9.二人の車掌

 悪夢に手を引かれて、自分の死骸と対顔する。

 誰の現実にも存在しない孤立した空想が貌を掌中にした。

 織術師は創作者であり、発明家であり、造物主。

 外聞を気にせず恥を捨て、心の内を曝け出し、手ずから産み出した作品で覇を競う。

 寄る辺は己自身だと断言する格別した意識を持つのだ。

 視環織は、言うなれば映像描写である。

 目の前に現れる幽霊に怯えはすれど、物理的な損害を加えて来ない限りは、スクリーンに映ったフィクションと何ら変わりない。

 仲間の首を消しても、首そのものは鎖骨の上にあり、能面の怪物が涎を垂らして喰らいついてこようとも実体がないのならば、錯覚以外の何物でもない。

 俺が斬り伏せた怪物には、意志がなかった。

 視環職を追求した時期のある俺からすれば、自己満足全開の造形美術を突きつけられた気分だ。

 中途半端な幻を持ち出して何がしたい。

 畢生の悪夢を植え付け、紛れもない事実へ昇華する。

 織術とは、世界を独創することに他ならない。


 俺は能面を葬り去ったあと、すんなりと機関車の足場へ辿り着く。

 車体の側面に幅の狭い足場があり、そこを駆け足で伝って前に進み、運転台の扉前に駆けつけた。

 窓から内部を覗くが人の姿はない。

 背もたれをこっちに向けた回転椅子がいやに虚しくて、誰かが腰を下ろすのを待っているようだった。ハンドルやブレーキのレバー付近に『自動運転』と書かれた札が貼られている。速度計の針が小刻みに揺れていた。

 俺は何の警戒もなしに扉を開けて、室内に入ろうとは思わなかった。

 織術を行使していき、上達していくにつれ、他者の織力を感知するようになる。無意識のうちに、感覚を鋭敏にさせる環織を作用させてしまうのだ。これがコントロールできないうちは身体に支障をきたす要因になるのだが、我が物とすれば強力な感知機能へ変貌を遂げる。

 そのセンサーとも言える環織が反応しているがために、妙な危機感を抱き、緊張が解けないから、仕方なく眼に力を入れ、喪織線が漏れつつも一番気にかかる座席を観察した。

 じっくり注視してみると、透明の人間が椅子に座っている様が確認できた。

 その人物が鳥の羽をあしらった菜箸ほどの杖を顔前で構えている。俺が室内に入った瞬間に、織術で奇襲でもしようと画策しているのだろう。

 こんなお粗末な要撃は初めてだ。何か罠があるんじゃないかと猜疑心にかられつつ、俺は扉を開けた。

 案の定、目路が散光に包まれると、俺の顔面に織術で産み出した光弾が直撃する。

 運転室の窓ガラスが盛大に割れ散った。


「あ、当たった!殺ってやったよ。わ、私!初めての人殺し!!」


 言葉を詰まらせながらも発する嬉々とした歓喜の声音から、性別は女性と判別できた。

 俺は織術により防御していたため、損傷は負っていない。

 室内に充満した爆煙が車外へ漏れ出ていき、みるみるうちに視界がクリアになっていく。

 透明化の織術は効果を失い、隠されていた容姿が暴露されていた。

 運転椅子に座る丸眼鏡をかけたショートボブヘアーの女と視線が重なる。大きな丸目を存分にかっ開き、外貌には幼さが残っていた。

 杖男や女剣士と同じく黒マントを羽織り、魔法使い然とした漆黒のとんがり帽子を被っている。

 魔法使い女の整わない表情が慄然と焦燥でしっちゃかめっちゃかになっていた。

 煙が完全に晴れ切ってから、俺は彼女に声をかける。


「勝手に殺すな」

「ギャァァァァァァァァッッ!!暴力反対だよ!!」


 甲高い声を上げながら、魔法使い女が羽の杖を力任せに振り回す。野良猫が道端で他の猫と戯れあっているみたいだ。

 俺は右の人差し指で彼女の頭を指差す。


「枯喰」

「ハッ…ワ…」


 魔法使い女は、途端に時が止まったように硬直すると、次の瞬間に肩から力が抜け、だらんと腕や脚が伸び切って、右手から溢れた杖が床の上に落ちて転がっていく。俺は、受け身も取れずに前倒れしそうになる彼女を支えて、後ろの壁に寄り掛からせた。


「い、痛いのは…、イヤ」

「別に何もしないよ」

「は、犯罪者の言うことなんて…、信じられない」

「お前が言うな」


 俺は意外に余裕のある女を尻目に、操縦部へ集中するため向き直る。

 電車の操作方法は、最低限ではあるが頭に入っていた。

 一番右端のブレーキレバーを握り、急調な操作はせず、慎重に手前から奥へと押し、スイッチを切り替える。

 列車は不快な金切り音を上げながら、大きく揺れもせずに緩慢な速度で停止した。

 運転席のフロントガラスから進行方向を見ると、遠くにトンネルの入口が視認できた。もし列車を止められていなければ、一分も経たないうちにトンネルへ突入していたのは明白だ。


