5.夜闇のセイレイ

 朧げな夢路から弾き出されて目が覚める。

 助手席の車窓から、古馴染だった人影が見えた。

 それは見間違いで、ラーメン屋の軒先に突っ立つ幟だった。

 丑三つ時もとっくに越えた初夏の深夜。

 カーディガンを羽織って丁度よいくらいの気温。

 昼間は氷菓子を食いたい欲を引き出すまでには暑かった。

 市街を当て所なく走るミニバスの助手席で、俺はこっくりと微睡に落ち、静かに船を漕いでいた。

 行き先を丸ごと預けて、運ばれるだけの荷物になった気分を堪能して悦に入る。

 助手席のダッシュボードに設置したスタンドには、マップを映したスマホが取り付けられていた。

 アルファベットの「d」を模した紺色のピンマークが西へ幹線道路を突き進んでいたが、次第に失速しはじめ、しまいに停止した。

 目線をフロントガラスの向こうへ動かすと、信号が赤く光っている。

 ターミナル駅前のスクランブル交差点には、横断歩道を渡る誰の姿もない。

 時々、絶滅危惧種を発見したみたいに道を歩く人を確かめては、なぜこんな時間に起きているのかを推理して考え遊ぶ。

 その有意義な休息時間を断ち切る着信音が、突如として車内を占拠した。

 俺には電話に出るという選択肢は毛頭なかった。

 音の正体であるダッシュボードのスマホの画面に視線を運ぶ。

 画面には『社長』と分かりやすい二文字が表示されていて、左上にある時間を確認すると、3時56分を示していた。

 しばらくすると、着信音はぴたりと鳴り止んだ。どうやら諦めてくれたようだ。

 信号が青になった、ミニバスが我に返ったように走り出す。

 俺は一安心してから瞼を閉じ、静寂のひと時へといざ舞い戻る。


「かなんわ、アサヒ。シカトかいな、ほんまに」


 予想外の一声、俺は助手席から後ろをそろりと覗く。

 キャピングカー仕様に施した内装をしている後部、窓際に備えつけられた座席に、男が一人悠然と座っていた。

 宝石商の営業員を彷彿とさせる一分の隙もない濃紺のスーツ姿。深紅のネクタイが派手やかに締まっている。黒縁の眼鏡をかけていて、胡散臭く歯を見せながら笑っていた。

 このミニバスは自動運転で走行している。運転席には誰もいないし、この車に乗った時から、車内にはずっと俺しかいなかった。

 男は後部ドア付近に設けられたキッチンの上戸棚を開けた。

 俺はその様子を確認してから、前へ向き直る。


「買い溜めといたぞ、ココアピーナッツ」

「気ィ利くやないか、シカトは許したんで」

「申請しとくから経費で」

「奢りやろ。けちんぼやで、そりゃ」


 戸棚から目当ての菓子を取り出した男は、そのまま隣の運転席へ座り込んだ。

 社長、俺は彼をそう呼んでいる。本名は知らないし、年齢さえも分からない。当然、住んでいる場所や過去の遍歴だってまともに把握していない。社長が勝手にベラベラと語る武勇伝も、信憑性は定かではない。

 知り得ている情報は、俺が所属する探偵兼便利屋事務所の長であり、無類のココアピーナッツ好きで、急に姿を現して人を驚かせる底意地の悪い癖があることだけ。

 今日も今日とて、幽霊のように忽然とやってきた彼は、運転席の窓を開け、外の景色を眺めながら夜風を浴び出した。

 

