第9話 夢を見ていた

 俺は夢を見ていた。

 それが夢だと、ちゃんと自覚していた。


 なんだか暗くて、壁も天井も、床もない空間だった。

 じゃあどこに立っているんだと聞きたいけれど、夢だから立っていた。

 そこに、龍子先生が現れる。


 龍子先生は、黙っていれば背が高くて美人で爆乳で、ハリウッドでセクシー女優ができそうなスペックだ。


 けれど、その威圧感はそこらのチンピラなら焼き殺せそうなほどで、大剣には常時殺意がこもっている。


 そんな龍子先生が、大剣を振り上げ、怒鳴り散らしながら追いかけてくる。

 俺は怖くて、死に物狂いで逃げるけれど、足が上手く動かない。

 まるで、泥沼に足を取られているようだった。

 龍子先生がどんどん近づいてくる。


 猛スピードで走ってくるのに、ちょっとずつしか差が縮まらないのは、夢の中だからだろう。


 怖い、怖い、怖い。誰か助けて。

 そうやって俺が足を動かし続けていると、優しい声が聞こえた。


「こっちだよ、幹明」


 すると、目の前に白い、女性用のパンツが現れた。

 それは、入試の日に見た、あのにっくきパンツだった。


 こいつのせいで俺は。


 そう思うと怒りがこみあげてくるけれど、今は龍子先生が怖くて、俺は藁にも縋る思いで、パンツに手を伸ばした。

 まばゆい光が、世界を包み込んだ。



 気が付けば、俺は白い世界にいた。

 訂正。

 白いふかふかのベッドに寝て、白い天井を見上げていた。

 視界の端に映るのは、白い仕切り布だ。


「あ、起きた?」


 突然、可愛い顔が、視界いっぱいに映り込んできた。

 金色のまつげに縁どられた青い瞳に吸い込まれそうで、鼻息が荒くなる。


「ほ、穂奈美?」

「むぅ、美奈穂って呼んでよ」


 右のほっぺを膨らませた顔が可愛い。それで、つい無意識レベルで「ミ、ミナホ」と変な声で呼んでしまった。


「うんうん、やっぱりそっちのほうが聞きやすいな」


 ベッドの横で椅子に座り、一人で納得する彼女の気さくさに呆れつつ、時間を確認する。


 視界の右上で時計を抱きしめているくまお君の下に視線を合わせると、五時間目はまだ始まったばかりだった。


「教室戻る?」


「いや、いま戻っても龍子先生と鉢合わせちゃうし、このまま五時間目はここで過ごそうかな」


「え~、サボっちゃうんだ。悪いなぁ、ずるいなぁ、じゃああたしもこのままここに、って言いたいけど、MRバトルの授業だし、出なきゃだよね」


 おどけた口調で、美奈穂は前のめりに乗り出してくる。


「ほらほら、幹明も行こ。嫌がるならまたわたしが運んじゃうよ」

「え? 美奈穂が運んだのか?」

「うん、お姫様抱っこで」

「何それ恥ずかしい!」


 あずかり知らぬところで完結していた公開処刑に、俺は両手で顔を隠した。今、絶対に赤くなっている。


「夏希や春香は何をしているんだよバカバカバカ」


 同じ女子でも、夏希は事実上の男子だし、春香は春香なので、お姫様抱っこで運ばれても恥ずかしくない。むしろ、捕食対象にしか見えず、心配してもらえるだろう。


「春香はうつむいたままで、夏希は龍子先生のおっぱいしか見ていなかったよ」

「なんて友達甲斐のない奴らだ」


 俺が憤慨すると、美奈穂は真逆に笑みを深める。


「そんな怒らないの。月末試験で最下位から脱出したいなら授業にでないと」


 白い指先が、ぷにっと俺の頬を突いてくる。

 本当は「お前のせいだろ!」と怒鳴りたかったけれど、えもいわれぬ指先の感触に、「お、お前の、せいだぞぉ」と言うのが精いっぱいだった。


 しょうがないじゃないか。