「あんただろ、他の奴らの首を消していた視環織使いは」


 列車を止められたことに一安心した俺は、魔法使い女に話しかけた。今の彼女は枯喰により身体の自由がきかないため、脱力した状態で俺に目線の焦点を当てている。


「そうだとしたら、何」

「技術だけは目を見張るものがあるなと思ってね」

「どういう意味かな」


 彼女の声のトーンが確実に一段下がった。自分の能力を遠回しに貶されていると理解したらしいが、それには大きな誤解があるため、俺は訂正のつもりで言葉を付け足す。


「ガワだけじゃ限界があるってことだよ。殺意を表現するなら、幻で人の命を奪うくらいの覚悟は必要だと思うから」

「お説教のつもり」


 眉を落とし、鋭い眼差しで俺を睨む魔法使い女と向かい合う。


「あの能面には何もなかった」


 彼女は何も反論してこずに、穴が空くほどに俺を見つめるのみ。

 言いたいことは言ってやるの精神で、その続きを口にした。

 

「芸術家が殺人のために絵は描かないだろ」


 セイレイを強奪することを決心した犯罪組織にしては、彼らの人柄というべきだろうか、それを加味すると単なる私利私欲で動いているようには見受けられなかった。

 何かのためにセイレイが必要だった。

 のっぴきならない事情を背負っている印象を抱く。

 その傾向が一際強かった人物が彼女だ。 

 明らかに戦闘を好む人間ではないくせに、列車に乗り、犯罪の片棒を担いでいる。脅されたが故の行動とも受け取れない様子に、違和感は募るばかり。

 犯行内容に不釣り合いな態度がどうにも解せない。

 変わらず沈黙したまま、視線を俺から外して虚空を見つめる魔法使い女に俺は問いかけた。


「もう一人は、どこにいる」


 のそりと首を動かし、控えめに開かれた瞼の下で燻み、輝きを失くした彼女の双眸が俺を射止めた。


「皆は…、どうしたの…?」


 恐る恐る質問してきた魔法使い女。

 俺が彼らを殺害して、ここに来たとでも思っているのだろうか。

 この人は丸っきり戦闘向きじゃないな。


「俺の仕事は、この列車を止めてあんたらを拘束すること。この二点だけで、それ以外のことは何もしていない」

「キミは、何者なの?」

  

 至極当然の問いかけだ。

 自分たちを捕えにきた人物が、一体どんな素性なのかは突き止めたいはず。

 この人には少しぐらいは教えても問題ないか。


「探偵だよ、便利屋の側面が強いけどな」

「便利屋…、それって、もし私が依頼したら聞き入れてくれるの?」

「あんたが?」


 彼らがセイレイを盗もうとした理由を追いかける義理はないが、この状況下で依頼を提示しようとしてくる気概に正直驚きを隠せない。

 魔法使い女の眼に、一縷の光が戻っていた。

 ナミセンの戦況が気になるところだが、どんなことを頼んでくるのか興味をそそられた。

 俺は周囲を警戒し、もう一人の気配がないか探るため、感覚を研ぎ澄ませながら様子を探るが、特に察知に引っかかる点はなかった。

 いざ聞き出してみようと思い「受けるかどうかは別だ。話を聞くだけなら…」と言葉を進めてから、彼女が羽織ったマントの下に、見知った服が覗いていることに気がついた。おもむろにマントの前裾を掴んで捲ってみると、それは駅員の制服だと判明する。

 胸元に『車掌』のバッジと『冬瀬』と書かれた名札が留められていた。

 自分でもはっきりとわかるくらいに、思考がフリーズしたことを感じる。

 車掌車で倒れていた笹川という男も、同様のバッジをつけていたと記憶しているが、そうなると倍々に疑問が湧き出してきた。

 この女は車掌なのか。

 車掌は二人いて当然か。

 そういえば何故、運転士がいないのか。

 魔法使い女が運転士なのか。

 この服はカモフラージュのために盗んだのか。

 彼女は本当に冬瀬という名前なのか。

 待て、難しく考えるな。

 犯罪組織の人数は男3人、女2人だ。

 すでに見つけたのは男2人、女2人。

 この場合は、固定概念に囚われてはいけない。

 まだどこかに身を潜めているとかではなく、すでに俺が最後の一人を目にしているとすれば、最も簡潔な事実に辿り着く。

 あの笹川という人間は男だった。

 結論に至る前に、俺は運転室から飛び出した。

 

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