「しっかし性懲りなく深夜徘徊って、ちょっとは運動しいや、石なるで」

「してるわ、昨日も30件くらい案件こなしたんだぜ、勲章モンだろ」

「ほな、今日はどないやねん」


 社長がこちらに顔を向けてきた。

 脳内に今日一日のスケジュールをスラッと思い浮かべる。


「まあ…今日も割と忙しい方かな」

「暇人みっけたわ」

「忙しいっつってんだろ」

「やかましい!お前は今日すべからく暇しとんねん!」


 彼はココアピーナッツの包装を力一杯に開け、凶悪でジメッとした笑顔を浮かべた。

 適当にあしらって帰ってもらおう。


「6時からパン屋の開店作業なんだよ、寝たいんだよ俺は」

「貨物列車が襲われよってん、物騒な世の中やで」

「勝手に進めんなメガネ」


 渋面を作り文句を吐いても、そんなことはどこ吹く風というように「その貨物列車にな、セイレイが積まれとる」と続けていった。


「無視すんな子供舌」

「政府がバリバリ絡んどってな、これが何よりも急を要すわけやで、ホンマ。どないしまひょー」

「アホだから分かりません」


 意地でも不貞寝をこいてやろうと強く目を瞑り、社長に背を向ける。

 奴はココアピーナッツを貪りながら、お構いなく話を展開していった。


「塩堀貨物駅から出発して数分で、車掌車から救難信号が焚かれとる。荷役場から潜入しよったはずやが、ヤードに侵入するにも一苦労やからなあ、セキュリティ案外高いねんで、あっこ」


 ラジオを垂れ流している感覚で聞いてやる。そう決意して瞼を硬く閉じつつも、社長の話す内容へ僅かに耳が傾いてしまう。

 

「犯行時刻は3時39分、犯人は合計5人。男3人の女2人。全員がまとめて織法術師や。ヤードの侵入はこの内の誰かの視環織で誤魔化しとるけど、セキュリティを突破ってなるとや、割と慣れとる可能性あるわ。ちなみに、さっきの時刻はヤードに入りよった時のや」


 ヤードへの侵入が約20分前となると、かなりスピーディーに貨物列車を乗っ取ったことになる。そこまで時間をかけずに実行できたなら、その場所を熟知している人間がいたと考えていい。


「ほんで荷役を終えて、発車を待つ貨物列車に忍び込みよった。姿を隠蔽する視環織で隠れて、車掌車と機関車に別れてな。貨物駅ではセイレイは盗まず、離れた場所で作業っつう感じやろな」


 ヤードの知識に加え、姿をくらます織術が使える人間もいて、貨物駅から離れた地点で列車を乗っ取る。ある一点を除けば、中々にスマートな犯行なんだが実に惜しいな。


「思いつきで行動しとるわけじゃなさそうやからなあ。こっちも下手な人選できんわけや。奴らからしたら計画パーペキってとこやろうしな」


 ココアピーナッツをボリボリと噛み砕く音が聞こえた。どうやら俺からの返答を待っているらしい。周りくどい、俺は痺れを切らして口を開いた。


「完璧はあり得ないだろ」


 こうも持って回った言動をされたら無視はできなかった。


「解せへんか」


 社長はニヤついた顔を隠さない。わざとらしい物言いと仕草にはどうも辟易する。


「納得できないな。救難信号鳴らされてる時点で完璧じゃないだろ。リスクは少しでも取り除いた方がいい。貨物駅で車掌を拘束して、人目につかない場所に降ろしておくとかな。あとは運転士を脅して発車させて難なく逃亡できる」

「確かになぁ…。そうしいひんってことは、単なる素人かもしれへんなぁ」

「やめろ、気持ち悪い」


 社長の声高に発する素知らぬ物言いがいつも癪に障る。今も彼のニヤついた表情には、何か裏があるように思えて構えてしまうわけで、まともに受けるのは得策ではない。当て擦りで「社長なんだからもっと調べろよ」とひやかしてやると、すぐに反論してきた。

 

「お前、社長やからってな、なんでもできる思っとんのか」

「じゃあ、実際どうなんだよ」

「隅々まで調べとるわ、そいつらの代わりに履歴書くらいは書けるで」

「それはそれでキモくね」

「社長やからしゃあないやろ」


 何が仕方ないんだか。

 俺は突き放すように雑に右手を振ってみせた。


「てかさ、他のやつに頼んでくんない。マジでパン屋まで寝たいんだわ」

 

