中編

 道場内に張り詰めた空気が流れる。

 型の稽古は淡々と行われていた。


「ヤッ!」


 広い道場の中央に拓斗とは立ち、腰を落とし、正拳突きを繰り出す。

 遥は腕を組み、その姿を真剣な表情で見つめていた。

 拓斗は一種独特の空気感、緊張感を感じながら型を演じる。


「フッ!」


 拓斗は無音の発声を行い、気を込める。

 型には動き、所作以外に気が必要。

 一般に気という言葉を耳にすると、実にオカルトめいたものに聞こえよう。


 しかし、気迫という言葉を使えば理解しやすいのかもしれない。

 気を込めることで、相手に立ち向かう力を誇示し、己に奮い立つ力を呼び起こす。

 この「気が込められていない型」は、まさに「気の抜けたもの」となる。

 故に一挙手一投足、全てが重要なのである。


「……ッ!」


 拓斗は前蹴りを繰り出し、即座に手を円状に捌く動作をする。

 この手を円に描く動作、これは空手における「廻し受け」と呼ばれる防御の技である。


「ハッ!」


 そして、気合一閃。

 拓斗は素早く順突き、正拳突きの二連撃。

 次に半歩、歩みを進めながら前蹴り。


「ヤアアアアア!」


 そして、最後は極めの上段蹴りである。

 拓斗は足を平行立ちとなり、ゆっくりと十字を切る。

 これにて型は終了。拓斗は、おそるおそる遥に型の出来栄えを尋ねた。


「……どうだった?」

「うん、思ってたより出来てる」


 拓斗はほっと胸を撫で下ろした。

 正直、彼にとっては型は苦手な分野だ。

 一方、遥はこの道場内で随一の型の使い手と言われている。

 その彼女から「出来てる」の言葉は安心感を与える。


「でも、合格レベルじゃない」


 が、ハッキリとダメ出しをくらった。


「ダ、ダメなのか?」

「全般的に力み過ぎて動きが固い、腰が落ちていない、突きや蹴りのポイントがズレてる」

「全部ダメじゃないか!」

「たっくんにしては、出来てるって意味よ」

「だから……そのたっくんという呼び名はやめろ」


 この特別稽古を行う理由がある。

 それは拓斗の昇段試験、つまり黒帯に上がるためのもの。

 空手と聞くと、手や足を使い格闘するものであると想像する。

 当然ながらそれは間違いないものであるが、武道とは道、精神性も問われる。

 武道における黒帯は、ただの腕自慢ではならない。

 流儀の伝統や精神性を受け継ぎ、正確な技を出来るかどうかも問われる。

 鳳翼会館もそれは同様である。


「ほら、私が一つづつ動きを説明するから」


 遥が拓斗の前に鏡合わせのように立つ。


「あ、ああ……」


 拓斗は緊張した面持ちだ。

 これより遥により直接指導が入るためだ。


 さて、空手道における型には、伝統的なものに「平安」や「鉄騎」なる型が無数にある。

 しかし、鳳翼会館ではそうではない。昭和という比較的新しい時代に出来た流儀だ。

 また、空手は空手でも試合形式は直接打撃性、フルコンタクト空手と呼ばれるもの。

 格闘要素が強いフルコンタクト空手であるが、当然ながら武道、道を重視する。

 昇段試験には組手以外に、型を審査されるのは当然である。


「鳳翼の型! 構えて!」

「ヤァッ!」


 遥の合図と共に、拓斗は構える。

 行う型は「鳳翼の型」と呼ばれるもので、伝統的な空手にはない型。

 初代館長は、空手以外に拳法や古流柔術の要素を加味したらしく、行う型は創作型であった。

 動きは柔軟性、俊敏性を伴い、四方八方を動き回る。

 攻防一体、鍛練にもなる非常によくできた創作型であった。


「突きの位置が高い! 動きは即座に!」

「オ、押忍!」

「腰高になってる! 体捌きが遅い!」


 遥の指導は厳しい。

 突きや蹴り、体の動き一つ一つをミリ単位で指摘し、指導する。


「だから! 突きの位置が高いんだって! 動きが雑になってるよ!」


 拓斗は懸命にやるも、どれもこれも不合格を与えられる。

 指導される側の拓斗は、少しづつ少しづつ怒りの感情が溜まっていく。


「うるさいっ!」


 そして、とうとう感情を爆発してしまった。

 遥は驚き、立ち尽くすよりほかなかった。


「館長からの命令だから仕方ないけどよ! 俺はお前の指導なんて受けたくないんだからな!」

