第12話 悪魔の誘い

 ガイガはその背に誹謗を受けつつ長屋の外に歩いていく。しかしその背は丸まるどころか弾き返す山のように反り立っている。長屋から追い出されると言うより次の目的に向かって行くかのように歩いて行きガイガは長屋の敷地から出た。

 ガイガは振り返ること無く次の行く先を決めるかのように一度空を見る。空は青く澄み渡り雲が流れる、空に境無くどこまでも行けそうである。

 そのガイガが一歩踏み出すより先に急いで追いかけて来たナァシフォの声が届いた。

「どこに行くの?」

「ここまで目立つ積りはなかったんだがな。まあ子供の命が掛かっていたんだ仕方がないことさ。

 こうなった以上王宮には戻らないから安心してくれ」

 振り返ったガイガの顔はやりきった男の顔でサバサバとし群衆の嘲笑や王宮はもちろんのことナァシフォにすら囚われてなかった。その顔にナァシフォはガイガはこのまま糸の切れた凧のようにふらっと魔界にでも飛んで行ってしまいそうに感じた。感じたときにはナァシフォは思いを口に出していた。

「駄目です」

「そう言われてもな」

 ガイガは子供の我儘に困ったように頭を掻きながら答える。

「私が命令して行ったことです。あなたが気にする必要はありません」

 迷惑が掛かるからと縁を切ろうとするガイガをナァシフォが許さない。

「そうは言っても建前上王宮に魔道士がいたらまずいだろ」

 魔、ひいては魔道士に対する世間の目は先程の通りである。民の心を束ねるべき王家に魔道士がいるのは国の輪を乱すことに繋がる。

 ガイガは国を乱して滅ぼしたいわけではない。だから大人しく身を引こうと言う。

「まずいのですか」

「そりゃ常識的に」

 王族だから分かっているだろうに子供のようにまっすぐ聞くナァシフォにやれやれといった感じでガイガは答える。

「先程の演説と矛盾しませんか? あなたが私の立場を気にする必要はありません。

 あなたはあなたの信念に基づいて答えてください」

「信念と来たか」

 ガイガは痛い所を付いてくるとバツが悪そうにする。

「王宮に魔道士がいたらまずいですか?」

 年下の少女相手だというのにまるで言い訳する子供を問い詰める母のようである。

「まずくない世界にしたいと思っている」

 ガイガは観念したように真剣な顔で言った。

 信念を問われてはガイガも茶化せないのか己の夢とも言うべき理想を語ったとナァシフォは感じた。だからといって己が王宮で魔道士として立身出世したいわけではないことも察せられる。もしそうならケンツを救った事を声高らかに喧伝して王宮に戻ろうとするだろう。 

「なら堂々と王宮に戻ってください」

「姫様、それは・・・」

「シトヤ、私を嘘付きにしたいのですか?」

 いつの間にが追いかけて来ていたシトヤが王宮に魔道士を連れ帰ってはまずいと直ぐ様苦言を呈しようとするがナァシフォは最後まで言わせなかった。

「そっそれは、しかしその男を王宮に連れ帰れば姫様が謂れのない中傷を受けることになります」

「正しいことをした結果なら堂々と受けます」

 ナァシフォはシトヤではなくガイガの方をまっすぐ見据え胸を張って宣言した。

 王族として王宮で暮らしていれば嘲笑に対して人一倍敏感になり、その辛さも人一倍身に沁みて知っているはず。

 それでも挑もうとする姿勢は美しかった。

 強い。この娘は姫様とか身分に関係なく心が強いとガイガは感じた。それと同時に今まではちょっとうざいお姫様であったが、もしかしたらと直感が囁いた。

「そういえば俺からは聞いてなかったな。

 君はどうして一人で魔界に行ったんだい?」

「それは少しでもみんなの手助けがしたくて・・・」

「建前はいい。いやそれも君の本当の気持ちなのだろう。

 だがそれだけかい?」

 一年半前の大魔界嘯を防いだ戦いで多くの魔界ハンターを失ったのであろう。それはすなわちイーセの生活を支えていた魔蟲の甲羅や魔獣の毛皮などが手に入ら無くなるということである。魔を嫌悪するが今の時代鉄鉱石など簡単に手に入らない以上どうしてもそれらは生活を支える必需品なのである。生活が苦しくなるイーセの人を見てナァシフォが心を痛めなんとかしようとしたのは本当だろう。

