第4話 初めての挑戦

陸上部に入部してから1週間。雅は毎日のように練習に励み、少しずつ自分の体が変わっていくのを感じていた。腕の振り方、足の踏み込み、スタートの瞬間の姿勢――全てが新しい発見だった。


「雅、次の地方大会に出てみないか?」

練習後、佐藤が声をかけてきた。手話を使いながら、彼は穏やかな笑顔を浮かべている。


「地方大会ですか……?」雅は戸惑いながら手話で返す。


「そうだ。出るだけでも経験になる。結果は気にしなくていい。自分の力を試してみるのが目的だ。」


雅は少し考え込んだ。入部したばかりで、大会に出る自信はなかった。でも、佐藤の真剣な表情を見て、心の中で小さな火が灯るのを感じた。


「わかりました。挑戦してみます。」


佐藤は満足そうにうなずき、「その意気だ」と手話で伝えた。


大会当日。雅は初めて見る広い競技場の雰囲気に圧倒されていた。観客席には大勢の人々が座り、トラックでは次々と選手たちがウォーミングアップをしている。


「大丈夫、練習通りにやればいい。」

佐藤が肩を軽く叩き、手話で励ます。隣には悠馬もいて、彼も雅に向かって親指を立てた。


「頑張れ、雅。君ならできる。」


スタート地点に立つと、雅の心臓が高鳴り始めた。耳が聞こえない彼女は、スタートの合図となる旗の動きを目で追う。これまで何度も練習してきたが、大会の緊張感は想像以上だった。


「深呼吸して、集中して……」

そう心の中でつぶやき、旗が動く瞬間に全神経を集中させた。


そして旗が振られる――雅は反射的に地面を蹴り、一気に走り出した。


最初の50メートルは順調だった。風を切る感覚と、地面を蹴る力強さ。これが自分の走りだと感じた。だが、残りの距離で雅は周囲の選手たちに追い抜かれ始めた。


「もっと、もっと速く……!」


必死に足を動かし続けたが、ゴールラインを越えたとき、雅は4位だった。目の前には表彰台があり、1位から3位の選手たちが笑顔で並んでいる。雅はその光景をぼんやりと見つめていた。


「いい走りだった。」


佐藤が駆け寄り、雅の肩に手を置いた。手話で続ける。


「初めての大会で4位なら上出来だ。悔しいかもしれないが、これがスタートだ。次に向けてまた頑張ればいい。」


雅は小さくうなずいたものの、心の中では複雑な思いが渦巻いていた。


「もっと速く走りたい……勝ちたい。」


それが彼女の心の奥底で芽生えた願いだった。


帰り道、悠馬が隣を歩きながら言った。


「雅、悔しいのはいいことだよ。それが君をもっと強くする。僕も最初は負けっぱなしだった。でも、練習すれば必ず結果はついてくる。」


その言葉に雅は少しだけ救われた気がした。


その夜、雅はノートを開き、大きく手書きでこう書いた。


「次は勝つ」


音のない静かな部屋の中で、彼女の決意は強く心に刻まれた。挑戦は始まったばかりだった。

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