「ど、どういう意味よ」

「俺はお前のことが嫌いなんだよ!」

「嫌い?」

「お前とは同じ時期に空手を始めたけどよ! どんどん遠い存在になっちまう!」

「遠い存在……」

「大会に出れば優勝! 段位も俺より上だし、道場内での人気もお前の方が上だ!」

「た、たっくん……」

「その呼び名はやめろって言ってんだろ!」


 拓斗は長い髪をかきむしった。

 その顔は悔しさで満ち溢れている。


「クソ……何で館長は型の特別指導にこいつを呼びやがったんだ。俺がこいつのことを、嫌いなのを知っているくせに……」


 拓斗の感情を爆発を見て、遥はやっと気が付いた。

 子供の頃は仲良く道場に通った二人であるが、成長するごとに会話が少なくなっていたことに。


(そういえば……たっくんとあまり話さなくなってたな……)


 大会で優勝を重ねる遥に、入賞経験が全くない拓斗。

 腰に巻く帯の色でも負けている。

 また、正確も元気で明るく、道場のアイドル的な存在である遥。

 一方の拓斗はどこか暗く、道場の末席に名を連ねるだけの一道場生。

 二人は道場内における立場、大会での実績も対照的で陰と陽のようであった。


「私のこと……嫌いだったんだ……」


 遥が端的に呟く。

 その重い言葉が拓斗の心にどんと響く。


「は、遥……」


 はっと我に返った。

 あの気が強く、元気な遥の表情が見たこともないほど暗くなっていた。

 後悔が襲う「俺は何ということを言ってしまったんだ」と。


「ご、ごめん……」

「いいよ。拓斗の気持ちが知れたから」

「そうじゃない……そうじゃないんだ!」


 拓斗は首を横に振る。

 これまで、心の奥底まで隠していた感情を遥に伝える。


「本当に嫌いなのは――俺自身なんだ! それを全部、遥のせいにしちまった!」

「え?」

「遥に追いつけない自分に心底ムカついていたんだ……。俺はお前に追いつき、追い越そうと努力は続けても……それでも……明るい先に行っちまう……。それがとても悔しくて、とても歯がゆかった」


 拓斗は顔を俯かせ、言葉を続ける。


「俺さ、ガキの頃からバカみたいに運動神経悪いの知ってるだろ。遥が出来たことは俺は数日かかるし、身長だってお前の方が少し高い――」


 遥は黙って聞いていた。

 ここまで、拓斗がコンプレックスを抱いているとは思わなかった。


「それは他の道場生も同じだ。みんな運動神経もいいし、頭もいい。俺がこれ以上続けたって――」


 拓斗の独白を聞きながら、遥は静かに言った。


「道場をやめるの?」

「……昇段試験の合否に関わらずな」


 道場はしんと静まり、数秒の時が流れる。

 重い空気感の中、先に口を開いたのは遥であった。


「絶対にダメだよ! そんなの絶対に許さない!」

「そ、そんなのお前に――」

「私を一人ぼっちにする気なの!」

「ひ、一人ぼっち?」

「みんな部活だ、進学だの言って辞めちゃった! 同期はたっくんだけなの!」


 遥の両眼は潤んでいた。

 この鳳翼会館は所謂、都会の中にある町道場。

 学校にあるような部活動、サークルではない。

 お金を払いながら技と道を習う場所、更にフルコンタクト空手は競技としてはマイナーな部類だ。

 小学生から中学生、高校へと進学すると、受験勉強に集中したり、野球やサッカーのようなメジャーな競技に流れていく。

 その過程で、遥と拓斗同時期に入門した仲間は一人、また一人と去っていった。

 同い年で残っているのは遥と拓斗だけなのだ。


「お願いだから辞めないで……! 同じことを長く続けれる人っていないんだから! それが……うっ……たっくんの……うぅ……」


 嗚咽する遥。

 拓斗は気まずくなり、頭を下げながらる。


(ま、まずい……)


 誤魔化すように、拓斗は両手を十字に切った。


「オ、押忍! 弱音と生意気を言って申し訳ありませんでした! 型の指導をお願いします!」

「オ、押忍……だけど……」

「は、早く稽古を始めましょう! 時間もありませんし!」


 突然の敬語口調になる拓斗。

 遥はぷっと吹き出しながら、涙を拭う。


「押忍! それでは改めて始めます!」

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