8.ナミセン
寝ずに練った企ては、完璧とは程遠い有様だった。
それでも時間の残されていない境遇にあって、最善の選択と行動を取れたと自負している。
あの子はついぞ帰ってきてはくれなかった。
私たちは友達で、かけがえのない姉妹。
家族は離れ離れになってはいけないんだ。
セイレイを盗むためにここまで来た。
あの子のためなら、築き上げた成果や名誉もドブに捨ててやる。
手を汚し穢れきって、陽の当たる場所に二度といられなくなってもいい。
身を落とす覚悟はとうに出来ている。
あの子が帰ってくるのなら、私は人殺しにだってなれる。
どうやら神様は許してはくれないらしい。
私たちの前に断罪者が立ち塞がった。
「肆圏、
月を隠す雷光の十字架が、昼の様相へ覆す。
俺は念のため、自身の表面に鋼鉄の壁が張られる想像を脳内に巡らせた。
上空に刻まれた十字架の交差点に位置する女剣士。
彼女が目にも留まらぬ速さで俺に斬りかかる。
それは大気を焼き焦がし、有象無象を貫く迅雷の矢。
右手に白光した枝木ほどの刃を形成した俺は、左肩越しに得物を構えて躊躇なく振り抜いた。
彼女の剣身と火花を散らして打ち合う俺の白光刃。これが耐久力も著しく低い上に脆くて、あっけなく折れてしまうが、その度に新調する。
雷火を纏い追撃を繰り出す女剣士の斬撃に、俺は防戦一方だ。いざ反攻しようにも、後ろで補助に徹する杖男が邪魔をする。
俺が女剣士に干渉できないように織術の盾を発現させ、尚且つ俺の攻撃に転じる機会を遠距離織術による嫌らしいアシストで妨害する。
縫い目のない計算された連携、こいつら戦い慣れてんな。
女剣士の上段から一気に斬り下ろし、反転して振り上げ逆袈裟斬り、淀みなく横一閃の左右胴斬り二連撃からの容赦ない突き。
剣と一体化した滑らかな重心移動により放たれる剣技のそれぞれが、端然とした平野の水流のようだ。
彼女の剣が俺の白光刃とぶつかる度に、純粋な力の重さを感じる。
俺も剣術をかじったことがあるから理解できた。
この女には、剣しかない。
「とっとと帰ってくれないかな」
斬り合いの最中、女剣士が混じり気のない俺への不満を述べた。
「悪いな、こっちも金もらって仕事してるからさ」
「死んでも知らないよ」
彼女の身体を走る電撃が、次第に何者も近寄らせない棘となる。
これでは杖男も機を見てサポートしにくくなっているはずだ。
宿嘴という筋肉に作用する織術は、速度強化を目的としているが、加減を見誤ると制御できなくなり、雷の棘が内外へ実害をもたらす。自らの身体に損傷を与え、周りへの被害を誘発する。その過激な織術形態とは裏腹に、冷静沈着な心持ちがないと諸刃の剣になりかねない。
焦燥感に駆られているのか、彼女の剣術が段々と大雑把になっていく。
俺が上方へ剣を力強く逸らすと、女剣士が僅かによろめいた。
一筋の光明となった好機を見逃さない。
喪織線が右脚を渦巻くように走り出し、俺は女剣士の腹部へ蹴打を浴びせる。
彼女はすんでのところで、剣を盾にし防いでみせたが、織力で強化した前蹴りの衝撃を殺しきれずに後ろへ吹っ飛んでいった。
俺は踏ん張りを効かせて態勢を立て直した女剣士の頭上を飛び越える。
見えない彼女の頭があるだろう場所へ、白光刃の先を当てがった。
「
女剣士は、糸が切れた人形のように脚から崩れてへたり込む。
たとえ視環織で不可視化されていても、そこに何もないわけではない。
これで彼女は無力化できた。数分は身体に力が入らず、立ち上がれないはずだ。
貨車に着地した俺は、そのまま杖男へ攻撃を仕掛けるため駆け出した。
突如、丸太のように圧迫感のある黒い拳が、視界に割り込み俺の顔面に衝突する。
