第12話 新しいコーチ
地方予選まであと10日。練習は佳境を迎え、雅は毎日トラックで汗を流していた。しかし、佐藤は雅の可能性をさらに引き出すため、特別な計画を用意していた。
佐藤の提案
練習後、佐藤が雅に話しかけた。
「雅、君の走りは確実に成長している。でも、さらに上を目指すために新しい視点が必要だ。」
雅は少し戸惑いながら手話で答えた。
「新しい視点……ですか?」
佐藤は頷き、続けた。
「デフリンピック経験者のコーチを君に紹介したい。彼は過去に日本代表として短距離走で活躍した選手で、今は若手の指導をしている。」
雅は驚いた表情を浮かべた。デフリンピックの経験者と直接話したり学んだりできる機会は、想像もしていなかった。
「会ってみたいです。」
雅が力強く答えると、佐藤は満足そうに微笑んだ。
「よし、明日の練習から一緒にやってもらおう。」
初対面のコーチ
翌日、練習場に現れたのは背の高い男性だった。雅と同じく耳が聞こえない彼は、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「君が雅さんだね。僕は高橋。今日はよろしく。」
高橋は流れるように手話を使いながら自己紹介した。彼の動きは滑らかで、自信に満ちていた。
雅は少し緊張しながらも、手話で挨拶を返した。
「よろしくお願いします!」
高橋の指導
高橋はまず雅の走りを観察した。そして、一言だけ手話で伝えた。
「素晴らしい走りだ。でも、まだ無駄な力が多い。」
雅は驚きながらも、高橋の言葉に耳を傾けた。
「走るとき、全ての力を出し切ろうとしているよね。でも、本当に速い走りをするには、余計な力を抜いて体全体を効率よく使うことが大切なんだ。」
高橋は実際に走り方を見せながら、リズムやフォームについて具体的に教えてくれた。雅はその動きの美しさに感動し、自分の走りと何が違うのかを考え始めた。
「腕の振りは肩から。足の蹴りは膝から自然に動かす。力を抜いて、でも全身を使う。」
高橋のアドバイスを受けて走ると、雅はいつもより軽やかに前へ進む感覚を得た。
高橋の言葉
練習の合間、高橋は雅にこう話した。
「僕がデフリンピックに出たとき、同じように壁にぶつかったことがあった。耳が聞こえないことが理由で、スタートが遅れたり、タイミングを掴めなかったり。でも、僕を救ったのは周りの人たちだった。」
雅はじっと高橋の手話を見つめていた。
「君にも支えてくれる人がいる。家族、仲間、そして佐藤先生。だから、ひとりで抱え込む必要はないよ。」
その言葉は、雅の心に深く響いた。
新たな感覚
高橋との練習が終わる頃、雅の走りは明らかに変わっていた。フォームが洗練され、リズムが生まれていた。佐藤もその変化に気づき、手話で伝えた。
「素晴らしい走りだ。これなら予選でも十分に戦える。」
雅はその言葉に頷きながら、胸の中で新たな自信が湧き上がるのを感じた。
高橋のアドバイス
最後に高橋は雅にこう言った。
「大会では楽しむことを忘れないで。速く走るために必要なのは、自分を信じること。そして、楽しむ気持ちだ。」
雅はその言葉を心に刻み、手話で答えた。
「はい。楽しんで走ります。」
決意の夜
家に帰った雅は、ノートを開き、新しい一言を書き加えた。
「力を抜いて、自分を信じて走る。」
地方予選まであとわずか。新しいコーチ、高橋との出会いが、雅に新たな力を与えていた。そして、デフリンピックという夢の舞台に向けて、雅の挑戦はさらに加速していくのだった。
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