7.橋の花嫁

 ミニバスの助手席んドアが、開いたまんまやった。

 オレは運転席からつんのめって、ドアノブを掴んで閉めたる。

 アイツが貨物列車へ向かいよったことにホッと一息つき、追いココアピーナッツにでも興じたろかなと運転席を立ったトコで、スーツの胸内ポケットにしもうとったスマホが振動しよった。

 仕事の電話やったら無視できひん。

 誰やねん、こないな時間に。

 オレはポケットからスマホを取り出して、画面も碌に確かめんと通話に出たった。


「毎度、ハイビスカ…」

『いつ!来んのよ!貴方は…!』


 思わずスマホを耳から離してもうた。

 あかん、約束思いっきし忘れとったわ。

 後部座席近くにあるキッチンの戸棚を、盗人猛々しく弄うてココアピーナッツの袋を取り出す。

 オレは後部の窓際にある長椅子に座り込んで、スマホを肩と耳で挟んでから袋を開けた。


「堪忍な、えらい急に依頼入ってやな」

『深夜に依頼ってどんな会社よ』

 

 ココアピーナッツの袋を座席に置き、スマホを持ち直してから、二、三個摘んで口に放り込む。


「探偵やで。幅広うやらしてもろうとんねん」

『クチャクチャうっさいわねー』

「どこやっけ、待ち合わせ場所」


 左手首につけた腕時計を確認すると、時刻は午前4時を少し回りよったくらい。

 電話の相手との待ち合わせ時刻は3時半やったさかい、せいぜい半時くらいの遅れみたいや。


『羽室橋!!』

「ちょい待っとってや」


 オレは瞼を下ろして、ココアピーナッツの袋を手に取った。


『あのねえ、社会人だったら時間にルー』


 よっこらっせっと席から立って一歩を踏み出す。


「ズなのは信用を失うって学ばなかったわけ?」


 目を開けると、生温い風の吹く郊外に立っとった。

 車も通らんくて無駄に図体のでかいオブジェと化しとる陸橋のねき。

 虫が縄張り争いのために鳴いとる川堀沿い。

 ちっこくて短い橋のたもとにえげつない格好しとる女が一人立っとった。

 白基調のショート丈ダウンジャケットを羽織り、ボトムスは黒いハイウエストで、ロングブーツも同色になっとる。

 えろう長い爪を生やした指で摘んだピンクの折りたたみ携帯に向かって「聞いてんのかよ、おい!」て声を張り上げ出しよった。

 輩やん、夜中にあんなんおったら尻尾巻いて逃げてまうわ。

 オレは通話を切って背後から声をかけたった。

  

「キョウコちゃん、来たで〜」


 女はこちらに振り返りよると、口元に手を当て眉を顰めよる。


「うわ、スーツって似合わな。笑える」

「季節感バグっとるアンタに言われたないで」


 彼女は阿節境子、大昔からのツレで気の置けへん仲やねんけど、今でも理解できひんとこがごまんとある。

 そのうちの一つが、万年冬服で過ごしとる神経や。

 オレは素直にありえへんやろ思いながら、キョウコちゃんの服装をジーっと眺めた。

 初夏にダウンジャケットなんかまともやったら普通着いひんし、襟についたファーは余計むさ苦しく感じてもうてかなわん。ほんでトップスはタートルネックって、暑いっちゅう感覚粗大ゴミにほかして消え失せてもうてるやん。


「ビズペリでマンゴー生クリームアイスカフェオレ買ってきて」

「そないなナリしてアイスかいな」

「買ってこい」

「何時や思とんねん、開いとらんわ店」

「役立たず」


 キョウコちゃんは呆れ顔晒しおった。

 右肩に引っ提げたショルダーバックに携帯直して、髪の毛をいらいだす

 シルバーブロンドに染めた前下がりボブに、はんなりした眉の下にある柳葉眼。

 控えめな鼻筋と淡い紅を落とした唇。

 