こっちは女子に触れられるのなんて初めてなんだから。夏希と春香はノーカンだ。


「わたしのせい? なんで?」


 大きなお目めをぱちくりさせながら、美奈穂は首をかしげる。

 ああもう、本当に可愛いなぁ。


 顔が可愛いだけなら、アイドルでも春香でも貴佐美でも一応夏希でもいっぱいいる。


 でも、美奈穂の可愛さには彼女自身の内面が多分に含まれている。

造形的な美しさはもとより、彼女の純真無垢な性格がにじみ出た【ほがらかな表情】が、何よりも魅力的だ。


 そんな、純真結晶のお手本のような子が、あんな凄いパンツを履いているというのが、また素晴らしい。


 いま思い出しても、興奮を抑えられない。


 いやね、布地面積は決して小さくないんだよ。ちゃんと平均ぐらいはあったよ。でもでもあの形状といい、刺繍といい、俺は一体誰に言い訳をしているんだろう。


 けどこうして頭の中で言い訳を組み立てておかないと、いざという時に喋れないよね。俺って頭いい。


「ねぇなんでわたしのせいなの?」

「そんなのお前のパンツに夢中で一日中興奮しっぱなしで試験に集中できなかったからに決まっているじゃないか」


 言い訳とはなんだったのか。非は誰にあるのか、もちろん俺だ。若いって罪だよね。


 なんて、自己嫌悪に陥っていると、くすくすと、鈴を転がすような笑い声が聞こえた。


「正直すぎ、幹明ってかわいいね」


 かわいい。そんなことを言われたのは初めてで、俺は驚いた。

 心臓がドキドキしてくる。


 と、同時に、ふんわりと眉をゆるめて笑う美奈穂の魅力に、心がぐらぐらと揺れた。


 崖の下は恋愛横丁への一本道であり、俺は入試に失敗した日に崖をよじ登ってから、二度と落ちまいと誓ったはずだった。


 けれど、彼女の笑顔を見つめていると、罪悪感が湧いてくる。


 そもそも、彼女は俺を元気づけるためにパンツを見せてくれたわけで、それで集中力を欠いたのは、自業自得だ。


 なら、彼女を責めるのはお門違いだろう。

 今すぐ許すことはできないけれど、変に敵視するのはやめようと思う。


「と、とにかく、そこまで言うなら授業には出ておこうかな。月末試験で、できるだけランキング上げたいし。あと、放課後は夏希や春香と一緒に練習しないと」


「あ、そういえば二人とは友達なんだっけ?」

「ん、まぁな」

「ねぇねぇ、じゃあわたしも混ぜてよ」


 座ったまま、両手を足の間、椅子の上に重ねて、やや前のめりになる美奈穂。

 そうすると、両腕に挟まれた胸が、むちむちっとサイズアップする。

 思わず、息を呑んでしまう。


「え? 美奈穂も?」

「うん。クラスにまだ友達いなくてさ。一緒にプレイしてくれる人いないんだ。NPCじゃ気分出ないし。お願い」


 俺の顔を覗き込みながら、無防備に上半身を倒してくる美奈穂。

 知ってか知らずか、いよいよ彼女の巨乳が寄せて上げられて、制服の胸元がはち切れそうになる。


 その過程を一から十まで目撃してしまった俺の心には、極めて不適切な欲望が広がった。


 通報されても弁護の余地がない、犯罪的な感情だ。

 そうした後ろめたさから、俺は一も二もなく頷いた。


「も、もちろんさ。放課後、教室に残ってね」

「うん、ありがとう幹明」


 そう言って、また彼女はにっこりと笑う。

 あぁ、やっぱり可愛いなぁ。


 彼女の魅力に、いや、あくまでも性的魅力に、俺はもうめろめろだった。あくまでも、性的魅力に。恋に落ちてなんて、いないんだからね。

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