 だがだからといって少女が一人魔界の森に入ろうなんて思わない。まして王族なら別の手を考える。

「ナァシフォ、君の心の奥底には種火のように燻るものがあるはずだ」

「えっ」

 ガイガに心の奥底を見通すように見られた瞬間ナァシフォは心の奥底、普段は意識すらしない闇の中にぼっと灯る火を意識した。

 何これ?

 自分でも意識してなかった心の奥底に眠るイメージにナァシフォは動揺する。そして一度意識してしまえばもう忘れることも無視することも出来ない。

 心の奥底に眠る我が無意識の底から浮かび上がってくるのを止められない。

「もっと君の心の奥底に眠る気持ちに耳を傾けるんだ」

 淫魔のように甘く優しく囁く声、ナァシフォは外から聞こえてくるはずなのに心の内から囁かれたように感じてしまう。

「でもそれは・・・」

 民の嘲笑すら挑む気概を持つナァシフォが己の心に恐れ慄いている。

「俺は君が知りたい。大丈夫君がどんな思いを秘めていようとも俺は受け入れる」

 ガイガに受け入れて貰ったからなんだというのだ。世の中には気付かないほうが本人の為であることなど幾らでもある。もしもの話ナァシフォの封印した気持ちが殺人衝動ならどうするつもりだ。馬鹿なことと思っても一定数そういった社会にあってはならない気持ちを抱いた人間はいる。

 今ガイガがしていることは無責任な好奇心による悪魔の所業とも言える。そしてガイガもまたその事を自覚しながらもナァシフォに惹かれ止められないでいる。

「ほんと」

「本当さ」

 幼子のように問うナァシフォにガイガは優しい笑顔で答えナァシフォに大好きだったお兄さんのように錯覚させる。

「さあ封印した君の本心を解き放つんだ」

 これは魔導の技なのかナァシフォの目の視線は坐禅を組んだ禅僧のように全てを見ているようで見てないようになり、普段は掛けているストッパーを外して誘われるがままに心の奥底深く意識を向ける。

 私が無意識に沈めた本当の気持ちは何?

 ・

 ・

 ・

 教育を受け成長する内に無意識にこれはいけないことと封印した気持ち。

 私の無垢な気持ちは何を求めているの?

「さあ心を開放して言うんだ」

 ガイガはナァシフォが心の奥底を見た絶妙のタイミングを見計らってナァシフォの心の蓋を外すように優しく誘導する。

「駄目です姫様それを言葉にしては・・・」

 何かを危険なものを感じ取ったシトヤが止めようとするがナァシフォの耳には届かない、ナァシフォは悪魔に唆されたかのように心の奥底に仕舞っていたものを出してしまう。

「私は魔を恐れつつもその美しさに惹かれていました」

「そうか」

 ナァシフォは誰かに聞かれたら廃嫡間違い無しの言葉を口にしてしまい、ガイガはその言葉を真摯に受け止めた。

「俺も君に興味が湧いた。もう少し君と一緒にいさせて貰おう」

「はい、喜んで」

 ナァシフォはガイガに笑顔で答えた。

 とんでもないことを口にしたというのに寧ろ今まで誰にも言えず無意識に封印した本心を受け入れて貰ったことで、ナァシフォのガイガを見る目に親愛の色が深まった。

「それでこのあとはどうします? 良ければ案内を続けますよ」

 己の知ってはならいない気持ちを知ったというのにナァシフォの態度は今までと変わらない。眼の前に自分を受け入れてくれた人間がいるからだろうか絶望も興奮もない。

「そうだな。姫様は顔が広いようだ。俺が望む場所に案内して貰えそうだ」

「はい」


「危険だあの男は危険過ぎる。排除しなければ姫様が堕落する」

 二人で歩き出す姿をシトヤは憎しみの目で見るのであった。

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