第33話


 叫んで、春香は体ごと車体を大きく右に倒した。同時に、左手で空中に水流を放出。その水圧反動で、強引にカーブを曲がった。


「マジで!?」


 まさかのドライビングテクニックに、俺は舌を巻いた。

 そのまま、春香は水流を操りながらスピードを落とさず、道路の自動車の間を縫うように走り抜ける。


 春香がここまで芸達者だとは知らなかった。

 さては、中学時代からMR世界でバイクを乗り回していたな。


 バイクにまたがり戦う春香を想像して、まるでヴァルキリーだと思ってしまう。


 俺らは目的地にぐんぐん近づき、重低音の遠吠えが、ベヒーモスへの接近を実感させてくれた。


 そして最後の曲がり角を曲がると、道路のど真ん中を牛耳る、巨大怪獣の姿が見えた。


 デカイ。

 まるでクジラだ。


 ベヒーモスは、まるで牛とライオンを合成したような姿だった。

 闘牛のように黒い体はライオンのように自由な四肢を備え、ロングソードのような爪をズラリと並べた前足で、プレイヤーたちを薙ぎ払う。


 こめかみから太く長い、禍々しくねじくれたツノを生やした頭部は一見すると牛のようで、口元はトラそっくりだ。極太の杭を思わせる牙が並び、交差する四本の犬歯は常に唇から突き出ている。


 【DEAD】と表示され、動かない犠牲者たちの中央で、ベヒーモスは獰猛な唸り声を上げた。


 ベヒーモスに意識を集中すると、俺の視界にベヒーモスのHPバーが表示される。


 誰も攻撃しなくなったことで、バトルが終了したとシステムが判断したのだろう。ベヒーモスのHPバーが回復していく。


 紙吹雪を被ったように広がっていたレッドポイントも消失して、体表のテクスチャが再生していく。


 でも、俺にとっては悪い話じゃない。

 複数人でエネミーを倒すと、ポイントは戦闘への貢献度合いによって配分されてしまう。


 全快したベヒーモスを倒せば、ポイントは俺の総取りだ。


 幸い、僅かに生き残ったプレイヤーたちは諦めたのか、逃げるか物陰からの観戦態勢に入っている。


 これはチャンスだ。

 ただし……。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 爆音にも似た咆哮を轟かせ、ベヒーモスは路肩に停めてある自動車をツノで突き刺し、頭上へ放り上げる。


 くるくると天空を舞った自動車がコンクリートに叩きつけられ、金属のひしゃげる悲鳴を上げながら、コンクリートを砕き割った。


 衝撃を吸収し、転倒事故から歩行者を守る最先端のクッションコンクリートも、上空数十メートルから落下する車のボディプレスには無力だった。


 うわぁ…………。

 正直、MR映像だとわかっていても、けっこう怖い。なのに……。


「見えたわ! さぁ行きなさい幹明!」

「え? ちょぉ!?」


 春香はハンドルを握ると急ブレーキをかけ、後輪を九〇度滑らせてドリフトをかました。


 ブレーキによる鋭いスキール音に背中を押されて、とうとう俺は抗えないGに体を吹っ飛ばされた。


「ノォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「ベヒーモスのウィークポイントは後頭部と首の付け根、【ぼんのくぼ】よ!」


 大きく弧を描きながら空を飛ぶ俺。宙を舞う俺。着弾点は、ベヒーモスの後頭部だ。


 ちょっと怖いけど、せっかく春香が作ってくれチャンスだ。

 これを生かさない手はない。


 俺は電磁ハルバード、マグナトロの穂先を真下に向けてから、大きく背を逸らして振りかぶった。


「ッッどぅおりゃぁあああああ!」


 ちょっと春香をイメージしながら叫びつつ、着地と同時にマグナトロの穂先をベヒーモスの被毛に叩きつけた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」