「海外でも行けば開店してんでしょ、幅広くやってんじゃないの?」

「時差を考慮すなや。幅広うにも限度あるわ」

「待たしたくせに詫びもナシってマジ?」


 キョウコちゃんはバッグから蓋のついた手鏡を取り出して、自分の顔をジロジロと見はじめた。

 こないな暗闇で灯りもなしによう確認できんな思いながら、オレはココアピーナッツを差し出したった。


「あんで、お土産」

「いらないわよ。てかボリボリ食ってたのそれ?ガキくさい菓子食っちゃって、情けな!」


 オレはしみじみとその言葉を受け止めながら、ココアピーナッツを一つ口に入れて噛み砕く。

 

「ココアピーナッツは至高や」

「どんな依頼が来たのよ、こんなド深夜に」


 手鏡を構えたまま、バックからリップを取り出して、唇に塗り出しよったキョウコちゃんがそう訊ねてきた。

 オレは彼女の隣へ移動して、橋の欄干にもたれかかった。


「セイレイが盗まれたんや」

「そういうのって警察か蜜吏の仕事なんじゃないの」

「知り合いがおってな、回してきよんねん」

「ふーん、捕まえたの?」

「まだや、うちの社員が向こうとる」

「何よ、その言い回し。貴方が偉い立場みたいじゃない」

「あ、せやった!キョウコちゃんに言うとらんかったわ」


 オレは胸内ポケットから革の名刺入れを取り出し、中から上質紙の一枚を抜き取った。


「はい、やるわ」


 キョウコちゃんへ名刺を差し出したると、彼女はぱちもんを暴こうとする鑑定士ばりにそれを観察してから、ちょこっと嘲た笑みを浮かべよった。

 なんや思たら、路上でポケットティッシュをもろうたみたいに名刺を無造作に手に取って、リップと一緒にバックに押し込み、前髪を整えだしよる。


「質の悪いジョークね、ちょっと笑えたけど」

「ジョークちゃうわ、モノホンやがな」

「盛大に遅刻をかます社長様がいるわけ?」

「しゃあないやん、そら。見送りたかってん」


 夜空を見上げてボソっと呟いたオレにキョウコちゃんは無言を貫いた。

 オレはそのまま続きを口にする。


「アサヒに任せた」


 パタン、と鋭い音がした。

 キョウコちゃんが手鏡の蓋を閉じとった。

 彼女はそれをバックに直して、勝手に陸橋へと向かってまう。

 東西に線路と国道が走ってもうてるさかい、それを超える為に造られた南北橋。

 オレたちはこの橋に用があった。

 内ポケットのスマホが振動しよる。

 アサヒからの犯人を見つけたって知らせやった。

 スマホをポッケに直してココアピーナッツを齧りながら、キョウコちゃんを追いかけると「依頼は成功しそうなの?」と彼女は振り向かんで聞いてきた。

 先程までの刺々しい威圧感はまるでない声音に、オレはおちょくったろか思たけど、あとで何倍返しされるか分からんさかい引っ込んだ。

 代わりに自信満々に答えたる。


「楽勝や」

「なら安心ね。貴方がそっちを気にしちゃって上の空だと困るから」

「よう言うわ」


 オレ達がおった小さい橋のたもとから北へ向かい、片側一車線の道路を超えた先へ進むと、目当ての陸橋と平行する歩道橋の入り口に辿り着く。

 黄色いアーチ型のバーが立ち塞がる階段の昇り口が見えた。

 キョウコちゃんはおもむろに立ち止まって「覚えてんでしょうね」とオレに向き直る。

 

「セイレイに関わるなら、もう見過ごせない」

「あいつ強なったで」


 キョウコちゃんは腕を組んで項垂れた。


「そうじゃなくて…」


 心配しぃやな、適当に丸め込んだろか。


「いけるて、キョウコちゃん」

「何がよ」

「オレやで、一縷の隙なく上々や」


 キョウコちゃんはなんか言おうと口を開けたけど、目線を横に流し、「貴方、適当だし不安なんだけど…」てぬかしよった。

 少しばかりの反抗心として「キョウコちゃんのパワハラに堪えられるくらいには強なったで」って言うたると「どつくぞ」て脅されてまう。

 凍てつく眼光が眉間を突き抜けて串刺しにされそうな気分や。

 オレはその場の空気から逃げ出すために、階段へと歩き出す。

 

