブルに着いた。


 全員仲良くいただきますと言って、牛カツにかじりついた。

 入学してから初めての牛カツは、希望の味がした。


   ◆


 みんなで手分けして食事の後片付けや食器を洗って――食洗器がないことに美咲が驚いていた――、そして俺たち五人は、一緒に学生寮を出た。


 みんなのエールをお腹に詰め、俺は勇気百倍だった。

 校舎まで歩いて五分の通学路を踏みしめながら、俺は燃えていた。


「先月は龍子先生のせいであんな感じになっちゃったけど、今日こそは何が何でも最下位から脱してやる!」

「その意気よ幹明!」


 春香にガッツポーズを返して、俺は意気込んだ。


「ああ。今度こそマネーポイントを獲得して、パン耳地獄から抜け出してやる! それに、早く最下位から脱出しないと、しないと……」


 通りすがりの生徒たちの陰口が、俺の耳朶に触れた。


 

「あ、あいつパンツ星人じゃね?」

「本当だ。狩花のこしぎんちゃくのパンツ星人だ」

「確かこの前のイベントで、狩花のおこぼれでポイント稼いでいたんだろ?」

「まさに狩花のこしんぎちゃくだな」

「まさに狩花のパンツ星人だな」

「まさに狩花のパンツだな」


 もはや人ですらないぃぃぃ!

 そうなのだ。

 前々から、俺はパンツ大好きパンツ星人としてネット上に拡散されていた。


 けれど、半月前の大規模ハンティングイベント以来、俺の顔写真は春香のパンツ、としてネット上に拡散されていた。


「くそぉ、誰が春香のパンツだ! 俺は人間だ!」

「え? 幹明いつからそんなうらやましいポジションに!」

「うらやましくないやい!」

「ていうかあたしもそれなりに恥ずかしいんだけど……」


 夏希がテンションを上げて、春香が顔を赤らめて視線を逸らした。


「可愛い愛称だよね」


 美奈穂は無邪気に笑っている。

 俺は、悔し紛れに地団太を踏んで唸る。


「し、か、も、ネット上じゃ俺がパンツになったらっていう、擬人化ならぬ擬パンツ化された無駄にクオリティの高いイラストまでアップされる始末だ! なんだよ!? 商品名が【秋宮幹明】になっているパンツって!?」


「え、あれ不満なの? ぶー、力作だったのにぃ」

「お前かぁ!」


 この巨悪はどこまで俺を地獄に突き落とせば気が済むんだ!

 美奈穂がMRウィンドウを開いて、パンツのイラストを表示させて俺に突き出してくる。


「ポイントは幹明の純真さとわんぱくさを表した白くも大胆なフォルムだよ」

「はんっ、幹明のは純真ていうかただのバカでしょ?」

「聞いてないし、あとさりげなく俺を傷つけるな派手パンツ」

「は、派手じゃないし!」


 顔をリンゴのように赤くしながら、春香は両手で、制服のスカートを押さえて前かがみになる。


 そこへ、夏希が割り込んできてテンションを上げた。


「待ってくれ、幹明が春香ちゃんのパンツで幹明がパンツになったらこういうデザインになる、ということはつまりこれは春香ちゃんのパンツのデザイン!」

「変な妄想するんじゃないわよゴルァ!」

「はぶぁっ!」


 春香の鉄拳が夏希のみぞおちにめり込んだ。

 朝から騒がしいのに、それに慣れている自分が恐ろしい。


 そして、そんな俺らを、美咲は楽しそうにほほ笑みながら見つめていた。


 こいつ、凡民の乱痴気騒ぎを楽しんでやがる。


 美咲みたいなお嬢様が俺らなんかとツルんでいる理由を察して、ちょっと寒気を感じた。

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