 苦痛を訴える獣の咆哮。

 重力加速度と俺の全体重と筋力と瞬発力を込めた一撃は、ベヒーモスの重厚な表皮を突き破り、筋肉繊維を寸断した。


 しかも、電磁ハルバードゆえの電撃付きだ。HPの減りは早い。


 けれど、硬い筋肉の束が盛り上がり、マグナトロを押し返そうとしてくる。


 それに抗おうと、俺はマグナトロを握りしめ、体の芯から力を込めるようにして穂先を突き込んだ。


 ベヒーモスの防御力に貫通力耐性、マグナトロの攻撃力と貫通力、俺の筋力。複雑な演算結果が、このMR世界の事象を決める。


 攻撃と防御、矛と盾がせめぎあう。


「うわっ!?」


 ベヒーモスが一度大きく頭を地面に叩きつけてから、左右に揺らしながら頭を上げた。

 暴れ馬のロデオを数十倍にスケールアップしたような反動に視界が回り、内臓が裏返りそうだ。


 穂先が外れ、俺の体は道路中央に投げ出された。

 矛と盾の攻防は、反動という助力を得た盾の勝利だ。

 道路に背中から叩きつけられ何度も転がってから、ようやく俺は止まった。

 HPバーが、ぐっと削れた。


「く、仕損じた」


 地面に片膝をつきながらベヒーモスを見上げると、その威圧感に息を呑んだ。

俺が弱気になると、ずっと後ろのほうでバイクにまたがっている春香が声を張り上げた。


「幹明! 死角からベヒーモスの体を伝って、もう一度後頭部に登って! さっきの場所がレッドポイントになっているはずよ!」

「わかった!」


 春香のアドバイスに従って、俺はベヒーモスの横に回り込もうとする。

 けど、ベヒーモスは獰猛な瞳で俺を睨むと、大きく吠えて前足を横に振るった。


「おおうっ!?」


 素早くジャンプ回避。

 空中で折り畳んだ脚の先端、つま先を、ベヒーモスの体毛がかすめた。

 大質量物質の高速移動に烈風が巻き起こって、俺の前髪が真上に暴れた。


 現実では味わったことのない、本物以上の圧力にドキッとしながら着地する。その直後、ベヒーモスの目の前に何本もの水柱が立ち昇り、すぐさま凍結して氷の牢獄が出来上がる。


 春香のアシストだ。


「ありがとう春香!」


 ベヒーモスが氷の柱を頭突きで粉砕する。

 流石は危険度S。一撃で粉々だ。

 でも、俺はその間にベヒーモスの真横に回り込んでいた。


「喰らえ!」


 ベヒーモスの脇腹めがけて、マグナトロの穂先を射出する。


 砲弾のような勢いと推進力でカッ飛んだ穂先は、狙い通りベヒーモスの脇腹に突き刺さる。


 間髪入れず、俺は磁力で穂先を引き戻そうとする。


 金属の穂先を砲弾のように飛ばす磁力が生み出す引力は、俺の体を重力の縛りが奪い取り、俺を穂先の元へと引き寄せた。


 思惑通り、ベヒーモスの脇腹にたどり着いた俺は、硬い体毛をわしづかみ、よじのぼる。


 デッキブラシの絨毯に腹ばいになればこんな感じかな。

 なんて、くだらないことを考えている間に、ベヒーモスの背中に登頂完了。

 時間が経てば、レッドポイントは消えてしまう。


 揺れる背中の上を走って、途中で一度転びつつ、後頭部、春香が言うところの【ぼんのくぼ】を目指す。


 背骨を伝うように走ると、少し走りやすい。


 ぶおんっ

 空を切る重低音に振り向くと、ベヒーモスの尻尾が振りあがっていた。


 うしやライオンのように、太くはないけど先端がこん棒のようになっていて、まるでモーニングスターだ。


 サイドダッシュでかわすか、バックダッシュで退くか、逡巡してから、俺はマグナ

トロを構えた。


 間に合え!

 遥か先の赤い光点。ベヒーモスのレッドポイントに狙いを定めて、穂先を射出した。

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