「ほな、先行くで」


 闇夜の空へと聳え立つ階段を仰ぎ見た。

 誰の姿もあらへん歩道橋の階段を、備え付けられた寒々しい光を落とす街灯が弱々しく照らしとる。

 オレはココアピーナッツの袋を折り畳んで、スーツのポケットに直し、アーチバーを通り過ぎた。

 初っ端の異変は、雪が降り始めたとこからやった。そないなんが降る季節やあらへんさかいよう見ると、白い灰やと分かった。

 街灯がカチカチッと消えたりついたりしはじめる。河のせせらぐ音や虫の声はいつの間にかのうなった。冷えだしとるのか、肌にひりひりとした感覚が生まれる。

 吐く息は白い、身体にまつわる異常が顕になりだした。

 

「来よったで」


 黄色アーチバーの地際部分から、灰白色の液体が泡を立たして噴き出しよった。それが階段の蹴込みや踏み板の縁から湧き出し、オレたちのいる階下へノロノロと流れ降りてきよる。

 街灯はとうに消えてもうとった。月明かりしかあらへん夜空の下、誰かが階段を降りてくる音がよう響く。

 その正体が純白のパンプスを履いた片脚やって気づくんにはそう時間はかからんかった。

 白肌の右脚が階段の降り口に佇立しとる。

 その一段下で、灰白色の液体が枝木を這い上る百足みたいに何本もの糸を生み出しはじめ、緻密な白い血管を引き結び、時には風船ガムっぽく膨れて肉体を造り上げていきよる。

 化粧板貼る要領でしらこい皮を張って、立派にパンプス履いた柔肌の左脚を形作り、カンッと音を立てて踏み板を打ちつけよった。

 そっからは、植物の成長を千倍速にしたんかってくらいに早かった。

 両脚の付け根からそれらを纏めるための骨盤が現れ、腰部を形成。腹部へ到達しよったと同時に、両手の指がどっからともなく造り上げられ、胸部とともに上肢も生み出された。いよいよ頸部へと差し掛かりよったところで、打たれた投網が裾を広げるように薄い反物上の物体がその肉体を包み込む傍ら、ついに頭部がお披露目された。

 おつむにつけたティアラから垂れたホワイトベールで、白う長い髪を隠しとる。

 顔は特筆すべき外観はなんもなかった。作りがちょい濃いんちゃうかって程度で、薄ら笑いを浮かべとる。

 階段を降りてきよる奴の格好は、新婦ズバリのウェディングドレスやった。

 花嫁が階段の中腹で立ち止まる。


「どうすんねん、オレ先仕掛けよか」

「どうぞ」


 キョウコちゃんは、ガラケーのボタンをポチポチと操作しとる。

 しゃあない、勝手に始めたろか。

 オレは花嫁に向けて、左手を掲げて下へ振った。

 夜空から白いポールが降ってきて、花嫁の脳天を壮快に突き刺した。先端には『止まれ』の標識がついとる。


「先手必勝や」

 

 花嫁は脳天から流れてきた黒い体液を、舌を動かしてねぶり取りやった。

 途端に、クツクツ笑い出して肩揺らしとる。

 両手でスカートの裾を手繰り上げよった。

 その中に、電信柱くらいの幅に太った無数の幼虫が触手となって蠢いとる。

 図体のでかい黒い幼虫たちの塊が、クラーケンの足らしく構えとった。

 オレはズレた眼鏡の位置を元に戻す。


「自慢のつもりかいな」


 数多の幼虫触手が、目に見えへん何かに貫かれて弾け飛ぶ。

 花嫁が口から黒い体液を吐き出してよろめきよった。

 桜の花弁が風で巻き上がりよるみたいに白灰が吹き荒れる。

 狂うた叫声に混じり反発する快楽に震えた笑い声。

 また花嫁がスカートを手繰り上げた。

 掻き消えた幼虫触手がみるみるうちに再生し、階段の手すりやコンクリートを抉り取って、猛然とオレへ迫りくる。

 やっとこの日が来てもうたわけや、感慨深いもんやで、ほんまに。


「掬うたるわ、アンタの全部」


 歓迎したるで、アサヒ。

 余韻渦巻く禍々しき灰汁の世界へ。

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