第10話 壁にぶつかる
地方予選まであと1か月。雅は毎日のように練習に励んでいた。スタートからゴールまでのペース配分やフォーム改善、そして持久力を鍛えるトレーニング。練習を重ねるほどに雅のタイムは確実に縮まっていった。
だが、順調に見えた努力の中で、雅はある大きな壁にぶつかろうとしていた。
伸び悩むタイム
ある日の練習後、佐藤が雅にタイムを知らせた。
「今日は12秒台後半だな。悪くはないが、この1週間、タイムがほとんど変わっていない。」
雅はその言葉に胸が少し重くなった。地方予選で上位に入るためには12秒台前半が必要だ。あと0.5秒縮めなければならない。しかし、いくら練習を重ねても、タイムが頭打ちになっている感覚があった。
「どうして……こんなに練習しているのに。」
雅は一人でトラックに残り、何度も繰り返し走ったが、タイムは一向に改善されなかった。
不安と焦り
その日の夜、雅は家で母親と手話で話していた。
「最近、全然タイムが伸びないんです。」
雅の表情には明らかな焦りと悔しさが表れていた。母親は雅の手を優しく握りながら、手話で伝えた。
「雅、焦らなくていいのよ。練習はすぐに結果が出るものじゃない。積み重ねが大切なんだから。」
しかし、雅の胸の中の不安は消えなかった。
仲間からのアドバイス
翌日、部活の練習中に悠馬が雅に声をかけた。
「最近、すごく真剣だよな。でも、少し疲れてるんじゃないか?」
悠馬の言葉に、雅は少しだけ肩の力を抜き、正直に答えた。
「どうしてもタイムが縮まらなくて……焦ってるんです。」
悠馬は頷きながら手話で言った。
「わかるよ。その気持ち。でも、あまり無理しすぎると逆効果になることもある。たまには思い切って休んでみるのも大事だよ。」
雅はその言葉に少し驚いた。練習を続けることが成功への近道だと思っていたが、悠馬の言葉はそれとは逆の提案だった。
「休むことも、走るための一部かもしれない。」
雅はその言葉を胸に刻み、その日の練習を少し早めに切り上げることにした。
一歩引いて見つめる
翌日、雅は久しぶりにグラウンドではなく、自宅近くの小さな公園を訪れた。ベンチに座り、空を見上げる。風で揺れる木々の葉、鳥が飛び交う様子。音は聞こえないが、世界が動いているのを感じる。
「私、なんでこんなに焦ってたんだろう。」
雅はふと、自分が最初に走り始めた頃を思い出した。ただ風を感じ、足を動かすことが楽しかった。タイムや結果ではなく、走ることそのものに喜びを見出していた自分。
「もっとシンプルに考えよう。私は走るのが好きだから走る。それでいいんだ。」
雅の中で何かがふっと軽くなった。
再挑戦
翌日の練習、雅は心を新たにしてトラックに立った。佐藤が手話で話しかける。
「今日は少し楽しむつもりで走ってみよう。力を抜いて。」
雅は深呼吸をし、軽い気持ちでスタートラインに立った。そして旗が振られると同時に、全力で走り出した。
風が体を包み込む感覚、地面を蹴る力強さ。それだけを感じながら走ると、ゴールに近づくにつれて身体が軽くなるのを感じた。
ゴール後、佐藤がストップウォッチを確認し、笑顔で手話をした。
「12秒4だ!いいタイムだぞ!」
雅は驚きながらも、心からの笑顔を見せた。
次への一歩
その日の夜、雅はノートにこう書いた。
「焦らず、一歩ずつ進む。」
壁にぶつかったことも、挫折を感じたことも、全てが雅を成長させてくれた。そして、目標への道はまだ続いている。
音のない世界でも、雅の心には確かに道が見えていた。それは、努力と仲間、そして自分を信じる力が織りなす未来への一本道だった。
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