 社長は白々しくため息をついた。

 

「あのなあ、皆いま忙しいねん、お前だけやねん、暇こいとんのは。だから、真っ先にお前んとこ来てんで。子供やないんやから分かるやろ」と俺の左肩にそっと手を置いてきた。

 これは今までになかった説き方だ。いつもはダメ人間の典型みたいに手を擦り合わせてお願いしてくるというのに。


「頼むわ、アサヒ。お前しかおらんねん」


 念押しと言わんばかりに、社長の一言は着実に俺の肩に重くのしかかる。この状況で構わず無視を押し通すことに、少しの抵抗感が生まれてきた。

 後ろ髪引かれる思いが起因してか、仕方なく俺は「貨物はどこにあんだよ」と言葉を漏らしてしまった。


「シナメ線の宮科駅をあと数分で通過するわ」

「宮科駅っつうと、東の山間トンネル前か」

「せやねーん、はよせんとトンネル潜って他国に行きよるわ。めんどくさいねん、そうなると」


 宮科駅は、この国の東方面の国境駅である。その駅を通過し、トンネルを越えると他国領土となる。


「トンネル内でセイレイを下ろして散るか、そのまま国外逃亡って感じか」

「もう一度言わせてや、お前以外全員忙しいねん」


 社長は再度、俺の肩をトントンと叩いた。


「やるやる、やるよ」


 俺は社長の手を退け払った。

 別にサボりたいわけでもない。ただ、丁度よく休息を得ていた矢先、めんどくさそうな依頼が来たから、素直に受ける気になれなかっただけだ。

 ココアピーナッツを貪り、まるで木の実を口内に頬張り詰め込んだリスと化した社長を一瞥する。

 みんな忙しいかは定かではないが、少なくとも、彼が俺の元へ真っ先にやって来た理由は分からなくもない。今回の依頼内容だと、社員の中では俺しか対応できる奴がいなさそうだ。

 制圧された、今もなお走り続ける貨物列車に素早く辿り着き、残り数分で奪い取る。

 俺の織術ならば、不可能ではない。


「宮科駅はマーキング済やな?」

「一発目からそう聞いてくれたら素直に受けたんだけどな。命令してくれたら俺も従うさ」

「絶対嘘やわ、サボってんの邪魔されたん根に持ってるやろ」

「サボる以前に、退勤してんだよ。ちょっとは申し訳なく頼めよ」

「社長が社員の顔見たら舐められるやんけ」

「もう舐め切ってるよ」


 俺はダッシュボードのスマホを手にして、マップアプリを操作した。目的の駅へと画面に指を滑らせ探してゆく。


「社員教育したろかな、超スパルタの。で、どや」


 宮科駅に「d」のマークをあしらった蜜柑色のピンが刺さっていた。


「ホームのトイレ」

「上出来や」

「犯人どもの制圧と列車を止める、この2つでいいんだよな」


 スウェットズボンのポケットに、スマホを突っ込みながら社長へ確認する。


「貨物の確認もや。中身が盗まれてたらオレに連絡しい」

「へいへい、じゃあ行ってくるわ。まだ駅は通過してないよな」


 ドアノブを掴みながら、念の為にそう訊ねると、空になったココアピーナッツの袋をくしゃっと握り潰した社長が「あ、いま通過しとる」と爽やかな笑顔とともに短く告げてきた。


「は?」


 数秒、俺は社長の顔を凝視した。

 彼の背後の車窓に収まっている過ぎ去りゆく街の近景が、谷間を流れ去る泥を含んだ渓流のようで、社長の笑顔も汚物の塊に見えて仕方ない。

 

「早よ行きや」


 あとでココアピーナッツを吐くまで殴ってやろう。

 俺はミニバスが走行中だろうがお構いなしに外へと躍り出た。

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