俺は何の防御もとれずに殴り飛ばされ、車掌車の扉をぶち破り、反対側の扉に身体を打ちつけ、床に情けなく尻から滑り落ちた。
幸い、痛みは特に感じない。
「保護しといてよかったな」
左肩に手をやると身体の表面に白い網目の線が浮き彫りになる。
あの巨躯を持ちながら気配を悟らせない動きは脅威、真っ先に畳むべき対象だ。
これで見つけた犯人の数は男2人の女1人。あと2人いるわけか。
俺は膝に手をついて立ち上がり、ズボンのポケットからスマホを取り出してマップアプリを起動した。
トンネルまでの距離を再確認する。
列車の運行速度を考慮すれば、残り2、3分に差し迫ろうとしていた。
悠長に考えをまとめている暇はない。
トンネルに入ってしまっては、余計戦いづらくなり不利になる。
スマホの画面を、間隔を空けずに素早く2回タップすると『ご用件は?』と女性の機械音声が鳴る。
「事情は分かってるな。2分で終わらせたい、手伝ってくれ」
そう言うと、間延びした『はーい』という声の後に『作戦は如何ように』と語りかけてきた。
俺は、余裕がないときの作戦内容を言い伝える。
「ガンガン行こうぜ」
『ゴリ押しですね、分かります』
「あと、積荷と列車に損害は与えずに」
スマホを後ろへ放り投げると、クルクルと回転しながら俺の側頭部付近で静止した。
「半殺しまで可、生きたまま拘束」
『制限時間あるのにクリア条件付け足さないでくれます?』
俺たちの会社は、当たり前の話だけど殺人御法度。良質で快適な社会的企業を目指しているのだ。
その場で軽く屈伸し、手首や足首をほぐす。
「行くぞ、ナミセン」
『ご自由に』
正直、機械に頼ることに抵抗感がないわけじゃない。自分だけの実力で事を済ませたい願望はあるが、仕事を片付ける上で個人的なプライドは無駄でしかない。
両脚へナミセンによる身体能力向上の脚環織が作用した。
俺は起爆し発砲される弾丸のように、一直線に走り出す。
倒れた車掌を飛び越えて、貨車にいる首なし共へ瞬く間に肉迫した。
最前面に立つ首なし巨漢を隠れ蓑にして、杖男が織術を発動する。
「参圏、
極寒地帯の吹雪と見間違う無数の赤黒い枯葉が強風に煽られ舞い散った。
『参圏、
ナミセンの機械音声が合図となり、白い網目の防御結界が俺を被覆する。
枯葉が結界に当たった途端に、はち切れるように爆発した。
俺に影響を及ぼさない防御織術は、連鎖する激発にも耐え抜いてくれる。
ナミセンの実力を疑わない俺が、駆け抜ける脚を緩めることはなかった。
「ウォォオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
たんまり太った月の輪熊のような巨漢が、野太いノイズ声を張り上げながら拳を構えて襲いかかってくる。
『壱圏、
矢継ぎ早に織術を唱えたナミセン。
俺の全身を、白い喪織線が吸い付き包み込む。
灼壽により右腕が爆炎を纏い出す。続いて補助織術である尾導で、手首から肘にかけて何重にも力を増幅させる爆発を繰り返し、虚螺雲の作用として、ナミセンから噴出された白煙が立ちこめる。
巨漢の放つ正拳突きを、少ない足捌きでいなしてから、彼の腹部に推進力を高めきった拳を見舞う。
「アッッ…ガッ…!?」
堪らず嗚咽を漏らした巨漢へ、同様の工程でロケットと化した左拳を突き出す瞬間、視界の左端に何かが入り込んだ。
女剣士が、首なし巨漢の後ろから剣を突き出してくる。
枯喰は解除済みか、この女が一番厄介だったんだがな。
奇しくも、その攻撃は俺には届かず、虚螺雲の防護白煙により阻まれた。
俺の左拳は、誰にも止められることなく、巨漢の身体をコンテナまで殴り飛ばす。
拘束織術の閂葉箋が彼の神経を麻痺させ、行動の自由を奪った。
巨漢に目もくれずに、女剣士は俺から咄嗟に後退する。
「
女剣士の剣を這うように、急速回転する雷刃が厳かに宿っていた。
もうサポートを受けにくい宿嘴は使わないか。
杖男への対処はナミセンに任せて、この女を捩じ伏せる。
俺は右手に白光刃を作り出し、彼女へ振り下ろした。
圏度の高い織術は、当然低い織術よりも優位だ。低圏織術が高圏織術を上回るには、多重行使しかないが、大概は術者の織力限度を超えてしまうため、せいぜいが十数回の行使に留まる傾向が強い。
その限界を難なく飛び越えてくれるのがナミセンの利点だ。
『圏外、蹈身仟乗』
多重かつ高速の織術行使を可能にするナミセンにより、俺の生み出した小枝ほどの白光刃が見栄えの良い重厚な刀へと形を変化させる。
その刀が輾雷雷架殱により切れ味を増した剣身とせめぎ合う。
問題ない、この刀でも渡り合える。あとはどっちの剣術が優っているか、それだけだ。
鼓膜に「
離れた場所に立つ杖男の背後に揺蕩う炎の塊から、鋭利な蜘蛛の脚が八本射出される。
頼んだぜ、ナミセン。
『圏外、虚螺雲弐仟乗』
真夏の入道雲を彷彿とさせる白煙が、俺と女剣士を覆い隠し、援護しようとしていた杖男と分断する。
鉄を溶かしそうな焦熱の蜘蛛脚が、能天気に角なく膨らむ白煙に揉まれて四苦八苦する。
女剣士が精度の衰えない素早い突きを放ってきた。
俺は刀の腹でその攻撃を受け止め、横に逸らし、彼女の胴に狙いを定め、刀を水平に振り払うが、容易く凌がれ反撃を喰らう。
仲間との連携が断たれた状況にあっても動じる素振りはない。
彼女は掛け値なしで剣術の技量がすこぶる高いと思えた。
日々欠かさずに基礎の鍛錬をし、その積み重ねがこの剣に詰まっていると実感できる剣さばき。
だからこそ、違和感が拭えない。
どうして、こんな人がセイレイを盗もうとしているんだ。
「考えるのは後回しだ」
戦闘が繰り広げられている最後尾から割と離れたコンテナの上を飛び走って、俺は機関車へと向かう。
走行中の貨物列車で、まともに戦う気は更々なかった。
杖男が爝霏䖸を使用した時には、電車を止めないとトンネルまで間に合わないと思って、幻影と入れ替わっていた。
最初に杖男と相対した場面の幻影は、何もできない木偶の坊だったが、今はナミセンがいるため視環織の再現性に磨きがかかっている。
「あと二人、仲間がいやがるんだ。一気に拘束織術で無効化…」
まだ姿を見せない共犯者への対策を模索していると、小さな滲みのような黒い渦が眼前に現れた。それは時計回りに回転しながら飛躍的に成長していき、あっという間に行手を阻む。
寺院の梵鐘くらいに太った渦の両脇に、骨張った皺くちゃの手が出現する。紫紺の長々しい爪を生やしたその両手を皮切りに、姿形が顕在化されていく。
熱帯雨林に棲息する大蛇ほどに長く黒い髪を持ち、白装束を身につけた妖怪と形容すべき怪物がそこにいた。
薄ら笑いを浮かべた能面を被り、胴体から直結した肉厚の尻尾が鋸歯状になった装束の裾から垂れている。肌は浅黒く、痩せ細った不気味な体躯をした怪物の叫声が木霊する。
それは、豚が咽び泣くようだった。
「参圏、燧天錚々」
俺の真上に現れた六角形の穴から業火の一閃が発射され、能面妖怪の頭部を消し飛ばす。
黒い渦が瓦解し、寄り集まった埃のような粒子となって霧散していく。
俺は自分の身の丈より大きな白光の太刀を右手に携えた。
脚環織の作用により空高く跳び上がり、能面の頭頂部から胴体を一刀両断する。
「お前の幻術は看破してんだよ」
何処かで見物している術師にそう告げた。
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